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怪我が教えてくれたこと|桑島晴

Profile
#30 MF 桑島晴
出身高校:麻布高校

テクニックとスピードを活かしたドリブルで敵陣に切り込むFW。大怪我を負い長期離脱を余儀なくされるも、謙虚に地道な努力を積み重ね、トップチームへの復帰を果たした。

こんにちは。
引退してから2ヶ月、すでに3回体調を崩し、免疫力がこんなにも低下していることに驚きを隠せません。
ア式の活動が知らず知らずのうちに健康を支えていたことを思い知らされています。この調子だと社会人をやっていける気がしないので、健康のために運動を始めようかと思います。

さて、卒部ブログですが、ア式でのラストシーズンについて書きたいと思います。シーズンの序盤に大怪我を経験し、今シーズンはサッカー人生で最も悩み苦しんだ1年間でした。この1年間で感じたこと、学んだことについて素直に書いてみたので、最後まで読んで頂けると嬉しいです。


最高学年になってから約1ヶ月が経った11月19日。

その日は上智大学との練習試合で、 2ヶ月の負傷離脱を経て、久々にスタートからの出場だった。新体制で遅れをとっている自覚はあったし、このチャンスを活かそうと意気込んでいた気がする。

そんな試合でのこと。後半の10分くらい、相手のタックルを受けバランスを取ろうとした瞬間、「バキッ」という鈍い音が体中に響き渡り、膝に激しい痛みが襲った。

その瞬間はとんでもなく痛かったけど、試合後は歩ける程度には回復し、家まで自転車で帰れるくらいには元気だった。同期に「来週はオフ貰うわー」なんて冗談言ってた気もする。今まで経験したことのなかった痛みに動揺はしながらも、まさか自分が大怪我をするはずがないと、どこか楽観的に考えていたのかもしれない。

翌日、目覚めると膝が動かなくなっていた。状況の深刻さを悟り、病院に行くと、先生から「靭帯を損傷している可能性がある」と言われた。そして松葉杖を渡され、2日後にMRI検査を受けることになった。自分には無縁だと思っていた大怪我が急に現実味を帯び、不安で仕方なかった。何かの間違いであってくれと願うばかりだった。

診断結果は、前十字靭帯断裂。全治8ヶ月と告げられたとき、頭が真っ白になった。覚悟はしていたつもりだったけど、受け入れられなかった。タクシーで家に着き、鍵を閉め1人になった瞬間、涙が溢れ出てきた。自分のサッカー人生のラストイヤーが台無しになってしまったことが信じられなかった。

しばらくは流石にショックで何も手がつかなかったけど、復帰については案外すぐ前向きになることができた。

リハビリが順調に進めば7月には復帰でき、引退までに3ヶ月残されている。もちろん短いけど、ゼロではない。18年続けてきたサッカーを、やっぱりピッチの上で引退したい気持ちが強かった。そして、ありがたいことに復帰を応援してくれる人、もう一度一緒にサッカーをしようと言ってくれる人がいて、その人たちの期待に応えたいと思った。

何が何でも戻ってやろう。そう決心し、長きにわたるリハビリ生活が始まった。


怪我から1ヶ月後、手術を受けた。術後の1週間はまさに地獄だった。全身麻酔から目覚めた瞬間、悪寒と耐え難い膝の痛みに襲われた。膝は普段の2倍ほどに腫れ上がり、足には全く力が入らない。寝返りを打つことも、トイレに行くことすら自力ではできなかった。

手術後にこうなることは事前に聞かされていたが、20年大きな怪我や病気もなく生きてきた人間にとって、目の前の現実はあまりにも重かった。病院の個室で孤独と不自由を感じながら、「もう2度とサッカーができないのではないか」という不安が心の中で膨らみ続けた。

年が明け、部活が再開する。
元気にサッカーをしている皆の姿を見ると苦しくなる気がして、しばらくは練習に行く気になれなかったが、3月頃からようやく顔を出し始めた。

グラウンドの端っこでリハビリをしていると、惨めに感じることもあった。リハビリは毎日膝のストレッチや筋トレを地道に続ける日々。膝がどれだけ曲がるかを確かめ、ジョギングをして、その度に膝の状態に一喜一憂していた。皆が現状より上手くなるために日々プラスを積み重ねているのに対し、自分はひたすらマイナスをゼロに戻す作業をしているようで、なんだか虚しかった。

