後悔の、その先で|山﨑惇樹
今シーズン主将を務めた山﨑惇樹です。
今シーズンは一橋大学ア式蹴球部の長い歴史の中でも数少ない、1部という高いレベルのリーグに挑戦する権利を手にした特別な1年でした。そんな中で、保護者やOB・OG、サポーターの皆様をはじめとして、多くの方々からいただいた期待や応援にこたえることができなかったことを、主将として、また一プレイヤーとして心から申し訳なく思っています。
このブログを通して、一橋大学ア式蹴球部を応援してくれる皆様と、自分を支え共に戦ってくれた仲間への感謝、そして再び1部リーグに昇格し定着するために挑戦を続ける後輩たちに向けたメッセージが伝わればと思います。
この卒部ブログは自分にとって、おそらく他の人よりも思い入れの強いものだ。なぜなら、過去の先輩たちが書いた卒部ブログを何度も何度も読み返してきたからだ。どうしても練習のやる気が出ないとき、けがをして試合を外から眺めることしかできないとき、連敗が続きチームが自信を失っているとき、キャプテンとしての立ち振る舞いに悩み苦しんでいるとき。そのたびにこのサイトに立ち寄り、大きなモチベーションをもらって、昨日の自分を超えようともがいてきた。
そんな卒部ブログを書く番が自分にもついにやってきたのかと、時の流れの速さを感じる。先輩たちほどうまく文章を書ける自信はないけれど、このブログが後輩たちにとって、何らかの意味を持つものになってくれたらと願い書き進めていく。
4年間の振り返り
1年生。
戸田さんの存在と新設された人工芝グラウンドの存在、そして何よりも、やるからには本気でやりたいという自分の想いに従って迷うことなくア式蹴球部に入部した。当時のア式は、戸田さんだけでなく威厳のある4年生が緊張感のある雰囲気をつくりあげ、練習中は一瞬たりとも気を抜けない、そんなチームだった。毎日毎日グラウンドに足を運び、がむしゃらになって先輩たちに食らいつく。気がつけば練習は終わっていて、帰路につく。8月にAチームに昇格するが内向的な自分には、話し相手といえば数少ない同期だけで、ただ作業のようにやり過ごす無機質な毎日だった。何のためにサッカーをやっているのか、何のためにア式にいるのか、そこに意味を見出せず、グラウンドに向かうのが苦しくてしんどかった。
それでも、周りのことに目を向ける余裕などなく、ただひたすらに自分が後れを取らないことだけを考えて必死に練習に臨むことができた1年生の半年間は、とても幸せな期間だったなと今振り返って思う。
はたして、今の1年生がそのように感じることができるチーム作りを、キャプテンとして自分はできたのだろうか。答えはおそらく、いや間違いなくNOだろう。緊張感のある雰囲気を作るべきなのか、のびのびと個性を発揮できる雰囲気を作るべきなのか、常に悩み続けてきた。しかし、とうとう答えを見つけることができず引退してしまった。普遍的な答えなどないのだろうが、どちらが今のチームに適しているか考えて舵を切るべきだったと後悔している。
話を戻して、苦しい毎日を送っていた自分に転機が訪れる。忘れもしない、桜美林大学戦でのスタメン抜擢だ。部を代表して戦うという責任に押しつぶされそうになったが、それは監督やキャプテンが肩代わりしてくれた。チームが試合に勝利するために、いや、チームが勝利するための重荷にならないために、必死になってプレーした。結果は4-0、アシストという形で勝利に貢献し本当の意味でチームが勝利する喜びを味わうことができた。それからは、スタメン競争に勝って試合に出場するため、試合で勝利に貢献するためという目標をもって練習に取り組んだ。がむしゃらに練習に臨む姿勢は変わらなかったが、意味を見つけたことではるかに充実した日々を過ごすことができたと思う。
2年生。
正直に言うと、あまり書くことが見つからない。1年生からほとんど成長できていなかったからだ。学年が1つ上がったのに相変わらずおんぶにだっこ状態で、周りのことに目を向けられなかった。チームのパフォーマンスや勝敗に対して責任を持つことが、いや持とうとすることすらできなかった。目の前の試合のことしか考えられず、チーム目標などほとんど意識したことがなかった。だから、シーズンが終了しても自分を突き動かすような大きな感情は湧いてこなかった。
