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臙脂の血|川合楽

Profile
コーチングスタッフ 川合楽
出身高校:川越高校

昨シーズン末に加入し、常に選手目線でチームを率いたコーチ。カテゴリーを問わずほぼ全てのチーム活動に携わり、ア式のサッカーについて考え続けた。

率直に、まさか⼀読者だった⾃分が卒部noteを書くとは思ってもいませんでした。そんな感想と⾔い訳を抱きながら、何を書こうか迷っているうちに、いつの間にか最初の提出⽇は過ぎ、2回⽬の提出⽇が迫っている状況です。
そしてこれは、本来の投稿⽇(12⽉12⽇)の前⽇に書いています。というのも、⼀度提出はしたものの、あまりの出来の低さに満⾜いかず、また次々に投稿されていくシ式の名作を読み、書き直している次第です。
コーチングスタッフという⽴場上、書くことができない出来事や思いもありますが、出来る限り⾚裸々に書ければ良いなと思います。
また、みんなはア式での4年間の物語を書くと思いますが、僕は1年間しかいなかったので、その1年間で感じていたことを書けたらなと思います。


2023 年の10⽉にア式に⼊部した。頌くんと繋がりがあり、⾊々な話をして、実際にリーグ戦の観戦や練習⾒学を経て、ずっと憧れだったア式での物語が始まった。
普段からコミュニケーションが苦⼿な⾃分にとっては、元々築かれているコミュニティへの参加は皆が想像する以上に難しく、とにかくコミュニティにおいて「違和感」にならないために、参加初⽇までに部員全員の名前と顔を⼀致させ、グラウンドでは各々が仲間に呼ばれている名前で呼び、誰にでも図々しくタメ⼝を使うことを意識してグラウンドで振る舞う。
初めはそんなことばかりに気を使い、サッカーどころではなく、⼊部する前のワクワクは無くなり、他⼤⽣の⾃分がみんなにどんな⽬で⾒られているか、うまくア式に馴染めているかを常に気にして、練習の度に腹痛に襲われる毎⽇。
ア式という組織だけでなく、急に同期となったシ式のみんなとの距離感も難しく、2023 年内ではまともに話すことが出来ず、かなり悩んだ。今ではシ式みんなのことが好きだし、個⼈的に丁度良い距離感で関わることが出来ている気がするが、馴染めるまでは常に「いつの間にかみんなの輪の1⼈になっている」ことを意識し、少しずつみんなとの関係を作ることに苦戦した。

コミュニケーションだけでなくサッカーでも苦戦をした。1週間前に退任した東京農⼯⼤学から数えて2カテゴリー上がったこともあり、練習から⽬が追いつかず、プレーを読み取ることが出来なかった。学⽣監督として積み上げた知識や経験が⼀気に崩壊し、チームに対して何も働きかけることが出来ずに東京カップを迎えた。

東京カップで桜美林に敗れたあと、TMですらほとんど勝てなかった。⾃分は何も出来ていないし、チームは勝てない。リーグが始まるのは来年の4⽉。⽬指しているものがまだ遠いからなのか、明確ではないからなのか、無気⼒に時間は過ぎた。いつの間にか⼊部前に憧れた、⼒強い⼀橋ア式の⾯影は⾒えなくなり、来年の1部リーグでの戦いに不安と焦りを感じながら、冬オフに⼊った。

年が明け、三商戦をなんとか制したものの、初挑戦の3バックシステムに苦しみ続ける。相変わらず毎週TMには負け、まだTMだからという空気が漂う。⾃分もそう思っていた。システムを変えて⽇は浅い、これからだと⾃分に⾔い聞かせながら、ただただトレーニングを外から⾒ているだけ。WBとシャドーのローテーション、剛と柔でサイドの組み合わせを作ることなど、多少のアイディアは出したが、チームが勝てるようにはならず、3⽉のアミノバイタルカップに近づいていた。

3 ⽉4⽇。激しい腹痛と頭痛、発熱に襲われ、⽴つことが出来なくなり、救急外来で病院へと運ばれる。診断は消化器官の病気。⼊院決定。明確な治療法がなく、ストレスなどの負担をとにかく減らすことでしか症状を抑えられない。痛みが出れば絶⾷か痛み⽌めを飲むかで対応するしかないらしい。今でも症状が出る。トレーニング中に膝に⼿を付いていたり、しゃがんでたりしたら体調が悪い時です笑
とりあえず、コーチングスタッフと幹部には⼊院したことを伝え、Slackにも連絡を流した。⼊院中はひたすらベッドで横になり、天井を⾒続ける。⾃分が何も出来ていないことを痛感させられる。早くグラウンドに⾏かなきゃという思いが溢れる。その後、⼊院の3⽇間と少しの休養をもらい、約1週間でグラウンドに復帰した。もうすぐそこまでアミノが迫っている中、チームはあまり変わっていないことに焦った。⼩さなことから出来ることをやろう。トレーニング前に学習院へのリベンジについて語る。アップの動きを褒めて盛り上げる。⾜りなかった。ボコボコにされた。また何も出来なかったと⾃分の無⼒感に襲われ、学習院レベルが揃う1部に恐れを感じた。不安や焦り以上に怖くなっていた。


