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ハッピーエンド|笠置悠真

Profile
#10 FW 笠置悠真
出身高校:県立稲毛高校

細かいタッチのドリブルとアジリティが持ち味のFW。今季は10番を背負い、相手の厳しいマークに遭いながらも、攻守にピッチ上で躍動した。

こんばんは。笠置悠真です。

部活を引退したら暇すぎて鬱になるんじゃないかなとか思っていましたが、引退してからというもの、卒論と資格試験と旅行とで大忙しの日々を送っています。これまで部活で旅行に行けなかった分、誰かに誘われると嬉しくてつい行ってしまいます。来月のクレジットカードの支払いができるのか不安には思うのですが、家計簿をつけるのも面倒くさく、来月にはたんまりお金があるはずだと信じてしまい、出費が止まりません。

ちょっと強引に話を繋げますが、サッカーにおいてもこの嫌なことは避けてしまう怠慢な性格はすごく現れていたと思います。一方でそんな怠慢さも、ア式で過ごした4年間が少しはマシなものにしてくれたとも感じています。
拙い文章だとは思いますが、大学の四年間で自分のこの性格がどれくらい変えられたのか、皆さんと一緒に振り返っていければなと思います。


「焦りと油断」

中学、高校の部活では下級生の時からずっと試合に出ていた。そんな環境で6年を過ごしていた私は、大学のサッカー部でもすぐにスタメンで出られるんだろうなと思いながら入部した。

だが現実は違った。

何人かの一年生が先輩に混じって練習しているのを横目に、残りの新入生と一緒に別メニューをさせられていた。練習試合でも出番が回ってくるのはいつも周りの一年生より遅く、最後の方だった。周りより劣っているのが悔しかったし、自信が一気になくなった。

「このまま行くと、4年生になってもベンチ外だ」

そんな不安と焦りを感じた私は、ジムに入会する。午前に練習をしてから午後ジムでトレーニングをして家に帰る。そんな生活をするようになった。その後1ヶ月が経つと、浪人生活で失った体のキレが戻り、徐々に練習試合での出場機会も増えていく。

5月のある日、Aチーム招集の連絡が入る。嬉しかった。トレーニングの成果が出たな、頑張ってよかったなと思った。そこからはとんとん拍子でベンチ入り、公式戦初出場とステップアップしていくのだが、この辺りで、ゴールが見えると油断して手をぬく、という悪い癖が出始める。

「ああ、もうこのままいけば最悪でも来年には試合に出られるな」

そんな思いは、練習や試合での態度にも現れていたのだろう。試合中、練習中走るべき場面で歩き、練習メニューのルールを聞き飛ばす。そんな姿勢はすぐに監督の目に伝わる。Bチーム落ちを伝えられ、そのままこのシーズンを終わってしまった。


「サイドハーフとしての未来はない」

入部して最初のシーズンを終えてからも、低いモチベーションと練習態度は相変わらずだった。このままでも四年生になれば試合に出られるだろう。そんなぐらいに思っていた。

2年生になってからは怖い先輩もいなくなり、ゆるーい雰囲気で練習していた。サッカーとは関係ない内容のおしゃべりをしながら、ドリルメニューをこなし、週末に試合をしてそのまま居酒屋に行くという、およそサッカー選手とは思えない体たらくな生活をしていた。

そんなある日、Bチームの監督から連絡がきた。いつも通り練習試合を終え、同期と食事をしている時だった。その日私は、練習試合にもかかわらず15分程度しか試合に出ることができていなかったのだが、その理由が監督から送られてきたのだった。私が試合に出られない理由はこうだった。

「練習態度が悪く、成長意欲が低い選手は使えない」

練習態度が悪いことでAチームを落とされ、また同じ理由で、今度はBチームでも試合に出られなくなったんだと思うと、本当に情けなかった。その返事に続けて、

「ユウマがサイドハーフとして活躍する未来は見えない」

とまで言われてしまった。(ここまで鋭い言葉ではなかった気もするが、伝えたいことはこんな感じだったと思う。)

入部してからずっとサイドハーフでしかプレーしてこなかった私にとって、その痛烈な言葉は、ものすごく胸に刺さった。同期の中で一番最初にAチームに上がったことに満足してサボっている間に、自分が公式戦に出る未来は無くなったんだなと思うと、絶望感が押し寄せてきた。


「他人を応援できない弱さ」

サイドハーフとしての未来を失ったのと同じくらいの時期のことだ。
サッカーの話からは少し逸れるが、私はずっとア式の応援の文化が嫌いだった。ベンチに入れなかった自分が、ベンチ入りした選手、つまりは自分が競争に負けた選手を応援することは悔しくて受け入れられなかった。自分はプレイヤーでサポーターでは無いし、まして同期が試合に出ているのに何で応援しなければいけないんだと思い、口パクをしたり小さな声で応援したりして逃避し続けていた。
しかし、ある日当時の四年生に「お前、声出してないだろ。一回お前が仕切って応援してみろ」と言われ、応援の指揮を任されてしまう。正直、面倒くさいなと思った。声出したって出さなくたって試合結果は変わらないだろう、くらいに思っていた。
そうは言っても、先輩に言われる限り声を出すほかにないのでその日は、仕方なく嫌々応援を引き受けた。