唯一印象的だったことと言えば、駒沢での東商戦だろうか。苦しいチーム状況の中で迎えた伝統の一戦。かつてないほどの声援を受けて、胸いっぱいに高鳴る高揚感を感じながら、試合は始まった。疲れを忘れとにかく走り続けた。ゴールを割らせまいと体を投げ出して戦った。気づけば試合終了のホイッスルが鳴り、1点のリードを守り切った一橋が勝利した。やっとトンネルを抜けられた、次も勝って流れに乗ろう。そんな想いは、1か月の中断期間の中で徐々に薄れていった。夏オフ明けの緩んだチームを変えようとする意志も、実現する影響力も持つことができない、そんな自分を最後まで変えることができなかった。
3年生。
終わってみれば、17勝1分4敗。圧倒的な強さでリーグ優勝を飾ったこの1年。この優勝への貢献度を測るのならば、その判断基準となるのは開幕2連敗の時に何をなし、どんな影響をチームに与えたか、であろう。開幕直後にして最大のターニングポイントを迎えたチームに対し、またしても何もすることができなかった。副将という責任ある役割を引き受けたのにも関わらず、である。人任せで、引っ張ってくれる4年生にいの一番についていけばいい、そんな考えだった。
ショウさんやナベさん、コバさんが先導してくれたおかげで苦しい試合を乗り越えて、チームは面白いように勝ち点を積み重ねていった。ささいな問題など障壁にならないくらいチームがうまくいっていた。強敵を相手にしても、序盤に失点しても、このチームなら必ず勝てる、そういう確かな自信があった。これほどまでに毎日の練習が、毎週末の試合が楽しく充実していたことは自分のサッカー人生の中で初めてだった。
リーグ優勝を決めた最終節の試合後には、ほとんどすべての試合に出場したプレイヤーとして、リーグ最少失点に貢献したDFとして何にも代えがたい喜びを感じた。それでも、自分の中で何かが引っかかるような感じがしたのは、プレイヤーとは別の役割を、責任を、果たせなかった自覚があったからだろう。
「苦境に立たされたときこそ、その人の真価が問われる」という言葉があるが、その意味では、自分にはチームを引っ張る覚悟、責任、気概が足りておらず、チームに貢献できなかったということだろう。それでも、それらを持ち合わせた人たちを間近で見てきた経験をもって、前途多難なシーズンに挑戦するチームを自分が先導しようと息巻いてシーズンを締めくくる。
4年生。
このチームが当初「勝ち点36、上位進出」という目標を掲げていたことを覚えている人が、果たしてどれくらいいるのだろうか。忘れてしまうのも無理はない、口にするのもはばかられるほど悲惨な結果になってしまったのだから。この目標を決めたミーティングのことをよく覚えている。1部リーグ残留が現実的な目標ではないか、という意見に対してアキラがこう言った。
「消極的な目標では意味がない、高い目標を立てないと残留すらできないのではないか」と。おそらく、自分を含めてほとんどの人が、目標を変更せざるを得なくなってしまうこと、それによるモチベーションの低下を恐れて言えなかったことだ。それを、当たり前のように口にした。このとき、自分が無意識にチームの限界を決めてしまっていたのだと気付いた。
結果的には危惧していたことが起きてしまったわけだが、この目標を立てたことに後悔はない。後悔はむしろ、この目標をチームに浸透させられなかったことにある。目標を達成できると自信を持てるほどの成長をシーズン開幕までに、シーズン序盤までに積み重ねることができなかった。
開幕2試合、自分はけがのせいで出場できなかった。
朝鮮大学との開幕戦。1部リーグとの圧倒的な差を感じさせられ、気づけば6点差。それでもあきらめない気概を見せ3点を返す。
続く東京学芸大学戦。前半を最少失点で折り返すというプランをかろうじて遂行したものの、後半に守備が崩壊し0-5で完敗。
ピッチ外から完敗を喫するチームを見る悔しさと、自分なら何かを変えられるという想いを胸に復帰する。しかし、玉川大学戦、上智大学戦と、実質的なライバルチームを相手にいずれも1点差で敗れる。何も変えることができない自分に失望した。
