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いつのまにか、ここにいる|澁谷亮佑
DF #14 澁谷亮佑
県立柏陽高校出身
事業でも活躍し、常に冷静かつ俯瞰的な視点をもたらす。その一方で、プレー面では積極的にファイトする姿勢を見せる。
澁谷亮佑の最後のメッセージ。
1/4、ようやく卒論の初稿を書き終えた。やっと終わったと思うのも束の間、おそらく、ありがたすぎるほどの多くの指摘とコメントを教授からいただき、後日大量に修正することになることだろう。だが、大学生活も残りわずかである。最後まで、味がなくなるまで、大学生に課せられた最後の課題を噛みしめてやろうじゃないか。
さて、ア式のブログを書かなければ。卒論を言い訳に、かなり提出期限を延ばしてもらった。申し訳なさと同時に、最後のブログとして何か後輩に残るものを書きたいという気持ちと、書かなければならないという使命感に駆られている。
だが、なかなか書くべきことが思い浮かばない。ア式に関して書きたいこと、後輩に対して伝えたいことはすべて書き尽くした気さえする。それは、引退してからだいぶ時間が経ったためか、引退前に半ばふざけて、半ば真面目にブログを書いたばっかりであるためだろうか。
でも、どうせ書くなら、これからを過ごすア式の後輩に向け、何か有益なものを残したい。最後まで読みたくなるようなものを残したい。そこで、ア式での生活4年間のすべてを振り返り、そこで体験した選りすぐりの4つエピソードを紹介することとしよう。ア式やサッカーへの思いを綴ったブログをお求めの方は、過去のブログをお読みいただきたい。同期のみんなは、もっと真面目な内容を書いているだろうから、このブログは箸休め程度に読んでいただきけると幸いである。
少々長くなるかもしれない。読むのに飽きたら”いいね”だけ押して、そっとページを閉じてほしい。
それでは、さっそくエピソード1から紹介しよう。いきなりメインディッシュは重いので、まずは軽めの前菜から。
エピソード①
“当時大学1年、公式戦に寝坊し、信頼と多額のお金を失う”
これは、大学1年、まだ多くの公式戦が他大学のグランドで行われていた時の話である。1年として、部の荷物(確かマーカーとか)を任されていた澁谷は、なんと当日寝坊してしまい、部に多大な迷惑をかけてしまったのである。謝罪してもしきれるものではない。今でも深く反省している。焦った澁谷は、慌てて家を出て、タクシーに乗り込み試合会場へと向かった。タクシーは総額約8000円。遅刻による信頼とタクシーによる多額のお金を失うこととなった。
ここでの過ちは寝坊とタクシーに乗ったこと、この2点である。まずは、寝坊に関して。当たり前ではあるが、寝坊はしてはならない。遅刻は癖になるから、大学生のうちに直しておこう。次の日に朝早くから部活がある場合は、早く寝る、前日に家を出る時間を調べて、そこから逆算して起きる時間を決め、アラームをセットする。1度のアラームで起きられないなら、5分刻みにアラームをセットする。これ、基本なり。次に、タクシーに関して。タクシーに乗ったことは、最大限急いだことを証明するためのパフォーマンスにはなったかもしれない。が、後ほど調べたところ、タクシーよりも電車で会場に向かった方が早く到着していたことが判明した。通常通り電車に乗っていれば、タクシーよりも20分くらい早く着いたところを、タクシーに乗ったがために、到着が大幅に遅れ、しまいには多額のお金さえ払う羽目になったのである。
ここから得られた教訓は、いかなる時も冷静に状況を判断し、最善の決断を下すことである。当時の自分は遅刻への償いに全力を尽くしたが、最善な判断ではなかった。“全力と最善”は違う。「いかなるときも冷静に、そして最善の決断をすること」、これを肝に銘じてほしい。
自らの名誉のために付け足しておくが、ア式において遅刻したのは、この”1回”だけである。
エピソード②
“食あたりしてもなお、バイトに勤しむ”
これは、まだ月木がオフだった時の話である。どうしても旅行に行きたかった澁谷とその同期の2人は、水曜日の練習が終わるや否や、成田空港へと向かい、博多へと飛び立った。1泊2日の弾丸旅行である。夕方ごろに到着。宿泊場所に荷物を置いてから、屋台ラーメンを食べるため、天神へと向かった。3人で屋台ラーメンと揚げ餃子を食し、屋台ならではの味を楽しんだ。念願の旅行を楽しむなか、事態が急変したのは2日目である。これは、太宰府天満宮に行った帰りのころだったろうか。急に1人の同期が腹痛と吐き気を訴えたのである。薬局で薬を買い、事態はおさまりかけたと思ったバス内、急に嘔吐し始めたのである。しかも、なぜか彼は満面の笑みで、心配する2人を見つめてくるのだ。何かカバンの中を探っているようだ。飲み物を取り出すのであろうか。いや、ちがう。彼が取り出したのはパソコンであった。嘔吐するや否や、在宅バイトの締め切りを思い出し、バスの車内で作業を始めたのである。彼のまたの名を、ビッキーというのはここだけの話である。
おなかが弱い奴に屋台飯は食べさせてはならない、皆も肝に銘じてほしい。特に旅行中であるなら言うまでもない。ちなみに彼は後日、胃腸炎であることが判明した。
エピソード③
“高級焼肉店で分割払いを試みる”
