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本気のタネ(種) 3年 中村勇太

本日のブログ担当の中村勇太です。まあよく聞く苗字と名前の組み合わせですよね。かなり覚えやすいはずですよね。なのに、なぜか「ゆうと」とよく間違えられます。

ここであえて、私の趣味を一つだけ紹介させてください。

私は結構音楽が好きで、幅広いジャンルの音楽を聴きます。
最近よく聴いているのは、reguetón (レゲトン) という種類のスペイン語の音楽です。自分の周りに聴いている人はほとんどと言っていいほどいません。
なので、この場を借りて皆さんに紹介させてもらいました。
1人でも多く音楽の話で盛り上がれる人が増えることを期待しています。

Vamos a escuchar reguetón(レゲトンを聴こう)

これは大学の授業でスペイン語の授業を2年間受けていたので、これくらいのレベルならなんとか言えます。という自慢の混じったお話でした。


くだらない話はこの辺にして、私が東洋大学に入った理由についてお話をさせていただきます。

私は幸運なことに東洋大学からの誘いをいただき、誘いをいただいた他の大学の中から東洋に行くと決めました。
いくつかの理由をあげると、プロサッカー選手を目指すためには関東1部の大学に行きたかった(当時1部)、他の大学は何百人という部員がいる中で東洋大学は一学年約15人という少人数制で活動しており、試合に出場するチャンスが全員にあるなどといったことです。
また、高校時代に対人系や守備面ではある程度自信がありましたが、上に行くためにはCBにもビルドアップができるのがスタンダードになると思い、苦手だったビルドアップを改善させるために東洋大学を選びました。

東洋大学に来てからはみんなのうまさには本当に驚きました。指導者にも恵まれており、プロの経験者や、指導歴の豊富な指導者に指導していただき非常に成長できるすばらしい環境が整っています。

また入学してから思うことは、とてもサッカーに対して熱い仲間に恵まれていると感じることです。

次に何について書こうか迷っていたところ、ふと小学2年生の頃の文集を見つけたので、読んでみました。

ー ぼくのゆめは、パイロットです。ぼくの父はパイロットです。ぼくも父みたいになりたいです。がんばって父をめざせるように勉強を一生懸命がんばります。ー

今の僕からは想像ができない文章です。
この後私は地元の少年団に入り、サッカーをやっていくうちに将来はプロサッカー選手になりたいと思うようになり、そこから約13年間変わることなくプロサッカー選手という目標を追いかけています。

これから、20年間の人生を少し振り返って行こうと思います。

小学3年生の頃めちゃくちゃ好きだった内田篤人選手が鹿島アントラーズに所属していたことから、鹿島アントラーズが好きになりました。ただ、内田選手が着ている練習着と同じのを着たかったという単純な理由でジュニアのセレクションを受けました。

しかし最終試験で落ちてしまい、少年団では1番うまいと思っていた自分の実力を知りました。そのセレクションで4人しか合格しなかったことから翌年の9月に再度セレクションが開催されることになり、なんとか合格する事ができ念願の内田選手と同じジャージを着る事ができました。

それからは両親が車で往復2時間高速道路を使い約6年間送迎してくれ、ぼくの夢をサポートしてくれました。そのおかげもあり念願のユースまで行く事ができました。
とても感謝しています。

鹿島ユースは今でも、高体連より高体連といういじりをされるほど他のJユースにはない独特の雰囲気があります。

ウォーミングアップ前に、横一列に並び、エンブレムを握りしめて、目を瞑り、勝利へのイメージを膨らませてから軍隊並みの迫力で相手を威嚇するブラジル体操が始まります。最高に気持ちが高ぶります。

私がユースに所属していた頃、縁がありブラジルの名門コリンチャンスやパルメイラスでプレー経験のある日本人と半年間一緒にサッカーをすることになりました。

彼がブラジルと日本の差についてこんなことを言っていました。


「日本はユースに所属していたらプレーの調子が良くても悪くても3年間はチームでプレーできる保証がある。ブラジルでは毎週のように選手の入れ替えがあるから毎日が勝負だし、調子が悪ければ同じポジションに新しい選手が入ってくる。
彼らは貧しい生活を抜け出す手段としてサッカーをやっているから覚悟が違う。」


この言葉を聞いた私は心を打たれました。私たちは何の不自由なく生活する事ができ、プロになれなくても会社に入り安定した収入があれば生活できます。ただ呆然とプロサッカー選手になりたいと思っていた自分と彼らを比較した時に、サッカーに対する情熱や覚悟の違いについて深く考えさせられました。


実際、今の私たちに同じような覚悟を持てと言われても、難しいものはあります。
しかし目標や夢を達成させるために必要な"覚悟"は共通していると思います。

夢を叶えるって難しいですよね。
理想の自分と現在の自分にギャップの差がありすぎて苦しくなる日ありますよね。
本当に叶えられるのかなと自分を疑ってしまう日ありますよね。

大学に入り、試合になかなか出場できずに思うような結果が出ていない人は僕以外にも沢山います。しかし、出れなくてもプロサッカー選手という目標に向かって皆頑張っています。

毎朝6時に起きてランニングをしている桝谷くんや、春休み午前練の後に部室で弁当を食べて2部練をしている塩澤くん、誰だかわかりませんが東洋の服を着た人が夜1人でボールを蹴ってたよと友達から聞いたこともあります。
他にも内に熱いものを秘めている人や、親のために頑張ると言ってる人など、東洋大学で出会えた仲間の存在が時に自分を奮い立たせてくれます。

だからこそ東洋大学で出会った最高の仲間と歴史を作りたい、試合に出てチームを勝たせる存在になりたいと強く思います。


夢を叶える前提としてはまずは"本気"で叶えたいという気持ちがあることが前提だと思います。

中途半端ではなく、"本気"で想い続けて、諦めずに周りに流されず"本気"で自分と向き合いやり続けた人にだけ神様が手を差しのばしてくれると信じています。

決して周りへの感謝の気持ちを忘れずに''覚悟''を持って、これからも目標にむかって頑張って行こうと思います。

今の4年生は、自分たちが1年生の頃に一つ上の学年としてチームの準備などを細かく教えてくれ、時には助けてもらうこともありました。そんな4年生が笑顔で大学サッカーを終われるように、今年絶対に1部に昇格しましょう!!

たくさんジョークの混じった面白い内容の文章を書きたかったですが、語ってしまいました。真面目な話で眉間にしわを寄せながら私の文章を読んでいたことでしょう。


次は父がマッチョで有名な"ひろし''さんの息子飯澤良介くんです!


東洋大学体育会サッカー部 3年 中村勇太

中村勇太(なかむら・ゆうた) 1999年7月6日生まれ
鹿島アントラーズジュニア→鹿島アントラーズジュニアユース→鹿島アントラーズユース


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#僕が東洋大サッカー部を選んだ理由

#東洋サッカー部のいいところ

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