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為る|外池陽丸

Profile
#6 DF 外池陽丸
出身高校:暁星高校

類稀な技術で相手のプレスを剥がし、攻撃のスイッチを入れるビルドアップの要。今季は絶対的スタメンとしてチームを牽引し、その活躍は攻守に渡り、何度もチームを救った。

こんばんは、外池陽丸です。最近は、サッカー人生をやり切った反動か、燃え尽きたのか、何に対してもやる気が出ません。まあ2歳か3歳か、物心つく頃からずっとやってきたサッカー人生が終わったんだから、ちょっとぐらい休んでもいいよね!と、自分に言い聞かせながら、良く言えば悠々自適な生活を送っています。
それでも旅行モチベだけは尽きなくて、箱根から始まり、長野、日光、オーストラリア、京都、来週には韓国と、ひっきりなしのスケジュールを過ごしています。お金の心配は一回横に置いといて、ただ今を楽しんで、今しかできないことを満喫できたらなと思ってます。


はじめに

さて、ア式人生最初で最後のノート。何を書こうか。
ア式での4年間を振り返ろうか、自らが考えていたことを赤裸々に記そうか、はたまた次代に向けた教訓を語ろうか、この卒部ノートには様々な形があると思う。
しかし、自分の色、自分らしさを求めすぎる性格の影響からか、そのどれもがありふれたもののような気がしてしまって、何か書くのが億劫になる。

こんな書き出しも凡なんだろうなと考えながら、先輩たちのオンリーワンな卒部ノートを見て、また尊敬の念を深めている。

支えられて

思えば、先輩たちは親しみもありつつも、本当にスーパーだったなと感じる。
マーボーさんしかり、タクさんしかり、コバ、頌さん、ナベ、、、などなど。プレーでも、組織としてもチームを引っ張り、苦境でも頼れる存在。浅い表現しかできないが、たぶん関わったア式全員にインパクトを与え、記憶に名を残していった人ばかりだなと。

そんなスーパーな人たちに比べて、自分はア式で何を為せただろうか。

そんな大層なことを言えるような人間ではないことは百も承知で、逆に自分のア式での日々は多くの人々に支えられ、与えてもらってばかりだったと思う。
特にサッカー以外の面では、いつまでも治らない寝坊癖、精神的な未熟さ、忘れ物・素行のだらしなさなど、挙げればきりがないほど、どうしようもないやつだった。それでも、同期や先輩たちは、向き合い、期待し、拾い上げてくれた。

ここで、個人的やらかしエピソードTOP3。(反省と謝罪、戒めを込めて)

①戸田さんのミーティングで寝る(1年)
周りの真剣な空気のなかで1年が寝るという意味の分からなさ、スーパーな指導者とのあまりにも貴重だった時間を大事にできなかった。そして、その時にマーボーさんに肩をたたかれて起こされたことも、なぜかモリシーさんが巻き込まれて戸田さんに野次られて苦笑いしていたことも、すべて含めてやらかし。本当にすみませんでした。
それを経て、ミーティングの際には必ずブラックコーヒーを飲むという習慣を作り、フリスクを爆食し、必死に寝ないようにした。

②都留文戦でユニを間違える(3年)
都留文のアウェイ試合で山梨まで車で行ったなか、気づいたのは着替えたとき。タイジに指摘されて、頭が真っ白になった。近くのスーパーまで車を走らせて必死に布と裁縫セットを探しているときに、頌さんから電話で「今日は無しで、もういいよ」、そう言われた。あの時の頌さんの表情や怒りを通り越して悲しくなってきているような感じを見て、自分の甘さや、チームに対する責任感、試合に出させてもらっている者としてのメンタリティの足りなさを痛感した。
この年は、サ式のみなさんのおかげでチームにいられたと思うし、試合にも出られて、主力選手のような立ち位置であれたと思っています。本当にありがとうございました。

③後期東大戦の週に寝坊する(4年)
たぶん今年で一番重要な位置づけにあった試合を迎えた週の木曜日。もはや自分でもよくわからなかった。なぜ1時間勘違いしたのか、なぜもっと早く気づけなかったのか。結局ここまで来ても変われないのかという自分への怒りと落胆、中心を担う者としてチームに悪影響と規律の乱れを及ぼしかねない行いをしてしまったことへの申し訳なさ、この時の気持ちは一生忘れないと思う。
そして、それでもチームを背負わせてくれた木室さんや楽、振り回されたタイジやガネ、篠田、認めてくれたア式のメンバー全員に感謝と共に、不甲斐ない試合をしてしまって、ごめんなさい。

