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PRIDE OF IKKYO|鈴村哲平

Profile
CS 鈴村哲平
出身高校:麻布高校

フィジカルトレーニングやウォーミングアップを担当したCS。選手とも多くの時間を共に過ごし、選手目線からの意見を伝える、チームに不可欠な存在であった。

はじめまして。鈴村です。

先⽇、⾃宅の前で⼲していた傘を盗まれました。別に傘くらい何本もあるのでいいんですが、モノを盗まれるのはこの街に越して1年半で4度⽬です。⼀体どうなっているんだ、この街は。ちょうど市⻑選が近いようなので、ぜひ治安改善に取り組んでいただきたいものです。



話は変わりますが、みなさん⼈のブログを読むのは好きですか。僕は⼤好きです。

まだア式に⼊る前、とにかく暇を持て余していたので、ア式の遠い先輩や東⼤ア式、慶應ソッカー部等々、⾊んな⼈の記事をよく読んでいました。声も顔も知らぬ⼈たちの想いを勝⼿に解釈し、受け⽌めて、実際に僕の⼊部動機になったものもありました。

⾔葉だとその場のノリと勢いでおよそ思ってもないことを⼝⾛ってしまうこともありますが、⽂字なら⼀旦考えてから書いているはずなので、何かその⼈の意図が感じられて嬉しいです。果たしてそれが、彼らの真の本⾳なのか、カッコつけていいこと書いたのか、それとも必要以上に卑下しているのかはわからないですが、とにかく何か伝えたいことがあるんだろうな〜と、思いながらいつも読んでいます。

僕は2年からの途中⼊部なので、みんなのようにア式での4年間を振り返り、カッコよく締めくくるようなことはできませんが、⼀⽅で、だからこそ、僕のア式への眼差しと⼤事にしていた感覚が、何かしらの形で伝われば嬉しいです。

「僕は今の⾃分を誇りに思っている。」


⼤学2年⽣の夏、ア式の練習を⾒た帰り、中⾼時代からの友⼈であり、⼀⾜先にア式に⼊部していたA君から⾔われた⾔葉だ。

彼とは10年来の仲だった。⾃称世界に通ずる愛想笑いの使い手で、普段真剣なことをあまり⼝にしない。だからこそあの⾔葉はとても強烈で、衝撃的で、今でも鮮明に覚えている。普段の彼を知る⼈たちだって、彼のこの⾔葉を信じないんじゃないだろうか。いや、むしろ、彼⾃⾝が⼀番驚くかもしれない。多分「僕そんなこと⾔ったっけ(笑)」みたいな感じで、お得意の愛想笑いを⾒せてくれるだろう。

「⾃分のことを誇りに思っている」だなんて、そう簡単に⼝にできるだろうか。それも、旧友の前で、真剣な眼差しで。今だって、この先だって、胸をはってそう⾔えるかあまり⾃信がない。当時の⾃分は、勝⼿に彼を⾃分と同じ類の⼈物だと、そんなことは⾔えないと思い込んでいた。

実際、彼の昨年度の卒業ブログのタイトルは「他⼈軸」であり、まさに⾃分の思い込みと彼の⾃認(他⼈軸における、⼈を気にする側⾯)は⼀致している“はず”だったのである。しかし彼は、ア式⼊部後の2年間で、なにか⾃分を変える⼿がかりを掴んでいたらしい。あの⽇の彼の⾔葉には、確かな⾃信がそこにはあった。(僕の期待を⾒事に裏切ってくれた成⻑物語は、彼のブログで⾚裸々に語られているので是⾮⼀読ください。)


僕は、彼の⾃信に満ちた態度と⾔葉に⾯⾷らった。


正直、とても羨ましかった。


⾃分は⼤学1年で怪我を⾔い訳に他部活を辞めていた。それから2年の夏頃までは、バイトや飲み会、旅⾏でなんやかんや楽しい⽇々を送っていたつもりだった。好きな時間に寝て起きて、好きなことを好きなだけできる。もう11時に家に帰宅してベッドで寝落ちする必要も、朝6時から⾷事を詰め込む必要もない。完全に⾃由の⾝である。

しかし、聞こえはいいけれど、その実ほとんど家のベッドでゴロゴロしていて、終わった⽣活だった。新しいサークルに⼊ろうにも、正直やりたいことはなかったし、⽚道2時間近くをかけてまで⼊りたいと思える場所はなかった。正直本当に暇すぎたので、もし今部活をしている⼈で、こういった理由で退部を考えている⼈は本当にオススメしない。(もちろん、他に前向きな理由があるなら話は別だけれど)

こんな感じで、退廃した⽇々を送っていたため、監督としてチーム全体の指揮を執っていた近岡と、冒頭の⾔葉をくれたA君の活躍はあまりに眩しかった。⾃分が1年浪⼈していた間、⼾⽥さんの元で磨かれていた彼らと⾃分との間には、1年じゃ到底埋まらないような差があり、⼿の届かないような存在に思えた。


