中学生の頃までに、その他のスポーツで覚えていること.1.相撲
中学でサッカー部に入り、サッカーにのめり込むまでは、色々なスポーツに興味津々でした。
まずは、相撲。小さい頃から大相撲を見ていました。幼稚園の頃、時は柏鵬時代。優勝回数は大鵬が圧倒的に多かったですが、大鵬・柏戸の対戦成績は拮抗していました。美形で強い大鵬を応援していましたが、千秋楽の結びの一番での対戦時は、ドキドキしてまともに画面を見ていられなかったものです。その頃の愛読書は、雑誌の「相撲」、「大相撲」でした。巻末のクロスワードクイズを母の助けで解き、懸賞に応募し、力士のサイン手形が縮小されたものがデザインされた相撲茶碗が当たったこともありました。当選者欄に、自分の名前(5歳)と載って恥ずかしかった覚えがあります。それらの雑誌などで、力士の四股名の漢字を頑張って覚えたものでした。大鵬、豊山、義ノ花、麒麟児、陸奥嵐などは難しかったけれど、何とかマスターしました。でも、禊鳳(みそぎどり)、鶴ヶ嶺などはとうとう書けませんでした。力士の名前を漢字で書けることを知っていた幼稚園の先生が、お楽しみ会で私を指名し、力士の名前を漢字で書かせ、それで私は1等賞をもらった記憶があります。その頃、夏には、仙台では(5日間の)準場所がスポーツセンター(現在の国際センターがある所)で開催されていて、毎年、母に連れて行ってもらっていました。間近で見る力士たちの迫力にも驚きましたが、行司さん、呼び出しさんもとても興味深かったです。初っ切りや相撲甚句は、家で一人で真似していたものです。今は忘れてしまいましたが、相撲甚句の「当地興行」は、掛け声(「はあ、どすこいどすこい」や「思えば涙がぱらーり、ぱらりと」)も含め覚えて歌えました。
大鵬は圧倒的な強さと風格がありました。大鵬を引退へと導いた、貴乃花との一戦はもちろん印象に残ります。でも私には、北の富士、玉の海が横綱に同時に精進した場所で、その二人を撃破して優勝した姿が忘れられません。特に北の富士との一戦で追い詰められながら、捨て身に近い形の首投げで勝った時、王者の意地を見た思いでした。また玉の海も、後に大横綱になる風格があったのですが、突然の虫垂炎からの死亡のニュースは、本当に衝撃的でした。
大鵬以外は、圧倒的に強いわけでもなく、あまり美形ではないものの(失礼ですね)、特徴のある力士が好みでした。けたぐりの海乃山、天井見上げて相手を吊り上げる陸奥嵐、平幕優勝を飾った若浪、高見山などです。