これは、大学2年の3月ごろだっただろうか、当時仲良くさせていただいた先輩にサシで高級焼肉店に連れて行ってもらったときの話である。この先輩は金欠で有名であったが、サシなら焼肉をおごってくれるということで、先輩のご厚意に甘えることとした。楽しい食事の時間も瞬く間に過ぎ去り、会計の頃合いとなってしまった。お店の方がテーブルでの会計を促す。先輩が出したクレジットカードはなんとFCバルセロナのデザインのクレジットカードであった。しかもそれは、まだイニエスタ、シャビ、メッシとかがいたころのデザインだった。驚いたのはそれだけではない。真剣なまなざしで店員さんに、「3回払いはできますか?」と聞いたのである。戸惑いながらも、店員さんは、「確認してまいりますね」とその場を去った。思わず笑ってしまいそうになったが、先輩はあまりに真剣な顔をしていたので、一生懸命我慢した。少し経って戻ってきたかと思うと、申し訳なさそうな顔で、「この店では、お会計で分割払いは承っておりません。」と返答した。この店員さんも、この店で分割払いを頼まれるのは、最初で最後だろう。のちほど、別の店員さんがテーブルに来て、基本的に飲食店では分割払いはできませんよ、と優しく教えてくれた(笑)。
いや、これは金欠だったのではなく、僕と店員さんを笑わせるための先輩なりのジョークであった、そう信じたい。それにしても、このカオスな状況で笑いをこらえるのは無理な話である。文字では伝わりきらないこの感じがとても惜しい。
ちなみに、この先輩は引退してからも、お寿司に連れて行ってくれた。今まで会ったなかで、一番面白く、優しい先輩である。
また、あの先輩と一緒にご飯に行きたいと思いながら、この出来事を書き残す。
エピソード④
“いつのまにか、ここにいる。”
大学1年の4月下旬ごろだっただろうか、それとも5月の上旬ごろだっただろうか、詳しくは覚えてはいない。同期のなかでは、ちょっと早い方、そのくらいのタイミングだったはずだ。一橋大学ア式蹴球部に入部した。当時は新型コロナウイルスが猛威をふるう前であったから、今とは少し違う入部方法だった。練習体験をした後、部員の全員が見守るなか、新入生1人ひとりが入部確率を0~100%で答えなければならず、100%と答えればその場にいる部員から歓迎のあいさつとして、胴上げをしてもらえる、そんな形式だった。
入試とか、就活とか、合格したその日が一番うれしい瞬間とか言ったりするけど、この時の自分はそれに近かったかもしれない。自分は100%と言えるまで、3回くらいかかったけど、自分が入部するよりも前に入部を決意し、部員から胴上げをされている様子を何度か見た。なぜか、その時の自分は、先に決断し、入部していく人たちの姿が羨ましかった。みんなから胴上げをされていて、幸せな顔をしているように見えた。これから始まる大学生活、ア式での生活に胸を高鳴らせているように見えた。こういう奴らと4年間一緒にいられたら楽しいかもな、自分も早く胴上げされたいや。その程度の気持ちだったかもしれない。
“いつのまにか、ここにいる”。
もしかしたら、また本気でサッカーがしたいとか、高校の部活で悔しい思いをしたから大学でその悔しさを晴らしたいとか、たいそうなことを話していたときもあったかもしれない。でも、いま冷静に考えれば、それは自分がア式に入部したことを正当化するための戯言でしかないように感じる。あ、ア式に入ったけど、そしたらまた本気でサッカーできるじゃん、どうせまたサッカーするなら高校の時の悔しさを消化したい、そんな感覚である。要するに、単なる後付けでしかない。
極論を言ってしまえば、自分はア式じゃなくても充実した大学を送っていたとさえ思う。勉学に勤しみ、留学に行って、英語が堪能になっていたかもしれない。アメフト部に入って、ムキムキになっていたかもしれない。冷たい言い方にはなるが、別にどれでも良かった。
ただ、1つだけ強調して言っておきたいことは、”ア式に入部したことに後悔はしていない”ということだ。
それは、自分のなかで、過去のちっぽけな決断を立派なものにできるほど、4年間の活動に最善を尽くすことができたからだ。最低限、自分なりにこのア式に対して貢献できることを模索し、自分がこの部活にいる意味を考え、実際に行動に移してきたと思う。そういった”ア式にいたころ”の話は、今までのブログでも散々触れてきた気がするから、ここでは割愛する。上に挙げたような3つのエピソードたちは、それらに付随するかたちでやっと、ア式にいたからこそ経験できた貴重なものであったと振り返ることができるのだと思う。きっと、楽しいことばかりが先行してはいけない。頑張った4年間があるからこそ、引退してからの自由な時間が、これまでにもないくらい楽しい時間に感じるのと同じように。
決して説教をしたいわけではない。元来、人に注意したり、説教したりするのは嫌いな性分である。ただ、今のア式には過去の自分以上に、”何となく”入部した人たちが多いように感じてしまう。それはコロナの影響で充分に他のサークル、体育会を検討する機会がなかったからかもしれない。そのうえに、入部してからも、何となく過ごしている人も多いように感じてしまう。でも、この大学の4年間は、適当に過ごすにはあまりにも長すぎる。遅刻・サボりなんてもってのほかである。そんなことをしているなら、ア式じゃなくてもっと直接的に将来に役立つことをやった方がいい。ア式を離れ、ア式以外の人と会う機会が増えたからこそ、今更ながら強く思う。入部理由は、”何となく”でも構わない。それでも、入部したからには、自分がこのア式でできることを常に模索し、自分がこの部活にいる意味を考え、目的を考え、この時間は無駄ではなかったと、後悔のない4年間を過ごしてほしいと心から思う。
最後に、長くなったので一言だけ。
意味ある4年間を。
それではまた逢う日まで。
#14 澁谷亮佑