自信を失うチームに追い打ちをかけるような試合がやってくる。第6節の帝京大学戦。「攻撃」も「守備」も、「攻から守」も「守から攻」も、すべてにおいて圧倒的に上回られていて、何もできなかった。結果は0-8。これほどの無力感を痛感した試合は、後にも先にもなかった。悔しさよりも絶望感が勝り、涙さえも流れなかった。
それでも次の試合はやってくる。次戦は同じく昇格組の日大文理戦。このままでは同じ結果になると思い、4年を集めてミーティングを開いた。そしてこんなことを言った。「このままでいいのか」と。そして、「苦しいチーム状況だが、練習の雰囲気を作るのは4年であり、チームを先導するのは4年であり、チームを勝たせるのも4年だ。スタメンだろうがベンチだろうがベンチ外だろうが関係ない」と。偉そうに聞こえたかもしれないが、あれは他でもなく自分自身に向けたメッセージだった。
並々ならぬ覚悟で臨んだ一戦だったが、自分たちのサッカーを90分間継続できず、0-1で敗れる。それでも、90分間集中力を持続させ恐れることなく自分たちのサッカーを表現できれば、1部の相手にも勝てると感じた。わずかだが、光が見えた気がした。
甘かった。
失点すると「またか」と落ち込むチームを変えることができなかった。結局、残留を争う東京大学にも敗れ、シーズンを勝ち点0で折り返す。本当に苦しかった。何をやってもうまくいかない。泥沼にはまったような気分だった。光の見えない暗闇に取り残されたような気分だった。
東京学芸大学戦。13節目にしてようやく勝ち点を獲得する。90分に失点し、勝てた試合を落とす結果になってしまった。それでも、前期と比べてできることが格段に増えていること、それが結果に結びついたことはチームにとって大きかった。
続く玉川大学戦。初めてクリーンシートを達成する。点は取れず結果は0-0だが、失点しなければ負けることはない、そんな当たり前のことの重要性に改めて気づかされた。
中断期間明けの成蹊大学戦。もう失点して動揺するチームではなかった。ケイイチロウのスーパーゴールで追いついて、泥臭い守備からコウタが逆転弾を決めた。苦しむチームをともに背負ってくれていたコウタが結果を出してくれた。その後は、全員が足がつるまで走り、体を投げ出してゴールを守った。ついに勝ち点3を獲得した。
試合後のあいさつで、こんなにもたくさんの人が応援してくれていたのか、と気づいた。それまでは申し訳なさと情けなさで、まともに前を向いて挨拶ができなかったが、ようやく少しだけ胸を張って感謝を伝えられた気がする。15試合も勝てなかったチームの勝利を信じ、アウェイまで応援に来てくれた人たちを前にして、自然と涙がこぼれていた。
第18節、日大文理戦。退場者を出しながらも前半のリードを守り切り、1-0で勝利する。勝利のために全員が団結して戦った。チームの成長を実感できた90分だった。やっと、ホームでもサポーターの皆さんに勝利を届けられた。残留への望みをつなぐことができた。
第19節、武蔵大学戦。素晴らしいパスワークから先制する。昨シーズンのような、チームがうまくいっているような感覚を覚えた。このチームなら残留できる、本気でそう思った。しかし、そんな想いはすぐに打ち消された。得点王をとることになる相手FWの圧倒的な個の力を前に、瞬く間に逆転される。自分が止めなくてはいけなかった。
チームが上向いていただけにこの敗戦が与えたショックは大きかった。一気に残留が遠のいてしまった。
第20節、東京大学戦。残留に向け必勝が求められる一戦。思い出したくもない人生ワーストの試合になってしまった。得点機会阻止で退場処分を受けた。数的不利になった一橋は猛攻を受けて0-5で完敗。どん底に突き落とされたような気分になった。自分のせいで降格が決定してしまった。
最終節、大東文化大学戦。降格が決まっていたものの、応援してくれるサポーターに感謝を伝えるために、成長したチームを見せるために、勝利を目指して戦った。前半に3点を失う苦しい展開の中で、自身大学初ゴールとなる得点で反撃の狼煙を上げる。追加点を挙げ一時は1点差まで迫るも、及ばずに敗戦。ついに長く苦しいシーズンが幕を閉じた。
試合後には涙が止まらなかった。
1人のサッカー選手として、ただただ目の前の相手に勝ちたかった、悔しい気持ちがこぼれてきた。
