筑井諄×審判 2年 筑井諄
富田英寿(←名前かっこいい)より紹介に預かった審判兼マネージャー兼わがままボディ筑井 諄 です。
ここ数ヶ月、様々なカテゴリーでリーグ戦や大会が開催されて審判としても1日に2試合、3試合やったりと、多くの試合をいただけております。
審判も選手同様、試合がなければ一番の上達の道を失っていまいます。サッカーがあることの喜びを感じると同時に、これが実現するまでに至る多くの過程で、数え切れない方々の支えがあることと思い、そんな方々へ感謝の意とサッカーへの熱意に敬服の意が募るばかりです。もちろん、普段の生活を支えていただいている医療従事者の方々には頭が挙げられません。
そんな中で、1つだけすっごい細かいことなんですけど、残念なことが時折あります。
名前です。読み書きどっちも。
筑井 諄 (ツクイ シュン)です。
結構間違えられます。
筑井が築井になってたり、つく丼になっていたり、チクイと呼ばれたり、諄が諒になっていたりなどなど(←ちなみにこれだと兄の名前になってしまいます。)
漢字は難しいし、普通に読みで調べても出てこないし、細かいことなんですけどね笑
一種のアイデンティティのようなものなんで、結構好きなんですよ、自分の名前。覚えてやってください。
長くなりました。
本題へ。
自分が何を書けばいいか悩んでいるとき、多くの人が、「審判のこと書いてよ」、「審判っぽいことにしなよ」と多く言われた。
無論、自分の行う審判は選手たちにもなく、マネージャーにもない自分の強い武器であり、違いを出せる手段、分野である。
しかし、これと同時にまだ3級でそこまでうまくもないような自分が審判のこと、競技規則のことを書いてもいいのだろうか?そんなことと葛藤している。
では審判仲間にも少ないことはないか?
自分の過去と今の掛け合わせでは?
前回のnoteで記述したよう、高校まではそれなりのレベルでサッカーをしていた。そんな自分が審判をしながら何を考え、何を思いレフェリングをしているのか。また選手から審判になって何を感じたか。これであれば自分にしか書けないと、今は思う。
長くなるのも何だから一気に行こう。(すでに長い)
①自分の場合、レフェリングの間、試合を監視しつつ、観戦している。
サッカーをやっていた身からすると、東洋などの大学サッカーや派遣で行く先々のチーム、どのサッカーも面白い。こんなサッカーを間近で見れて、かっこいい選手たちとコミュニケーションをとれることは審判の特権だろう。
他には、この選手上手いなーとか、自分が選手なら次にどこの選択肢でプレーするかなー、サッカーやりてー、などなど。
観戦している。
(もちろん判定やら動きやらの審判としての考えも忘れてはいない。)
➁自分はサッカーをスポーツであると同時にエンターテイメントでもあると思っている。
だから、常に観客が見たいのは何かを考えながら試合を進めている。
あえて続けさせたり、試合を切らずにワンプレーだけ伸ばしたりなど。
これらは自分がサッカーを行い、強度の中に楽しさを最重要に持ってプレーしていたからできていると思っている。
③審判をやる仲間にも感じることはある。
なんか基本的にネジが外れてる?
(いい意味であり、個人の見解)
よく言われることが、あれだけ文句を言われてできるのは変だ、ということ。
もちろん変だ。自分も。自覚はしている。
それなのになぜ続けられているかは分からない。
おそらく上記の特権も充分な理由だ。
以上ダラダラと思ったことを書いてきたが、まだ感じたこと考えていることもあったので次回以降に記せたらと思う。
拙い文章でしたがいかがだったでしょうか?
最後までお読み頂きありがとうございました。
次回は
この人はぬけています。
3年生 飯澤良介 君です。
お楽しみに
東洋大学体育会サッカー部 2年 筑井諄
筑井諄(つくい・しゅん) 2000年5月5日生まれ
ライフデザイン学部 健康スポーツ学科 所属
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