いざ北谷へ
今から那覇に向けてフライト✈️です
沖縄の北谷町教育委員会さんに呼んでいただき、町内の幼稚園、小中学校の先生方へクラス会議の研修をさせていただきます。
町内全体でクラス会議に取り組む意味
学校全体でクラス会議に取り組んでいるところは知っているが町ぐるみでクラス会議を導入するとどうなるのか。
これが非常に楽しみである。きっと町の投票率が上がるのではないかと勝手にワクワクしている。
なぜクラス会議を導入すると投票率が上がるのか
1、人に対して興味を持てるようになるから
2、問題を自分ごととして捉えられるようになるから
3、自分にも発言権があることを知るから
の3つである。
1、人に対して興味をもてる
現代人は人にあまり興味がない。正確にはネットの向こう側の人には興味をもつが目の前の人に興味をもてない。
今まさに電車に乗っているが、小学生の男の子以外はほぼ全員スマホの画面を見ている。とはいう自分もスマホでこれを打っているので人のことは言えないが、飛行機に乗っても、街を歩いてもスマホの画面を見ている。
昔なら目の前に乗っている人の服装を見てみたり、家族でどんな風に過ごしているのかを見ていることが多かった。電車の窓から見える景色を眺めることもあったが、今窓から外を見ているのは小学生の男の子だけである。
つまり人に対して興味をもつ時間が著しく減少している。友だち同士2人で旅行している子もずっとスマホの画面を見て、お互いに会話することはない。
大人がそんな様子だからこそ、子どもも教室の中でお互いに興味をもてない。目の前の人が困っていてもふーん。で終わってしまう。
2、問題を自分ごととして捉えられる
目の前で問題が起こった時自分が動かなきゃと思えるか、他の誰かがやってくれると思うか。
これは大きな分かれ目である。けれどもほとんどの人がスマホの画面を見ている現代において、目の前の人が倒れていてもそもそも気付く人が少ない。
倒れればさすが物音で気付くかもしれないが、体調が悪そうだとか、青い顔をしているとかはじっと見ていないと気付かないのである。つまり人に対する観察力が低下している。
これがクラス会議の場ではスマホは持ち込まない。
輪になって話すので、物理的に目の前の人を見るしかない。つまり観察力が上がる仕組みがあるのである。
3、自分にも発言権があると知る
教室の中には残念ながらスクールカーストと言われる序列が存在する。
小学生なら勉強ができる、スポーツができる、面白い、かわいいなどで割と簡単に序列が決まる。
高学年になると発言がピタリと止むのはそういう理由も多分にある。序列の下の子は必然的に発言がしにくくなる。こんなこと言ったらバカにされるかもとか。笑われるかもしれないと思うと何も言わない方が良くなる。授業なんかは特にそうで、学力の土台が揃っていないので、当たり前が違ってくる。当たり前の違うところで発言するのはかなり勇気がいる。
けれどもクラス会議は違う
学力差は関係ないし、それぞれの経験をもとに話すことができる。そして何よりトーキングスティックというぬいぐるみが輪番で回ってくるので、手を挙げなくても、必然的に話す番が回ってくる。
例えば自分が音痴なのにカラオケに行くとする。わざわざ選曲してリモコンに入力して歌うことはしたくないけど、1人1曲歌うというルールがあれば、仕方なく歌うしかない。まさにそんな感じである。
要するに自分もその場を構成する1人であると認識するのである。
これは教室だけじゃなく、チームスポーツの場、職場、町内会などなど人が集まる場であれば全てに通ずる。
自分が考えなければ物事が進まないと気付くと必然的に考え行動するのである。
この物事の主体を先生から子どもに譲っていく。ここが先生という仕事を選ぶ人はとても苦手な人が多い。やってあげることが善であり、そのために先生になったという人もいるぐらいである。
けれどもその行為が子どもの成長を止めているとすれば手放した方が良い。
何も考えずエサを与えられる子どもたちを育てるのか、自分でエサを取りに行く子どもたちを育てるのか。
この違いは大きい
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