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大学4年間 4年 梅津凜太郎

本日、ブログを担当させていただきます、梅津凜太郎です。よろしくお願いします。

東洋大学体育会サッカー部での活動も残り2ヶ月を切り終わりを迎えようとしている。

4年間を振り返ると上手くいったことの方が少ないように感じたが、それなりに学ぶことは多かった気がする。

コロナウイルスの影響で例年よりも遅くサッカー部での活動をスタートした。

初めての一人暮らし、初めての土地での生活、家に帰っても誰も居ないのが寂しく感じる日が多かった。初めての料理も最初のうちは楽しかったけど洗い物が面倒だったり、疲れて帰ってきた時はしんどい思いをすることが多かったりした。

そんな1年生の時はBチームでの試合も当たり前のようにベンチだった。IリーグもBチームの人数が少ないからベンチには入れるものの途中交代もしないことが最初のうちはほとんどだった。

60番目からスタート。
それが1年生の時の自分だった。

そのまま学年は上がり2年生になった。2年生になってももちろんBチームからのスタートだった。

2年生になって、Bチームでも中々試合に出れずサッカーをやっていて楽しくなかった時期もあったし、試合に出られずイライラして、ベンチで全くウォーミングアップをしない時もあった。

大学生活の2年間何の経験もなく終わってしまった。

3年生になってチームが始動した時、今年もどうせBチームだろうって最初は思っていた。
最初の2年間が上手く行かず、不貞腐れそうになっていた。

でもそういう時に限って意外とチャンスが巡ってくるもので、練習試合でAチームのスタートの所にマグネットが貼ってあった。

その時は、なんで俺?って思ったけどここで良いパフォーマンスができなかったらずっとBチームだと思って必死にプレーした。

それまで1回もAチームでプレーしたことがなかったけど、その時良いパフォーマンスができたからAチームでプレーする時間が増えて、3年生でやっと関東リーグに絡めるようになったと思う。

この時にチャンスは人それぞれで平等ではないけど必ずくると思った。

そして4年生になった。
自分は関東リーグに絡ませてもらっているが全く結果を残せていない。他の大学では毎週プロになった人のリリースが出ているが、自分は進路が決まらなく、不安なことも沢山ある。

でも自分には切磋琢磨し合える最高の仲間がいるし、その存在が大学サッカーを楽しく続けてこられた要因でもあると思う。そんな仲間たちと1日でも長くサッカーをできるように残りの試合全力で戦いたいと思う。

振り返るとあっという間の4年間だった。
辛いことの方が多かったし、悔しい思いも沢山したけど、最後は笑って終われるように残りの短い東洋大学体育会サッカー部での時間を大切に過ごしたいと思う。

4年間を簡単に振り返ってみました。纏まりのない文章で読みづらいと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、ドライブ中に爆睡をかます、高身長小顔イケメンの新井悠太くんです!
お楽しみに!

東洋大学体育会サッカー部 4年 梅津凜太郎

梅津凜太郎(うめつ・りんたろう)2002年6月15日生まれ
エストレージャスFC→鹿島アントラーズジュニアユース→鹿島アントラーズユース

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