16年続けてきたサッカーがこんな形で終わるのか、自分が情けなくなった。
支えてくれたたくさんの人に結果でこたえることができなかった、サポーターに申し訳なく思った。
たくさんの感情が溢れてきた。それらすべてが涙となってこぼれ落ちた。枯れるまで涙を流して、ようやく冷静になって思った。
「それでも、ア式に入って良かったな」
まだまだ書き足りないくらいだがやっと4年間の振り返りが終わった。本当に引退してしまったのか、ようやく実感がわいてきた気がする。
本当に長い4年間だった。本当に苦しい4年間だった。後悔ばかりだ。書いていて本当に悔しい気持ちになるし、本当に自分が情けない。それでも前を向くしかない。シーズン中もずっとそうだった。何度負けようと、何度涙を流そうと、それでも次の試合に向けて最高の準備をするしかない。
「後悔を次に活かすために、後悔を更なる喜びで上書きするために。」
とうとう、サッカーでの後悔をサッカーで得られる喜びで上書きすることはできなくなってしまった。それでも、本当に楽しい4年間だった。本当に成長できた4年間だった。本当に最高の4年間だった。
「この4年間でかけがえのない仲間と出会って、かけがえのない経験をした。来年から社会人になるけど、この仲間を、この思い出を大事にしていこう」
卒業旅行先のオーストラリアで、乾杯のあいさつを急に頼まれてこんなくさいことを言った。話すのが得意ではない自分は、人前で話す際、事前に何を言うかをよく考えて、聞こえの良い言葉を選んで発してきた。そんな自分からとっさに出た言葉だ。これが飾らない本心なのだろう。
同期だけでなく、先輩も、後輩も、指導者も、OB・OGも、保護者も、サポーターも。本当に人に恵まれていた。たくさんの人に支えられて、ア式でしかできないかけがえのない経験をした。
その中で培った能力を、築いた人間関係を、今後の人生に活かすことができれば数えきれないほどの後悔たちは無駄にはならない。2勝3分け17敗、勝ち点9、得失点-58。
この悪夢のような結果に意味をもたらすことができるかは、今後の自分にかかっているのだ。
ふと、自分がア式にもたらせたものは何かあっただろうか、と考える。たくさんのものをくれたア式に自分は何か返せたのか、と。自分にはキャプテンシーと呼ばれるような能力はない。そんなことは自分が一番わかっていた。それでも腹をくくってキャプテンに就任した。もちろん、チームのモチベーターになったり、チームをまとめたりする役割も担おうと努力はしてきた。ただそれ以上に、チームの先頭に立って、誰よりも戦う姿勢を見せる、誰よりも汗を流す、誰よりも結果を追い求めて努力を重ねる、そんな背中でチームを引っ張るキャプテンを目指してきた。
シーズン終わりにチームで行われた表彰でMVPに選ばれた。MVPにキャプテンが選ばれる、確かに茶番だと自分でも思う。だから何票入ったかなんてどうでもいい。自らの無力感を感じながら、それでも必死にもがいてきた自分を見て、何を感じたか、どんな影響を受けたか、ただただそれだけが知りたくて、みんなのコメントを見させてもらった。
自分が目指してきたキャプテン像について、評価してくれている人がいた。
自分から刺激を受けている人がいた。
自分を目標にしてくれている人がいた。
キャプテンとしてチームを引っ張る自分に感謝してくれている人がいた。
自分に満足など微塵もしていないが、それでも、少しだけ報われた気がする。
みんなのコメントが、心からの本心だったら嬉しいな。
そして、みんなに支えられていたことを改めて感じた。
シーズン中、特に前期は、光の見えない暗闇の中で自分だけ1人でもがいている気がした。自分だけが責任を感じ、自分だけが何とかしようと戦っている、そんな気がした。
でも、そうじゃなかった。
自分が見えていなかっただけですぐ後ろに、いや、すぐ横にいたんだな。
同じ目標に向かって、同じ目線で戦ってくれていたんだな。
支えてくれていたんだな。
本当にありがとう。
最後に
守備と書いて「守りに備える」と読む。