リーグ戦が開幕すると、その虚しさはより強くなった。皆が1部リーグの舞台で、技術や体格に優れた相手に恐れることなく戦っている姿を見るたび、外から見守ることしかできない自分が情けなく、あまりにも無力だった。またどこか他人事で、チームが連敗を重ねても皆と同じように悔しく感じることができない自分がいた。

2年生の頃から試合終盤に投入されることが多かったものの、リーグ戦に出場させてもらっていた。出場時間が少ないながらも、ア式の一員として勝利に貢献している実感があった。それだけに、4年生になってこんな形になるとは思いもしなかった。

リーグ戦の舞台は特別な空気感があり、大好きだった。特に2年時の駒沢での商東戦は強く記憶に残っている。大勢の観客の前で、試合終盤に出場し、緊張で心臓が高鳴りながらも必死にプレーした。たったの5分だったけど、試合終了のホイッスルが鳴り、勝利した瞬間の喜びは忘れられない。その記憶が余計に、「怪我さえなければ」と試合を見るたびに思わせた。


けれども、その気持ち以上にア式の試合を見て勇気をもらうことが多くあった。

リハビリ生活は想像以上に辛かった。どれだけリハビリを頑張っても、引退までに復帰できる保証はないし、復帰できたとしても再断裂の可能性は10%近くある。また、ア式にはプレイヤー以外にも活躍の機会が多くある。さらに言えば、ア式の外に出たら1年あれば色々な経験ができるだろう。復帰を諦める理由なんて、探せばいくらでもあった。

そんな中でもリハビリを続けられたのは、紛れもなくア式の試合のおかげだった。仲間の奮闘する姿を見て、「自分ももう一度この舞台に立ちたい」と強く思わせてくれた。特に同期の活躍は嬉しくて、励みになった。

リーグ戦に出場する選手には、たとえ上手くプレーできなくとも、部を背負って必死に戦う姿は誰かを勇気づけられるかもしれないってことを理解してほしい。少なくとも自分は皆のプレーに力をもらった1人です。

7月、リハビリの成果が出始め、少しずつ動けるようになった。残り4ヶ月、Bチームから再スタート。

8ヶ月ぶりにサッカーができたとき、嬉しくて仕方なかった。全ての感覚が新鮮だった。その日の練習は、パスはズレるしトラップは浮くし、チームの中で自分が1番下手だったと思う。それでも、思うようにプレーできなくても、仲間と一緒にサッカーをするのが本当に楽しくて、改めてサッカーが好きなんだって再確認できた。

夏オフ明けから、対人メニューにも参加するようになった。

リハビリ期間は復帰することが1番大きな壁で、復帰さえできればなんやかんやリーグ戦に出れると信じ込んでいたが、大きな誤ちだった。

コンディションが一向に上がらない。

8ヶ月の代償は大きかった。息はすぐに切れ、スピードも落ちた。再断裂を恐れて、自分が得意としていたドリブルもぎこちなくなってしまった。

リーグ戦に早く出たいのに、自分が望むようなプレーができなくて、Aチームに上がることも難しかった。今までできていたことができなくなってしまっている、と感じる瞬間が多々あったのが結構精神的にきつかった。

それでも自分ができることをやっているうちに、少しずつ体が動くようになっていった。

最後に出場した練習試合。

右のシャドーで出場し、前半の終了間際のこと。味方からスルーパスを受けてサイドを抜け出し、ドリブルでポケットに侵入する。そして相手のGKとDFラインの間にクロスを流し込み、ゴールをアシストした。

決して特別なプレーではない。でもア式に入ってから何度も練習して、自分が得意としていたプレーだった。

このプレーを最後の試合でできたことで、救われた気がした。以前みたいな積極的なドリブルやプレスは最後までできなかったけど、自分らしいプレーがようやくできた。長かったリハビリの日々が報われたようで、ここまで頑張ってよかったと初めて自分を肯定することができた。

