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僕とグロインペインの7年間 4年 奥野新大
本日のブログを担当させていただきます、奥野新大です。
最後のブログということで、少し長くなってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。
天候、気温、股関節の可動域、周辺の体幹や筋力、身体のバランス、ピッチ状況、、、様々な要因が絡み合って生じる、グロインペインという怪我がある。
高校1年生の6月。
初めは、股関節重たいな、くらいの感覚だった。
これが、グロインペインという怪我の始まりだった。
それから2日後のU16リーグ初戦。
スタメンで出場したけれど、股関節の痛みが急激に加速して、前半で交代した。
それから僕は、ほとんどサッカーをする事がなく、大宮ユースでの生活を送った。
練習に制限なく入る事が出来て、なおかつ対外試合に出場出来る状態はわずかな時間だった。
離脱してからは、走る事にもボールを蹴る事にも制限がかかり、当時の僕には身体を強く大きくする事、チームのサポートをする事しか出来なかった。
その期間で階段を登っていく仲間と、置いてけぼりの自分。
そんな状況で過ごす時間は、孤独と恐怖と不安との戦いだった。
大学の進路選択の際に、大いに迷いながらも、サッカーを続ける道を選んだ。
東洋大学に入学して1年目の前半は順調に進んでいた。
股関節に違和感も痛みも全く感じなかった。
仲間と全力でサッカーが出来る事、その中で成功と失敗を繰り返していける事、喜びも悔しさも共有出来る事が楽しくて仕方がなかった。
大学1年目の11月、突然股関節に違和感が生じた。
それでも僕は、その違和感を無視してサッカーを続けた。
なぜかと言うと、サッカーをする事が楽しかったから、そして、またあの孤独と恐怖と不安がやって来る事が怖かったから。
当然、違和感は痛みに変わり、痛みは日に日に強くなっていった。
終いには股関節を境にして身体が真っ二つに裂けていくような感覚になった。
歩く事ですら激痛が走り、僕はまた離脱した。
そして、また孤独と恐怖と不安がやって来た。
心も身体も痛かった。
痛みを通り越して虚しさに変わった時もあった。
これまでのリハビリ生活で、孤独と恐怖と不安に負けて、サッカーを辞めていてもおかしくはなかった。
文章を読んでいても分かるように、僕は決して強くない、弱い人間だと思う。
それでも僕は今、こうしてサッカーを続けている。
なんで続けてこられたか。1番に思い浮かぶのは、周りの人に恵まれていたから。
もちろん、そうではない大人もいた。
具体的には書かないけれど。
ただそういった類の人は、僕の近くにはいなかった。
大宮ユースでも、東洋大学でも、僕は周りの人に恵まれていた。
「おれ、これで再発したらもうダメだ」
とこぼしてしまった時に、
「2度とそんな事言うな!」と哀しそうな涙目を浮かべて叱ってくれたスタッフ。
心が折れそうになるたびに、あの時の顔が浮かんだ。そして僕を奮い立たせた。
毎日A4サイズの紙にプリントアウトしてくれた、過酷なリハビリメニューの厚い束は、今でも僕の宝物。
リハビリのために向かった、奈良の治療院にわざわざ足を運んでくれて、そのまま一緒に1泊して、たくさん楽しい話をしてくれた、同じ怪我を抱えていた先輩。
ピッチ外からの応援となった、高校生活最後の試合の後の写真撮影で、「これはお前がつけろ」とだけ言い、僕にキャプテンマークを渡し、巻かせてくれた同期。
中高大と同じ道を辿ってきて、たくさんの時間を共にして、時には電話で相談に乗ってくれたり、ご飯をご馳走してくれた先輩。
大学で怪我が再発してお先真っ暗の中、僕に寄り添い、股関節に良さそうなメニュー、身体を強くしなやかにするメニューを提供し、様々な角度から熱くコミュニケーションを取ってくれたスタッフ。