それからというもの、時折指揮を取らされるようになり、その時もずっと心から応援しているわけではなかったけれど、気づけば形だけでも、声の大きさだけでも応援ができるようになっていた。今思えば、この変化がサッカーにも良い影響を与えていたかもしれない。苦手なこと、やりたくないことから逃げ続けていた自分が、この時から徐々にそれと向き合い始めるようになっていく。


「他の人にない自分の長所」

応援をするようになったからだろうか?W Gとしての未来がなくなったからだろうか?試合に出られない期間が続いていたある日、ふと一年生の時に監督から課題として言われたこんなことを思い出した。

「試合中に歩くような選手はいらない」

思えば私は、ボールを持っている時のみに焦点を当てて、どうすればボールを上手く扱えるか考えていた。しかし、本当の課題はボールを持っていない時にあるのではないか。ずっと、ドリブルで打開して得点を取る華々しい選手になりたかった。一方で、それを言い訳に守備をサボる選手になってしまっていた。

それに気づいてからは、練習への集中力も態度も変わり、守備にも力をいれるようになる。味方がボールを取られたら一目散に自陣に戻ってボールを回収する。泥臭く相手にくらいつきボールを奪い取る。自分の好きな華麗なプレーではないが、日に日に守備への意識が変わりボールも奪えるようになっていった。

それから少し経って、ベンチ外が続いていたある日、急にAチームでベンチ入りできるようになった。監督から言われたメンバー入りの理由は単純だった。

「頑張ってたからメンバーに入れた」

ちゃんと見てくれているんだと思った。報われた瞬間だった。自分がどんな形でチームの役に立てるのか見通しが立った瞬間でもあった。そして、3年生として迎えたリーグ開幕戦のメンバー発表。スタメンだった。3年生になって初めてア式でスタメンとなったわけだが、その理由は、練習中に監督の言うことを理解して頭に入れるようになったこと、ここぞという場面で走れるようになったことが大きかったと思う。結局この年はスタメン出場は少なかかったものの、ほぼ全ての試合で途中出場し、自分に求められている泥臭いプレーを試合で実現することができた。


「1人は無理でも何人かいれば」

4年生になってからは、出場時間も増えてきていて前年度よりは間違いなく満足度の高いシーズンだった。一方チームは負け続きで、最終学年になって初めて自分が良いプレーをするためだけでなく、チームを勝たせるためにというのを考え始めるようになった。周りの選手とのコミュニケーションを自分からとりにいくようになったが、ただそれだけではあまりチームの状況は変わらなかった。そんな時間が積み重なるうちに、毎週末試合が近づくのが億劫に感じるようになってくる。相手チームにボコスカやられる試合をまた応援してくれる人に見せるのかと思うだけで、試合に出るのが嫌になっていった。

そんなとき、練習後ラントレをするジュンキと西田を見る。

またきついことから避けてしまっている自分がいることに気づいた。話し合うのももちろん重要だが、攻撃でも守備でもあと一歩届かずに数的優位を作り出せない現状があった以上、走力の向上はチームの勝利に必要不可欠だった。おそらく、自分だけでなく他の同期もそう思ったのだろう。この日から、練習後7,8人の同期でランニングメニューをするようになる。きつかった。だけど、走りからくる肉体的なキツさだけだった。私は継続することができない、気持ちの弱い人間だ。ただ、みんながやっているならと思うと継続するのは簡単だった。

それから数週間後、リーグ後期の学芸大戦を迎えた。
前期に6点取られた相手だった。自分も他の選手もとにかく走っていたのを覚えている。前半から耐えて耐えて、後半先制点が入った。そこからの全員の集中力はものすごかった。とてつもなく大きく轟く応援に力をもらいながら、何本もダッシュして何度もゴールからかき出して。結果的に失点して引き分けに終わったけれど、その後の試合で勝てるようになったきっかけとなる重要な試合にすることができた。

試合後には、監督や同期から「お前今日スーパーだった」「あの終盤であれだけ走れるのか」とたくさんの賞賛の言葉を受けた。泥臭さという自分の良さが全面に出すことができ、ものすごい達成感を感じたのを引退してからもよく思い出す。


いかがでしたでしょうか。先輩、同期、後輩に鞭を打たれながらではありますが、少しは、しんどいことにもチャレンジできる根気強さが身についたのかなと思います。

個人的にはバッドエンドよりも、ハッピーでめでたい終わり方をするお話が好きなので、自分なりに楽しかったな、あの時結構頑張っていたなと思えるように4年間を解釈して振り返ってみました。うまくいかなかったこと、後悔していることはもちろんあるけれど、トータルでは最後までやり切ってよかったなって思います。

それと、怠惰な自分がアドバイスするのもおこがましいですが、後輩のみんなには、最後の最後まで諦めずに頑張って欲しいと思っています。

練習で、食事で手を抜いてしまう時期があったとしても、思い立った時に意識を変えれば遅すぎることはないです。前期リーグで5点も6点も取られた相手に、そのわずか3ヶ月後の後期リーグでは引き分けたり、勝ったりしたほどですから。(多くの試合は負けてしまったわけですけど、、、)もし、私みたいに一人で頑張れなければ、同期と一緒に乗り越えていってもらえればなと思います。

最後に、試合に見にきてくれた方々、先輩の皆さん、後輩のみんな、そしてシ式のみんな、ありがとうございました。特に最後の一年間一緒に過ごした部員のみんな、チームのエースとしての10番ではなく、泥臭いプレーしかできない頼りない選手だったと思うけれど、みんなと一緒に部活ができてよかった。最高の四年間をありがとう!


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