美しさ | 森下昂【#卒部note】
迷いながら ぶつかりながら 揺れながら 過ごした日々を いとしく思う
好きな漫画の作中で引用されていたこの短歌が、引退後、腹に落ちたような気がした。
「美しく生きる。」今後しばらくの、自分の人生のテーマだ。
であれば、美しさとは何ぞや、となる。
美しさとは、究極的には感性によってとらえられるものだから、簡単に言葉で表現してしまうことはナンセンスではないのか、と少なくとも自分はそう考えている。自分が軽い気持ちで言葉にしてしまった時点で、ある程度それは一般化されてしまうから。
だから言葉で表現することを生業とする人たちは本当にすごいなあとつくづく思う。先に挙げた短歌もそうだ。読んでくれた人は少なからず何かを感じたのではないか。それこそが言葉の持つ力なのだとも思う。
閑話休題、この場はブログだから言葉にしないわけにはいかない。だから、言葉にしてみる。
価値基準を、自身の行動指針を、揺るがないものとして己の内側に持つ。そして、飾ることなく心のままに邁進する。その生き方こそが「美しい生き方」なのではないか、と。
自分はいろいろな作品を見る。その中でも特に漫画が好きだ。国見比呂や大和圭介、波多野憲二に浦飯幽助。まだほかにもいるが、自分が憧れた漫画のヒーローたちは決まって、一本芯の通った美しい生き方をしていると思う。言い換えるならば、気持ちのいい生き方とでもなるのだろうか。そこにおそらく自分の理想の原点がある。
出会いがあった。持ち得る力を、一つのものにこれほどかというまで注ぎ込んでいる人の指導を、縁あって受けることができた。もちろん、自分から見えたものなど氷山の一角にすぎないだろうけれど、その熱量を確かにその身に受けた。
そこに、この先自分が目指すべき姿の一端が見えたような気がしている。
迷いながら、ぶつかりながら、揺れながら、僕たちはア式での時間を過ごした。
その日々で、見て、聞いて、感じて、考えて、そして取り組んだことは、必ずや糧となっているはずだ。自身の価値基準であり行動指針、すなわち「美しさ」の依るところは、自身の内側に確実に蓄積されている。
大切なのは、それを揺るがないものにできるか。そして、どう生きていくかだ。
抽象的な言葉に終始した。けれどこれ以上具体的な言葉にすることは、やはり美しくない。
最後に
河合克敏先生の「とめはねっ!鈴里高校書道部」という書道をテーマにした漫画に、自身の持っていた漠然としたイメージの具現化を手伝ってもらいました。全14巻と手に取りやすく、内容も抜群に面白いのです。
「帯をギュッとね!」や「モンキーターン」など、河合先生の作品は傑作ぞろいですので、暇があればぜひ手に取ってみてください。ちなみに「帯をギュッとね!」の海老塚桜子というキャラクターは、自分の中でトップクラスに好きなキャラクターなので、ぜひに。