4⽉7⽇リーグ開幕。
朝鮮⼤の独特な雰囲気に飲まれ、緊張はMAX。いざキックオフすれば、朝鮮⼤のパワフルでスピーディーなアタックに5バックは通⽤せず、前⽇の夜に篠⽥と⾼太とzoomで確認した中盤の守備も上⼿くいかず、6失点。終盤に返した3得点に、もしかしたら、なんて⾝勝⼿に希望を抱く。第2節の学芸戦。5バックの弊害か、プレスが掛からず、質の⾼いロングパスを供給され続け、5失点。次週のコーチングスタッフのミーティングでプレスに⾏かないとダメだとなり、守備時を4バックに変更して臨む、勝ち点奪取が必須の⽟川、上智との2連戦。2試合ともボールを保持しながら決め⼿に⽋き、ボールロストからカウンターを⾷らい、失点。何も解決策を提⽰出来ない、ただ失点するのを⾒ているだけの⾃分。ミーティングでのアイディアがピッチで現れず、上⼿く伝えることが出来ていないことを痛感する。
そして、パワーとスピードで圧倒された成蹊戦を経て、かの帝京戦。1試合を通して本当に何も出来なかった。後半、点を取りに⾏くしかなく、考貴と翔太を呼ぶ。「⾏くしかない。」と伝えると、考貴に「またじゃん、こんなんばっか。」と⾔われる。「ごめん、頼む。」としか返せない。翔太は早く交代して欲しいからか、⾃分の指⽰を聞かずにピッチばかり⾒ていた。結果は0-8。絶望。わざわざ⼋王⼦まで応援しに来てくれたメンバー外のみんなに申し訳がなく、⾒ることが出来ない。帝京でスタメンの友⼈はそんな⾃分を⾒つけ、気を遣って「うい。」としか⾔わず、通り過ぎた。

次節の⽇⼤⽂理戦の週、練習前にシ式だけで集まり、惇樹から「シ式がもっと先頭に⽴ってやらないと。」というような話をされた。シ式にはこれまで積み上げてきたものがあるはずで、多分こんなはずじゃないって思いと⾜りていないという現実に挟まれ、それを惇樹の⾔葉でぶつけられているのが、みんなが下を⾒続けて話を聞いている姿で分かったような気がした。

それでも、⽇⼤⽂理にも武蔵にも敗れ、迎えた商東戦。
試合前⽇にてつおからご飯に誘われる。⼊店後すぐに「どうすればいい?」って聞いてきた時は、⾃分なりの考えを答えながら、合っているのか分からず、少しも⾃信が無くて、苦しくて、悔しかった。てつおのはっきりとしない相槌がより不安にさせる。それでも、明⽇は分からないなりに戦うしかないのだと思わせてくれた。これが残留に向けての最後のチャンスだと思った。ここで勝ち点を取れるかに懸かっている。
試合当⽇、豪⾬の影響でこちらはロングボール主体に攻撃するも、相⼿はブレずに、ボールを保持しながら攻め込んでくる。チームとしての差を感じながらも、いつも以上に果敢にゴールに迫り、ゴールを守るみんなに託す。しかし、75分に失点。その後は東⼤に試合巧者ぶりを⾒せられ、タイムアップ。頭の中は真っ⽩。9節を終えて、チームは勝ち点0。まだ⾃分は何も出来ていない。駅まで歩きながら、来週から何をしなければならないか、⾃分に何が出来るかを必死に考える。その⽇は何も答えが出なかった。

崩れそうなマインドを⽴て直すには、これまでから何かを変えるしかなかった。そこでコーチングスタッフの定例ミーティングで、学習院戦に向けて、いつもと変わった、これまでやったことのない守備プランを提案する。⾒事、案が採⽤される。⽊曜⽇のプレス確認も任せてもらえることになり、やっとチームに貢献する機会がきたと感じた。そして⽊曜⽇も含め、それなりの⼿応えを感じながら迎えた学習院戦。それなりにプレスがハマって、リードして前半を終える。いけるかもしれないと希望を抱き、後半へ。しかし早々に失点。またかと思ったら⼀気に崩れ、5失点。詰めが⽢かったと感じながら、⾃分の守備へのアプローチの⼀定の⼿応えを感じ、⾃分はこれで貢献するしかないと思った。プレスコーチの誕⽣である。

そして、やっと勝ち点を取った第13節学芸戦。ハイラインとハイプレスで相⼿に圧⼒を掛け続ける守備プランが功を奏し、ドロー。その後の⽟川、上智戦もドロー。試合を決めきれないのは課題だったが、3戦ともみんなが死に物狂いで戦っていたのは印象的で、積み重ねが出来ているとは思わなかったが、負け続けたそれまでとは違い、単純に成果が出ていることが嬉しかった。