少しふざけているかのようになってしまったが、自分がダメだった瞬間にも、見続けてくれた人たちには感謝してもし切れない。
そんな向き合ってくれる同期や先輩がいて、慕っているのか舐めているのか分からない後輩がいて、不愛想な自分をも支えてくれるマネージャーがいて、チームのために挑戦し続けるスタッフがいて、「一橋ア式」の雰囲気が大好きだった。たぶんみんなが思っている何倍もこの組織が好きだし、感謝しているし、入ってよかったなと思っている。

やはりいつもみんな支えられてきたんだなと、感じる。


最初の問いに立ち戻るが、そんな自分だったからこそ、最後の年はチームに対して自らが何かを為せる存在になりたかった。部に関わる一人一人に何か良い影響をもたらすことができる人間に為りたかった。

突っ走って

「チームに安心感を与えられる存在になる」
今年掲げていた目標である。
自分は、シオンやコウシみたいに後輩にめちゃくちゃフランクに話して空気を作れる人でもないし、ジュンキやコウタみたいに組織としてチームをまとめられる人でもない。ましてや、これまでの行いから、後者はおこがましくてできないと思った(この考えが逃げだったことも振り返って理解したが)。
やはり、自分はプレーで貢献することが全てで、勝利をもたらすことが求められていると考えていた。そして、チームのために何ができるかを考えたとき、「最前線で戦い続けること」が、まず最初に思い浮かんだ。

加えて、「安心感」、一番意識していた言葉。
ひまるにボールが渡ったら何かしてくれそう、というワクワクよりかは、困った時にひまるに渡したらなんとかなりそう、落ち着かせられるようなイメージだった。

つまり、試合中誰よりも声を出して、勝っていても負けていても戦い続け、苦境での第一の選択肢になる。そんな精神的支柱を目指した。そして、それが試合を任された者の責務であり、部員からの応援への感謝であり、これまで関わってくださった方々への恩返しであると思った。

しかしながら、結果はどうだっただろうか。数字で見れば、2勝17敗3分。怪我や出場停止を除いた19試合にスタメンフル出場。苦しいなんてもんじゃなかった。悔しさと不甲斐なさ、罪悪感に苛まれ、前期なんて毎試合後泣いていた気がするし、今年の結果すべてに責任があると思った。

なんど落胆させただろうか。なんど期待に応えられなかっただろうか。なんど「次があるよ、頑張ろう」と言わせてしまっただろうか。応援してくれるメンバーへ向ける顔がなかった。

また、チームを牽引するはずが、気持ちだけが先行して「なんでこんなに頑張っているのに」「頑張っているのは俺だけか?」と自分のプレーや振る舞いに目を背け、一人で突っ走った気になって、責任を押し付けるような感情になってしまった時期も正直あった。負けることに慣れ、ただ試合をこなせば、こんなに苦しむこともないのかなと、逃げようとしたこともあった。
後期東大戦での西田の「今調子の良い奴なんていない、自分にベクトル向けろ」という言葉には、それまでの自分にずっしりと刺さるものがあった。

成長して

そんなシーズンでも、プレーとメンタリティで成長してきた、印象深い試合がいくつかある。

まず、前期帝京戦。攻撃はまともに通用せず、守備はボロボロ、大量失点。試合後、父である大亮に「一橋みたいなチームが一番やってはいけないことは、頭の悪い負け方をすることだ」という言葉を言われた。たしかに負けが続くなかで、思考が停止してしまっていた。
とにかく無我夢中に挑むだけ、プレスの意味を勘違いして、取りどころもなく走り回り、チーム共通の攻撃の形も作れてなかった。そして、自らの強みを活かすためのチームへの向き合い方もできていなかった。

