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自分は何者か|皆川開

MF #6 皆川開
筑波大学付属駒場高校出身

豊富な運動量でサイドを駆け上がる。GMとして、チームの一員として、この1年で一気に逞しさを身につけた。

皆川開の最後のメッセージ。

「自分には何もない」

 去年の今頃、新チームが始動するタイミングでそう感じていた。

 大学2年から3年にかけて戸田前監督の下でいただいた幾度のチャンスをふいにした自分の情けなさ、弱さに失望し、挫折から完全には抜け出せないでいた。部員のブログを読めば「そんなこと考えもしなかった」と自分の浅はかな思考に恥ずかしさを覚えた。就活も相まって自分を見つめ直す中で、自分の長所と考えていたユーティリティ性は、ただ自分に長所がないことを説明してるだけだと感じるようになった。そして、周囲をリードできるほどの実績がなく、ひいては後輩と上手く接することができない自分がGM、幹部を務めることの意義を完全に見失っていた。

 それに追い打ちをかけるように、大会1ヶ月前の2月に左手薬指の骨折。

 周りを心配させないよう明るく振る舞っていたが、正直焦りと絶望を感じていた。ア式生活の終わりが見えてる分、骨折による不自由な生活への辛さ以上に「自分は変われないまま終わってしまうんじゃないか」という思いが強かった。

 3月のアミノ杯 vs.山梨学院大。チームは大敗を喫したが自分には何も響かなかった。何も残らなかった。怪我で出れなくても一緒に闘う、ということが出来ない自分に腹が立った。

 4月、リーグ開幕。復帰が間に合い、右SBとして先発でプレーもしたが、自分の中で何かが足りなかった。昨年に比べてプレーの内容は断然良くなったと分かっているのに、去年までの弱々しい自分が時折現れるのを感じた。チームの連勝の陰で、自分は自分としか戦えなかった。

 5月に入るとスタメンを失い、ベンチから試合を見守ることが増えた。サブでも努力を続ける姿、ベンチからチームを鼓舞する姿、限られた出場時間で役割をこなす姿。自分が周りにこんな立派な姿勢を示せたかは正直分からなかった。何より、この先、引退まで変われない自分が容易に想像できてしまった。

「ただ頑張るしかない」そう考える他なかった。

 極めつけは、5/29 vs.東京大学。CBとしてスタメン復帰。東大は因縁の相手で高校同期も出てくる。気持ちを切り替えるには最高の舞台だった。しかし、ピッチにいたのは去年までのダメな自分。練習したことが出来ず自分のプレーに精一杯で、体中から心の弱さが溢れ出ていた。結果的にその脆さがチームに伝播して失点に繋がった。「何も出来なかった」のではなく「ネガティブな結果をもたらした」と今シーズン初めて感じた。

 しかし、そんなドン底ダメ人間にも変わるきっかけはすぐにやって来た。

 6/19 vs.日本大学文理学部。運が重なって自分に再度チャンスが回ってきた。しかも、右ウィング(右サイドハーフ)。ポリバレントを売りにしているにも関わらず未開の地であった。
 走って、蹴って、ドリブルする。ゲームの基本操作のようなプレーだったが、明らかに相手にとって脅威となっていたし、チームにとって新たな攻め手を示せたと感じた。

 途中、顔面出血で交代となり「まだ出来るのに…」と呟いた自分に対する赤星総監督の一言を今でも覚えている。

「お前が一番闘っていたよ」

 この一言に救われた気がした。「自分はピッチでファイトすることができる」そう気付かされた。

 思えば、「自分には何もない」と感じていたのは、本当に何もないからではなく、自分のネガティブな面しか見ていなかったからだろう。

−走力がある
−キック力がある
−対人が強い
−状況によらず努力できる芯がある
−負けず嫌いである
−ハードワークできる

 家に帰ってから考えてみると、自分にはこれだけもの長所があった。思い返せば戸田さんに昔教えていただいた内容と一致していた。

 今までの変われなかった自分は、周りに短所を隠そうと必死になっていた。そんな奴は負けて当然だった。相手との闘いのリングに上がってすらいないのだから。
 一方で、あの日闘えていた自分は、自分の長所で相手をタコ殴りするために、短所なんて気にしていなかった。割り切った結果、表現したいプレー、相手に勝つためのプレーが実現したのだろう。

 心境が変わった理由が、新しいポジションに適性があったからなのか、新鮮さを感じてプレーできたからなのか、最後の挑戦だと意気込んでいたからなのか、自分には分からない。だけど、結果として「なりたい自分」「ありたい自分」のどちらにもなれたと思う。自分のプレーを好きだと言ってくれる人もいて、ものすごく感動したし報われた気がした。

 自分は、大学2年の時に弱々しい自分に出会い挫折を味わった。そして、そんな自分を変えるのに二年かかった。ア式生活が四年しかないと考えると、二年間のモヤモヤは長いと言えるかもしれない。

 特にその二年間は、自分の弱さを痛いほど思い知った。すぐに緊張するし、緊張で余計な力が入って怪我に繋がる。ミスを恐れて消極的なプレーを選ぶし、ミスしたらだいぶ引きずる。「弱々しいお前の言葉は誰にも届いていない」と言われたこともあった。

 ただその中でも、誰にも当たり負けないよう、怪我をしないよう筋トレを続けたし、シーズン前のラントレでは常に上位をキープし90分間走り続けられるスタミナを手に入れた。メンタル面では戸田さんに教わった自律訓練法を繰り返し、マインドコントロールを試行錯誤した。

 悔しい経験が多い分、得られたものも多いように感じられる。キツい中にも達成感はあったし、自分のことを深く知ることができた。「他人は自分を映す鏡」という言葉があるが、周囲を見て自然と自分の情けなさに気付くことが出来たし、変わらなければという意志のきっかけを周りが与えてくれた。

 今現在、ア式生活が辛いと思っていたり、自らの存在意義(部活を続ける意味)に悩んだりしている人がいるかもしれない。正直に言うと、自分もツラい経験こそあったが部活を辞めたいと思ったことはないし、そう考える人の気持ちをうまく説明できない。だからこそ、悩んで辞める人の考えや気持ちを尊重している。
 でも、「続ける」「辞める」という選択肢だけで物事を考えないでほしい。少し見る角度を変えてみれば、急だと思っていた山道も緩やかになるかもしれない。決して「楽をしろ」ということではなく、「自分なり」の努力をすればいいということ。

 ツラい時には必ず自分の弱さが目に見える。だからこそ、その弱さを受け入れて自分を知る必要がある。部活だからこそ周りには仲間がいる。仲間は弱さを知ってきっと支えてくれる。

 冒頭で「『自分には何もない』と思っていた」と言ったが、自分にはどんな時も支えてくれる人達がいた。素晴らしい先輩、頼もしい後輩、大切な同期。チームを支え、応援していただいたOBの方々。そして、どんな時も一番に支えてくれた両親。

 ありきたりな日常の中で感謝を強く感じることはないかもしれない。だからこそ、引退する時や恩を受けた時に心の底から「ありがとう」と言えるア式生活を送れたら最高じゃないかな。

 最後に、四年間を通して多くの人に支えてもらいました。最終的には何も成し遂げることが出来ず、与える物よりも与えてもらう物の方が多い自分だったと思いますが、人に良い影響を与えられるような人間になれるよう頑張って生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。

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