夏休みも変わらず、とにかく守備にフォーカスしたトレーニングを⾏なった。1vs1、2vs2、狭いグリッドでのポゼッション。⾃分がみんなの役に⽴てるのがそれしかなかった。中断期間が明け⼀発⽬、第16節成蹊戦での初勝利。狭いピッチの特性を活かし、みんながボールに対してどんどんアプローチする姿勢は勇敢でかっこよかった。応援のみんなと喜びを分かち合いながら、⾃然と涙が溢れた。嬉しさに流されて、このままいけばまだ残留へ希望は残されていると思った。
その認識は浅はかだった。退場者を出しながらも勝利した⽇⼤⽂理でさらに浅はかさを極め、その後はまた何も出来なかった。守備に重きを置きたいのに、決定的なプランを⽰せず、1週間の取り組みを変えることが出来ない。そのまま武蔵戦の敗戦が⼀気に残留を遠のかせる。そして負ければ降格が決まる第20節の商東戦では⼤きくスカウティングを外し、守備が崩壊。前半戦の対戦で感じた、チームとしての差は⼤きく広がっていた。
残念なんて⾔葉じゃ表せない。悲惨だった。こんなに残酷な最後があるのかと思いながら、⾃分が働きかけた守備の⽢さが露呈する。守備は攻撃以上に勝敗に直結する。上⼿くいかなければ、⽢ければ失点に繋がる。そんなことは分かっていたはずなのに⼤量失点が⼼に突き刺さる。結局、何も出来ていなかったじゃないかと思わされる。メンタルが崩れ、病気の症状が出てくる。次の学習院戦は、相⼿の⾼笑いばかりで正直あまり覚えていない。

悲壮感で迎えた最終節。最終節でのハプニングについて詳しくは説明しないが、試合当⽇の朝、急遽⾃分が指揮をとることになった。1年間何も出来なかった⾃分にチャンスが舞い込んできたと思い、外出前に覚悟を決めた、はずだった。試合前ミーティングでみんなの前に⽴った瞬間、⼿⾜が震えた。スカウティング資料をどこまで進めたか分からなくなった。出場が叶わなかった選⼿たちのためにも、最後くらい勝って終わろうと伝えたが、気持ちがこもっていたか分からない。とにかくそれを伝えることで頭がいっぱいだった。
試合が始まると、これまで21試合を戦ってきたとは思えないほど、硬さがある前半だった。⾃分もまだ緊張していて、失点しても修正に時間がかかり、上⼿くコーチングが出来なかった。それでも、そんな緊張も惇樹のゴールが吹き⾶ばしてくれた。ハーフタイム、「惇樹のおかげでまだ追いつける。1点ずつでいいから返して逆転しよう。」と伝える。そして後半に⽣まれた⻄⽥のゴール。陽丸のプレス回避から、惇樹の縦パスを⾼太が運び、泰治の⻤クロスのこぼれ球を⻄⽥が左⾜⼀閃。シ式がこれまで積み上げたものが⼀気に集約されているようなゴールで、⼊った瞬間ガッツポーズをしていた。
結局、試合には敗れ、ア式での初指揮はあっという間に終わった。これまでみたいに何も出来なかったわけじゃないという嬉しさと、こういう試合をもっと早くしないといけなかったという後悔に挟まれた。あと、メンバー⼊りしたシ式がどんどん出場する中、⽇向⼤だけを出すことが出来なかったのは終わってからすごく後悔した。その時は申し訳なくて出来なかったが、今度本当に謝りたい。ごめんね⽇向⼤。


何も出来なかったという無⼒さと後悔と⼀瞬感じた⼿応えで、ア式での最初で最後の1 年間が終わる。こうして1年間のア式での物語を振り返ると、思い描いていたような理想とは程遠いものだった。⼊部当初、必死にチームの⼀員になろうとした⾃分は、⽪⾁にも上⼿くいかないチームの⼀員でしかなかった。もっと⾃分に出来ることがあったのではないかと、そんな思いばかり溢れてくる。それと同時に、憧れの⼀橋ア式の中は凄く暖かくて、居⼼地は良かったし、後悔があるからこそ、まだここでサッカーをしたい、みんなと勝ちたいという思いも同じくらい溢れてくる。

⼤学1年⽣のときから憧れた、⼀橋⼤学ア式蹴球部。
外から⾒ていた頃と変わったのは、ア式のためにという帰属意識のようなものが⽣まれたことだ。ピッチでの⾃分の無⼒さを知り、チームのためにもっと貢献したいと思った。事業のスクールを経験し、クラブをもっと多くの⽅に知って欲しいと思った。
学⽣の主体性によって形成された組織体制、個性豊かな選⼿やスタッフ、地域に根差した事業。すべてのために、この⾝を捧げて戦いたい。それが今の原動⼒である。

この⾝体には臙脂の⾎が流れている。


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