そこからは、共通理解と成功イメージに焦点を当てた。プレスでは、どこでスイッチを入れ、どこを取りどころにするのかを明確にし、昨シーズンやっていたことに立ち返って、適切に思考したプレスを行うように働きかけた。
また、ビルドアップでは、ボランチを適切に使うこと、常に死なないポジショニングと距離感、そして、とにかく左サイドでの前進を促すような運び方を意識させ、そうなるように自らの動き方も変えた。加えて、目的をきれいにパスをつなぐことではなく、前進しゴールを目指すことに意識を変え、裏抜けの走り方までも共有することで、自分も含めようやく裏ポンへの嫌悪感も無くなってきた。

そうして、ビルドとしてもチームとしても前進しつつある実感があった。

また、帝京戦の応援には、本当に助けられた。たぶん不甲斐ない自分たちへの怒りもあったんだと思う。まっちゃんや丸茂、翔太を中心とした鬼気迫るような声が聞こえてきた。試合後の翔太の話も聞いた。心折れかけていた自分のなかで、また炎が大きくなるような、奮い立ち湧き立つような気がした。ありがとう。

次に、努力が形となりだした前期大東戦。結果としては5失点となったが、それ以上に自分たちのスタイルが明確になった試合だったと思う。ここでの成功イメージを共通解として、特に左サイドでよりコミュニケーションを増やし、左切りをしてくる相手に対してどう右で溜めて左に持ってくる術を作るか、ポジショニングの精緻化とより積極的な攻撃参加、前向きな守備対応を意識した。そうすることで、よりドライブ力など自らの強みを活かせるような環境になると思った。

そして、やはり後期学芸戦は外せない。自らのゴールがあったからでもあるが、その過程が重要だった。左右ワイドに使い、奥から探しつつ、ビルドアップを組み立てる。プレスでは共通のスイッチを持ち、適切なラインの押し上げと背後対応、律のスーパーな対応にも助けられ、主導権を握ることができていた。
そして、後半開始してまもなく、自陣ゴールライン際でインターセプトし、そのまま攻撃参加、ユウマ、ガネと繋がって、胸で足元に落として左足ミドルでゴール。意識していたことが全て出たと思った。
中断明けのMVPをいただいた時は、自分が受け取っていいものなのかと困惑するほどに嬉しかった。

最後に、2勝のなかから後期日文戦を選ぶ。その日もかなり良いプレーが続いていた。だからこそ、安易なプレーには気をつけるべきだった。後半早々の一発レッドカード、自分の甘さに正直笑ってしまった。だが、みんなは本当に体を張って戦ってくれた。守備の時間が永遠と続いても集中力を切らさず、それまでのどの試合よりも全員が声を出していた。自意識過剰ではあるが、自分のために自分のせいで負けたことにしないために、みんなが100%、120%のパフォーマンスを発揮できていると感じて、勝手に嬉しくなったのを覚えている。
そうやって俯瞰してみてみると、本当にプレイヤー、ベンチ、応援全員が一体となって戦っていることがありありと分かった。やっぱり良いチームだなとネットの外から思っていた。
そして、八巻にグチグチ言われながら、アキラやみんなに前に押し出されて、最後の音頭を取ったことも良い思い出だ。

認められて

そんな感じで、徐々に個人としてもチームとしても成長してきたシーズンだったと思う。
最終節前のコメントでも少しふれたが、不甲斐なさと後悔で苦しいシーズンだったが、自分はすごく良い経験をできた1年だったなと感じている。あまりにも楽観的で、思い出を美化しすぎで、それこそ結果に目を背けているのかもしれないが、必ず今後に活きる、糧になるものだったと確信している。
シーズン通してボコボコにされたことも、練習の質が低い時に声を出せない自分に苛立ったことも、前期学習院戦でメンブレしたことも、一発レッドもらったことも、それでも藻掻きながら徐々に前進できたことも、主体的にチームに向き合えたことも、必死に応援してくれる仲間を持ったことも、それに涙したことも。
このシーズンでなければ成長できなかったこともあって、知ることができなかったことも、見ることができなかった景色もあった。

そして、一番に気づけたことは、みんなのおかげでチームを背負えていたということだ。勝手に背負った気になってモヤモヤしていたシーズン最初では理解しえなかったことで、日頃の言動や姿勢、見せる何かを通して、みんなが認めてくれて初めてチームを背負えるのだ。