「復帰はいつなんだ、どうなんだ」としつこいくらいに聞いてきてくれた同期。
「お前のプレーが見たいよ、一緒にやりたいよ」と言ってくれた同期。
「あらた、寂しいよ、早く復帰してくれよ、お前なら復帰したら絶対にやれるぞ」と言ってくれた同期。
トレーニングをしながらも、横目で僕のリハビリの様子を見て、
「あのメニューをやっても大丈夫なのか、股関節に負担がかかりすぎないのか」と言ってくれた同期。
lリーグに途中出場も出来ない状況が続く中で、
「あらたを出すためにも大量得点しよう」と試合前に言ってくれていた後輩。
去年途中出場した復帰戦のlリーグで
「あらた〜待ってたよ」とピッチで満面の笑顔で迎えてくれた同期。
「あらくん復帰おめでとうございます」と試合後に握手しに来てくれた後輩。
「みんながお前のことを待っている!みんなが!」と強く温かい眼差しで鼓舞してくれたスタッフ。
今シーズン初めてベンチ入りした、トーナメント戦のミーティングの後に、
「おれには前からこの事がわかっていたよ」
「とうとう来たかアラビアータ」
とおどけて言ってくれた同期。
何も言わずに満面の笑顔でグータッチしに来てくれた同期。
奇妙な動きを繰り広げた後に抱きしめてくれた同期。
そのトーナメント戦の帰りのバスで
「もう絶対に怪我するなよ、あらた」と言ってくれた同期。
ほとんど毎日股関節の状態を確認し、股関節への負荷をコントロールし、痛みや違和感が出たら時間を割いて施術してくれたスタッフ。
怪我ばかりで扱いづらいであろう自分に理解を示し、定期的に脚の状態を確認してくれたスタッフ。フィルター越しではなく、常に深く澄んだ眼差しで自分自身に目を向けて対話してくれた。
普段は怪我のことをあえて聞いてこないけど、僕が復帰して試合に出ている画像を嬉しそうに保存して、
「小さい頃と全く同じポーズしてるんだよ、これ」と言い、涙を流した母親。
リハビリ期間のメンタルに限界が来て、泣きながら
「もうサッカーやめます、耐えられそうにない」
と伝えた時に、
「わかったよ。辛かったな。苦しめてごめんな。あらたの意思を尊重するよ。」と言い、話を聞いてくれた父親。
挙げ出したらキリがない。もっとある。
相手は忘れているかもしれないけれど、これらの言動を僕は一生忘れない。
こういった周りの人の存在、言動に支えられて、僕はこれまでサッカーを続ける事が出来た。
本当にありがとう。
そして、最高な仲間とサッカーが出来る時間も、僕の競技サッカーの時間も、残りわずかになった。
この仲間と、少しでも長く、サッカーが出来るように、練習前の仲間との何気なくて微笑ましい会話の時間が続くように、そして、最後に悔いなく笑って終われるように、1日1日を大切にして、全力で過ごしたい。
ブログで何を書こうかと考えていて、大学生活、そしてこれまでのサッカー生活を振り返った時に、1番に浮かんだのは、感謝の思いでした。
普段は恥ずかしくて言葉にできない、言葉にしきれない感謝を最後のブログで書きました。
改めて、この道を選んで、周りの人に出逢えて、素晴らしい時間を過ごせたと思えます。
追伸
もしも自分と同じように、グロインペインで苦しんでいる人がいたとして、自分の経験からアドバイス出来ることを1つだけ挙げるとすれば、
それは「やらない勇気」を持つことです。
これが簡単なようで、本当に辛くて難しい。
自分の感覚と身体を大切にしてほしいです。
長い目で見た時に、その方がいい結果を生むと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
次回のブログは、東洋大学のレフリー代表、筑井諄です。お楽しみに!
東洋大学体育会サッカー部 4年 奥野新大
奥野新大(おくの・あらた)2001年3月3日生まれ
大宮アルディージャJr.ユース→大宮アルディージャユース
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