自分は常に守備者として「備える」ことを重視してきた。もちろん、ピッチ内もピッチ外も。プレー中は常に次に起こることを想定し、それに「備えて」ポジショニングをとる。試合でフィジカルが劣っていると感じれば、次の試合に「備えて」筋トレをする。試合で走力が足りないと感じれば、次の試合に「備えて」ランメニューを増やす。誰よりも筋トレに力を入れ、誰よりも食事に気を使い、誰よりも自主練で走ってきたつもりだ。それでも1部リーグで通用するチーム作りへの「備え」は不十分だった。
最終節の試合後の円陣で「シーズン開幕までの積み上げの無さに後悔している」と話した。初めての1部リーグへの挑戦だったため、1部リーグの基準で練習を積み上げることができなかった。しかし、1部リーグのレベルを知っている今のチームならば、その基準で練習に取り組めるはずだ。ぜひとも1年での1部復帰を達成してもらいたい。そして、再び1部リーグに昇格した時に、同じ後悔をしてほしくない。
「練習でできないことは試合でもできない」
サッカーをやっていれば、いや、スポーツをやっていれば誰もが1度は聞いたことがある言葉ではないかと思う。何度も聞きすぎて、あまり意識できていなかった。しかし、振り返れば、良い「準備」をできなかった週の試合は決まって、結果だけでなく内容も良くなかった。「準備」で結果が決まるのだとすれば当然、より重要なのは試合よりも練習ということになる。試合と同じくらいの熱量をもって、覚悟や気概をもって練習に臨む。その積み重ねをもって新シーズンに「備える」。後輩たちには常にこの意識を持っていてもらいたい。
引退してから少し経って、自分がいかに恵まれていたかを実感している。
最後に、支えてくださった皆様への感謝を伝えて、締めくくりたいと思う。
OB・OGの方々にむけて
4年間、暖かいご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございました。
皆様のおかげで、4年間素晴らしい環境でサッカーに打ち込むことができました。
どんなに苦しいときも決して諦めず、前を向いて次の試合に臨むことができました。
心より感謝申し上げます。
保護者・サポーターの方々にむけて
特に今シーズンは、グラウンドまで足を運び応援してくださることのありがたみを痛感しました。こんな自分たちにも応援してくれる人がいるのかと思うと、少しだけ胸を張ることができました。
本当にありがとうございました。
来シーズン以降も変わらず、一橋大学ア式蹴球部を応援してくださるとうれしいです。
家族にむけて
自分のサッカー人生16年間にわたって、いったい、何試合応援に来てくれたのかな。自分の1番のサポーターとして、どんな時も支えてくれました。毎試合応援してくれるのが当たり前になっていて、そのありがたみに気づけていなかったなと、引退してから思います。
もっと早く気づけたら良かったな。
この恩はこれから少しずつ返していきます。
後輩にむけて
自分が頼りないからか、気分屋で自分勝手な後輩たちは、いつの間にか、ともに責任を背負い、ともにチームを引っ張る頼もしい存在へと成長していた。本当にみんなに支えられていた。
ありがとう。
来シーズンは1年での1部リーグ復帰を目指すことになるのだと思う。茨の道だ。多くの困難が待ち受けているだろう。多くの後悔を経験するだろう。それでも、それらの後悔を、サッカーで得られる喜びで上書きできる幸せをかみしめてほしい。どれだけ後悔しても、それを糧にチャレンジし続けてほしい。そうすればきっと、素晴らしい景色が待っているから。
みんなを、心の底から応援しています。
シ式にむけて
「1年おきに強い代がやってくる」
入学してから毎年聞いてきたこの言葉を、最後まで否定することはできなかったな。
苦しかったな。
でも、楽しかったな。
どんなときも、ともに戦ってくれてありがとう。
これからもよろしく。
自分の想いをすべて書けたような気もするし、まだまだ書き足りない気もする。
それでも、ずいぶん長くなってしまったので、この辺で終わりたいと思う。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
そして、サッカーを通じて関わってくれたすべての人に、心からのありがとうを。
一橋大学ア式蹴球部
2024年度 主将
山﨑 惇樹