私が今まで経験し感じたサッカーをまずざっと振り返ります.1
初めてテレビでサッカーを見たのは、幼い頃の記憶で大分あやふやなのですが、朝日国際サッカー大会(1967年のようです)のチェコスロバキア(デュクラプラハ)対全日本の試合だったと思います。見ていて何か楽しくなって、押しれを開けてゴールに見立て、枕を蹴ってシュートの真似をした記憶があります。(チェコスロバキアについてはまた別項目で述べるつもりです。後で知ったのですが、あの試合でマソプスト選手やキーパー、ビクトル選手がプレーしていたようです。)
また、これこそ、いつ、どことどこの対戦かは全く覚えていませんが、父親に連れられて、日本サッカーリーグの試合を近所の(仙台)宮城野原のサッカー場で見ました。生で見た試合はそれが初めてですが、砂のグランドで、土ぼこりが舞っていたことしか記憶にありません。
その頃でしょうか、サッカーゲーム盤を買ってもらいました。私の兄弟は年の離れた姉2人で、遊び相手がいなくて一人で5本の棒とキーパーを操っていました。そのスコアーボードは、三菱、東洋工業、ヤンマーなどチーム名を入れ替えられるのですが、なぜか(漢字の字体がお気に入りだったのか?)、名相銀、八幡製鉄をよく使ったものでした。
話は前後しているかもしれませんが、メキシコオリンピックで日本が銅メダルを獲得したことも記憶にあります。釜本選手、杉山選手の名前は覚えましたが、一番印象に残ったのは、例のメキシコの観衆の、メヒコ、メヒコ、ラ、ラ、ラ!の応援の声でした。
1971年のアジアユース選手権準決勝の日本対韓国の試合で、初めてPK戦というものを見ました。7人目までもつれ込み、日本が負けてしまいましたが、泥だらけ(だったような?)のグラウンド上の過酷な戦いで、大変印象深かったです。後の資料で知ったのですが、日本チームには永井選手や奥寺選手、そして韓国チームには車範根選手がいたようです。
その車範根選手についての続きの思い出は、ざっと振り返ります。この項目の2.で述べたいと思います。