少々文章が散漫となってしまったが、何かを為せる存在に、と目指した「チームに安心感を与えられる存在になる」という目標は達成できただろうか。そして、何かに為ることができたのだろうか。
それこそ、みんなからの評価やみんなが語るモノの中に、それは宿っている気がする。自分が先輩たちに向けてそうだったように。だから、自分で答えられる問いでもない気がするから、答え合わせはメッセージカードで、それと、既に迫ってきている来シーズンの試合のなかに、自分が共有してきた色々な何かが残っているかどうかで確認するとしよう。

そんなことを言ったら、またヒナタにクサすぎると野次られそうだけど。

最後に

先輩方へ

先輩方にとって、自分はどう見えていましたか?すぐなんかやらかすやつ、コダと両立してるやつ、ヘラヘラしてるやつ等々。あまり良い印象を持っていただけてないような気がしています。あまり上手く絡んで行くこともできなかったですし。でも、自分はめちゃくちゃ尊敬してましたし、大好きでした。コ式の最終節飲みで、ア式という組織の良さ、雰囲気の暖かさに魅了され、心揺らされ、2年生ながらに号泣したことをよく覚えています。けんしさんに貰い泣きして、加藤さんにいじられまくったことも大切な記憶です。1.2年は特にもっと先輩たちと向き合って、サッカーに熱中したかったなと今になって思います。それでも、スーパーな方々と共に同じ組織の中で頑張れたことは貴重な経験でした。

東明さんの常に攻撃参加を狙う左サイドバックの姿は、ずっと自分のロールモデルで、そこに自分の能力を合わせつつ、変化させることで自分の形を目指せたかなと思います。
また、コバや元貴さんと一緒に作った左サイドでの連携は、今年の試合運びでも理想としてたし、コバのメンタリティや考え方、姿勢を心に置いて今年は頑張ってました。プレッシャーを引き取ることは、「安心感」の軸にある考え方でめちゃくちゃ大事にしてたし、細部へのこだわりはポジショニングやコミュニケーションなどの形で現れてたし、本能のままにプレーしたからこそ学芸戦のゴールがありました。
そして、頌さんには、1番お世話になったと思ってます。ア式最初の思い出は、頌さんの指揮のもと上智戦に90分出たことですし、何回がっかりさせてしまったかは分かりませんが、どんな時でもどんな状態でも向き合い続けてくれたから今の自分がいます。本当にありがとうございました。年始楽しみにしてます。
あとは、野口さん、飲み会では特にお世話になりましたね。3年生の時に来年の飲み会が寂しいといって意味の分からない号泣をしたことは一生忘れないですし、トイレで吐いてる時の完璧なカメラアングルはどんな時でも笑えます(笑)。また、福岡行くんで、その時はまたたくさん飲みましょう。
他にも本当にたくさんの先輩方に関わっていただき、多くのことを学ぶことができました。ありがとうございました。

後輩へ

全然気さくでもないし、面白くもないし、頼り甲斐もないし、不愛想だし、良い先輩はできなかったと思う。そして、今シーズンを良いものにできなくてごめん。

ソ式なんかは特に、入ってすぐ惨敗している姿を見せてしまったかな。ア式が周りに誇れるものではなかったかもしれない。ア式に入ったことに迷いが出てしまったかもしれない。実際、大学に入って出来ることはたくさんあるし、それなりにどれも楽しいものではあると思う。けど、色んな場を見てきた自分から言うと、ア式以上の組織は正直ない。だから、ここに4年間を注ぐ価値はあると思う。頑張って。非凡な才能の持ち主が多い代だと思ったので、これからが楽しみです。
セ式メンバーを中心とした応援には本当に助けられたし、今シーズンを乗り越えられたのは君たちがいたからだと断言できる。どんな試合でも全力で、熱い応援に心動かされた。最終節では、試合前の挨拶で、この応援と共に戦えるのも最後かと泣きそうになったのを覚えてる。ありがとう。あと、シ式に良くも悪くもちょっと似ている気がする。ジャンの過激さが益々増してきていると聞いてるけど、粗相のやり過ぎには注意。けど、デカいところはバカになって楽しんで。あとは、ス式に圧倒されすぎないように、サッカーでの自己主張を。