当時の⾃分にとって、ア式は憧れに近いような存在だった。


負ければ賊軍とは⾔うけれど


⼊部前のこうした背景もあって、⾃分にとって「誇り」という⾔葉は⼀つのキーワードになっていた。

「誇り」という⾔葉はこの部活で何かと⽬や⽿にすることが多い。燕脂⾊の横断幕にはデカデカと「PRIDE OF IKYYO」と書かれているし、⽩の横断幕には「⼀橋の誇り⾒せつけろ」とある。昨年度のミーティングでは、近岡もフジも「チームに誇りを持つ」「チームの代表としての誇りを持つ」といった⾔葉をよく⼝にしていた。同期や先輩が話していた、「ユニフォームを着る資格ない」と⼾⽥さんに⾔われたエピソードも、これに類するようなものだと思っている。

苦しいことの多かった今シーズン。結果だけを⾒れば惨敗の連続で、チーム状況も相まって、なかなかそういった⾔葉が⽬や⽿に⼊りづらかった。シーズンを総括してチームを誇らしいとは⾔えないし、そうすべきでもないだろう。

しかしながら、今シーズンは誇れる瞬間がなかったかというと、断じてそんなことはない。⾔葉や⽂字で形にしなくとも、チームやチームメイトを、その成⻑を誇らしく思う瞬間は何度もあった。

伊崎が、1年ながら誰よりも闘志を持ってプレーしていたこと。れんせいが、いつの間にか、⾒違えるようなフィジカルになっていたこと。桑島が、⼤怪我をしても腐らず、試合に復帰したこと。⾚⾦が、声を出してチームに指⽰をだしていたこと。

あるいは、アウェイの帝京戦、0-8でチームが意気消沈する中でもまっちゃんを筆頭に応援団の声援が鳴り⽌まなかったこと。⾃分の不甲斐なさと、応援の逞しさとの乖離で、いつかと同じ眩しさを感じた覚えがある。

もちろんこれ以外にも挙げたらキリがない。毎⽇、同じようなことを繰り返してきた⾃分だからこそ、よいことも悪いことも、些細な変化に気づくことが多かったと思う。飯⾏った時の⾷事の量、体幹の姿勢、基礎練の丁寧さ、試合前アップの雰囲気、等々。

他の選⼿やスタッフ達も、⾃⾝やチームを誇らしく感じる時は幾度となくあるだろう。⼈によってその基準やタイミングは違えど、数多あるその瞬間、その感覚こそがア式を続ける最⼤の理由の⼀つであり、次の試合・練習への糧となるのだと思う。屈辱のシーズンだからと⾔って、そのプロセスの全てが無駄だったわけではないだろう。


PRIDE OF IKKYO


今シーズン、最もチームを誇らしく感じられたのは、後半戦、⼩平での⽇⼤⽂理戦である。残留に望みをつなぐ⼀勝を挙げたことはもちろんだが、何よりチームとして積み上げたものがピッチに表現されたことが嬉しかった。

3 枚でのビルドアップ、442のブロック、局⾯での⼀対⼀、どれも⾃分達がシーズンを通して注⼒してきたものだ。中でも特に前半にあげた先制点、篠⽥の内巻きのクロスで⼤外を狙った形からの得点だったが、これが何より嬉しかった。スカウティングで明確に想定していた形だったからだ。

今シーズン、フィジカルコーチとは銘打ったものの、⽬に⾒える変化は到底産み出せていない⾃覚があった。(寄せ書きではそこを⾔及してくれる後輩もいたし、⾃主練で⼀部明確にゴツくなっている選⼿もいましたが)⾃主⾃律を重んじる部の雰囲気に⽢えて、選⼿達を諦めるフリをして、実際には⾃分に諦めをつけただけだった。もっと体幹で⼝すっぱく注意すべきだったし、練習内でフィジカルのメニューを増やすべきだったし、トレルにいる後輩にセットの組み⽅とか指導できたはずだった。

だからこそ、密かに⾃分が多くの時間を費やしたスカウティングで、⽬に⾒える形で結果が出た時は嬉しかった。もちろん、その背後で何⼗回、何百回と情けない思いをしていたのは確かだが、あの⽇、あの瞬間だけはいつかに⾃分が志した姿に近づいたような気がした。

しかし結局、その⽇以降は気鬱な⽇々に逆戻り。なかなか⽇⽂戦と同じような感覚は得られなかった。それでも、それでもあの⽇の煌めきは、間違いなく⾃分の⼤学4年間で1番のものだった。ア式に⼊ってよかったと、⼼からそう思えた1⽇だった。


最後に


⼼も体も⼲涸びていた2年⽣の夏、⼩平グラウンドで、駒沢の商東戦(今回は⾔及してないですが)で、そしてうどん屋むぎきりで憧れた姿に、少しでも近づけた瞬間があったのは何よりの幸せでした。

そんな幸甚の⽇々を過ごすことができたのも、関わってくれたみなさんのおかげです。

部活をずっと⽀援してくれた家族、きっかけとなったA君と近岡、チャンスを与えてくれたフジや⽊室さん、⾃分を受け⼊れてくれたア式のみなさん、そして何よりシ式の皆に⼼から感謝しています。本当にありがとうございました。

鈴村哲平


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