リーグ戦最終節、ピッチの外から試合を眺めていた。とうとう最後まで、リーグ戦のピッチに立つことは叶わなかった。

実力が及ばなかったと割り切っていたつもりだったけど、リーグ戦の舞台に戻ることを目標に頑張っていたから、やっぱり悔しかった。

何よりも、自分を応援してくれていた人にリーグ戦でプレーする姿を見せることで恩返しすることができなかったのが本当に残念だった。


手術をしてから、もうすぐ1年が経つ。この1年を振り返ると、やはり怪我に狂わされたことばかりだ。もっとリーグ戦でプレーしたかったし、念願のリーグ戦での得点も決めたかった。「怪我さえなければ」って何度思ったことか。

ただ、選手としての正解はリーグ戦に出て活躍することだけではないのだと思う。私は怪我により理想とは離れた選手生活となったが、その経験にも意味があり、気付きがあると実感した。

まず、この怪我を乗り越えたことは自信になったし、少しばかりは精神的にタフになったと思う。

また、弱っている時に応援してくれる人の存在がどれほど大きいかを知った。応援が自分にとって1番の原動力になっていたし、人に生かされているなって感じた。

さらに、今まで当たり前にやっていたことのありがたみや尊さを痛感した。一時は足が全く動かなくなり、不自由な生活を送った。そこから松葉杖なしで歩けるようになり、痛みなく走れるようになり、そしてサッカーができるようになった。そのたびに感動し、自分が少しずつ進んでいることを実感した。同時に、あって当然だと思い込んでいた自分の傲慢さにも気付かされた。

辛い経験だったが、だからこそ得たものを大切にしたい。この気付きが自分の中で学びとして活かされたとき、きっと「怪我をして良かった」と思えるはずだ。


怪我に苦しんでいる人へ

サッカーに怪我はつきもの。よく言われることだけど、怪我に対する向き合い方って結構難しいし、わからず悩んでいる人が多いんじゃないかと思う。そこで、怪我に苦しんでる人に向けて、ひとつの考えを書き留めておきます。

「仲間とのつながりを絶やさないこと」
ア式ではピッチ内外でよく言われているけれど、これは怪我人にとっても大切なことだと感じた。

怪我で離脱すると、自分と向き合う時間が増える。その中で、プレーでチームに貢献できなくなってしまった自分の価値を見失うことがある。ひとりで考え込んでいると、その気持ちが強くなることもあるだろう。

しかし、離脱しているからこそ見える視点がある。怪我人は結果に対するしがらみから抜け出す故に、チームを俯瞰して見ることができる。毎日外から練習を見学していると、どうしてもチームや選手の良いところ・改善するべきところが見えてくるはずだ。その貴重な視点を活かすためにも、チームとつながりを保ち、選手やスタッフ達と同じ熱量を持ち続けることが大切だと思う。

さらに、繋がりを保っていれば組織の一員としての実感が強くなり、復帰へのモチベーションに繋がると思う。だから、怪我に苦しんで内向きに考え込んでしまいそうなときは、とりあえずグラウンドに顔を出して、同じポジションの選手に声をかけるとか、スタッフに試合の感想を言ってみるとか、どんな些細なことでもいいから意識的に仲間とのつながりを保つ行動をしてほしい。

それが復帰への道を少しでも早く、より確実にする手助けになると思う。


最後に

長い間応援してくれた両親には本当に感謝しています。不自由なくサッカーに打ち込ませてくれてありがとう。たくさん心配をかけましたが、これからは大丈夫なはずです。少しずつ恩返ししていきます。

またシ式のみんなにもお世話になりました。
良くも悪くも根が似た人が多いからか、皆と一緒にいると居心地が良くて楽しかったです。
練習中のリハビリがどれだけつまらなくても、練習後に皆と飯に行く時間が楽しかったおかげで毎日小平まで通うことができました。ありがとう。これからもよろしく。


この4年間は自分にとって大きな財産です。怪我を経て、思い通りにいかないことも、現実と向き合いもがき苦しむ中で、後になって意味が付いてきて、それが自分の糧となるんだと実感しました。嬉しかったことも、辛かったことも全てが大切な経験です。

ア式に入って本当に良かったです。関わってくれた全ての方に感謝しています。

4年間お世話になりました。

桑島晴

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