ス式はあんま言うことないんだけど、来シーズンを楽しみにしてる。君たちは能力の高さ以上に、IQの高さと雰囲気を作れる強さに良さがある。コミュニケーションを取るなかで、1人1人がめちゃくちゃ考えてサッカーしてるなと感じる反面、我の強さのせいで固執しがちなところもあるかなと思った。フラットな視点に立ち戻ることをしつつ、今年一部を経験して学んだことをチーム全体を巻き込んで活かしてほしい。期待してます。あと、特に左サイドがどうなるのか、ビルドアップをどう作り上げるか、俺が抜けた穴はデカいかな、笑。あと、また飲み行こう。誘うし誘って。

マネージャーやスタッフの子たちとは、関わりきれなかった感がやっぱり強いかな。朝グラウンドに行くと、ぼーっとした頭ではどうしてもサッカーのことしか考えられなくて、他のやつとも雑談をあまりしてこなかったくらいなので、許してほしい。それでも、みんなの働きが力になったことは確かです。ありがとう。

そして、暁星のやつら。西野は、高校の時はちょっとビビってたとこもあって正直あんまり喋ったことなかったし、コミュニティを混ぜたくない自分的には浪人してきた時はまじかっていう気持ちもあった。でも、意外と責任感強いところとか、やっぱサッカー上手いなとか、結局は一緒にやれてよかったなと思ってる。あと、サッカー人生で一番長く共にいたのが中2から今までの7?8?年間で、西野なのが面白すぎる。これからもよろしく。篠田は、俺より確実に技術レベルは高いはずなのに不器用というか、細部でもったいなさを感じる。けど、同じポジションを争うライバルとして絶対負けたくなかったし、ロングボールの蹴り方や探し方、コンスタントに良いパフォーマンスを出し続けるところ、キープ力と負けず嫌いなところはめちゃくちゃ参考にしてたし、素直に尊敬してた。これからも脇CBを続けるのであれば、俺のプレーから学んでくれてもいいよ。頑張って。じゅんせいは、中高の頃は関わりが全くなかったけど、暁星ということで親近感があった。妹から学連の副幹事になった?なる?という話も聞いたから、西野の後を追って頑張ってくれ。

シ式へ

本当にシ式でよかったなと思うし、この代でなければア式の良さも分からないまま、最後まで続けられなかったと思う。
マルチタスク出来なくて全然飯いけないし、チャリ遅いし、何についても全員だし、変なところで真面目だし、飲み渋がるし、めっちゃ陰キャだし、飲み会すぐ帰るし、だるいところももちろんあったけど、なんだかんだ言ってもシ式が一番の居場所だったし、1月に俊輔らがちゃんと𠮟ってくれたところから、今シーズンに危機感をもって本気になれたというか、真に始まったような気がしている(自分でそんくらいやれって話なんだけど)。
あと、俺ってめっちゃめんどいやつだったと思う。みんなのア式への熱量に比べて明らかに少ない時期もあったし、人にいじりすぎるところあるくせに、自分がいじられるのはリアクション上手くないし、機嫌の良い時はめっちゃ調子いいけど、ちょっとなんかあると自分で機嫌取れないし、イライラしてるのを表に出しすぎな反面、人のことは茶化すし、加久保が熱中症でぶっ倒れてた時とかちょっと反省してるけど。そんな俺がずっとア式で楽しく過ごせたのも、ア式を居場所だと思えたのも、みんなのおかげだったと素直に思ってる。
ダラダラ喋ったけど、まあめちゃくちゃ感謝してるってことで、積もる話はまた今度飲みの時に。

本当に最後に

最後にと言いつつめちゃくちゃ書いてしまいましたが、いかがだったでしょうか。前述の通り、ヒナタくんに最終節コメントがクサすぎるとの忠告をいただいたので、浸りすぎず俯瞰して書こうと頑張ってみました。構成も、結局振り返って、思っていていたことを赤裸々にして、後輩へ語ってと、最初に普通だなーと思っていたことの盛り合わせとなった一方で、書き終えた今はなぜか気分がよく、スッキリしています。ご精読ありがとうございました。

そして、一橋大学ア式蹴球部での4年間は、かけがえのないものでした。19年か、20年か最早分からなくなるくらい続けてきたサッカー人生の最終章が、ア式で本当に良かったなと思うし、幸せでした。本当にありがとうございました。

外池陽丸

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