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愛情表現は苦手なので|狩野琳太朗
profile
#staff 狩野琳太朗
出身高校:県立沼田高校
ポジション:coach
2年次にチームに加入しリーグ戦出場を果たすも、怪我を機にコーチへと転身。選手としての経験を活かし、細部に渡り技術の向上をもたらした。
狩野琳太朗からのラストメッセージ
こんにちは。
根っからのカナヅチのため、学年旅行で行った石垣島でダイビングを断念し、小一時間、船から皆を眺めて待っていた狩野です。
あまり大きな声では言えませんが、5歳から6年の間、スイミング教室に通っていました。
社会人になったら懸命に働いて、何の実りも生まなかった5年分の月謝を両親に返したいと思います。ごめんなさい。
さて、率直に言って、特にこの一年、グラウンドにいて充実感を感じたことといえば、ほとんど皆無と言っていい。
2年時に入部。時の運に恵まれてリーグ戦に出場し、ほどなくして頭蓋骨の骨折というなかなか引きのあるケガで選手を引退した。情けないことに、それからのスタッフとしての2年間といえば、選手時代の薫風の残り香で、だましだましア式での居場所を用意し続けてもらった2年間といって差し支えない。
大きな海へと繰り出して、何かを成して帰ってくる皆を、漫然と船の上で眺めている、そんな2年間であったように思う。
正直、肩書とその内実が最も伴わない部員であった自覚が存分にあるので、この卒部ノートを書くにあたっては、だいぶ筆が重い。
とはいえ、近いようでなんだか離れたところから皆を見ていたからこそ書けることもあろう。こんな自分でもスタッフとしての2年間で、心にじんと来たような記憶が2つほどあるので、そのそれぞれを起点に、自分が日ごろぼやっと考えていたことを書き下したい。
終わりよくても
まず1つ、明確に覚えているのが、戸田さんが抜けた新体制で迎えた22年の3月。
なんでもないポゼッションの練習、3v3v3。必死に声をかけながら、ハードワークする陸さんたちの姿を見て、不覚にも目頭が熱くなった。
それ以来、自分がア式で活動していてこの種の感情で心がそれほどまでに高ぶったことがあるかと言われれば、特段、思い当たることはない。
単純に言えば、「もっとできるんじゃないかな」と常々、思っていた。
昨シーズン、7月31日。駒沢公園での商東戦に向かう途中の電車。居合わせた小松に「最近、ぬるいよな」みたいな話をしたら小松から「やっぱり、そう思う?」という返答が返ってきたのを覚えている。自分たちの日々の小平での姿に自信の持てない自分は、「こんなことならいっそのこと、大観衆の前で東大にボコボコにされてしまった方がいいのでは」とまで思っていた。
当然、あの日の駒沢のピッチでの奮闘を否定する意図は皆目ない。
ただ、何をしようと自由な環境でサッカーに打ち込むことを自ら選んだうえで、監督の想いを託されてピッチに立つことを許された選手が、試合で頑張るのはある種、当たり前。ましてや、多くの人の尽力で実現した、あれだけの舞台の上、観衆の前であれば、それはなおさらだと思う。そういった意味では、商東戦の劇的な勝利も自分にとってはしこりが残る。果たして、得た結果や評価にふさわしいだけの緊密な過程が伴っていたのか。
自分は、この種のしこりをとうとう最後まで解消することができなかった。
優勝を掴み取った今シーズン。
開幕2連敗を喫した4月。工学院戦明けの火曜。自分たちの現状とあるべき姿の大きなギャップをナベが1つ1つ丁寧にさらってチームに投げかけた。
優勝に歓喜した10月。念願、そして最高の結果を掴み取った小平での自分たちの日々の姿は、失意の中、最低の状況にあった4月の自分たちのそれと、果たしてどれだけ違ったのだろうか。
日々のトレーニングで最初から最後まで露呈し続ける自分たちの弱さは、果たして、半年間でどれだけ改善されただろうか。
今季、最高の結果を得たからこそ、来季、さらなる舞台を見据える船首という特等席から、これまでの軌跡をしっかりと問うてほしい。
失敗を恐れろ
なんだかジンときた瞬間がもう1つ。
今シーズン中盤。アキラが、ドリル形式の練習で仲間の技術ミスに対して、「ドンマイ、つぎつぎ!」と声をかけていたのを目にしたとき。
突出した能力を持つ選手が、率先して仲間のミスに声をかけ、チームに前向きな風を吹かせる。良い姿だなと思った。(結構、気分屋だけど笑)
自分がア式の好きなところは、練習中、ポジティブな声かけが多く失敗に寛容な風土だ。
なんだか、パッションに偏った綺麗事のように聞こえてしまうが、心身相関が顕著にみてとれるスポーツにおいて、卓越した精神力や圧倒的な技術を持たないチームが、個々、延いては集団としてのパフォーマンスを最大化するにあたっては、とても理にかなっている気がする。
ただ、率直に言って、今のア式ではこの風土がもたらすべき作用が十全に機能していないと思う。
本来、果敢なトライを後押しし、個人、集団の成長を促すためのこの風土が、明らかな準備の不足や心がけの不備による失敗を、なあなあなままにして水に流し、組織を停滞させるものに成り代わっているような気がする。
戸田さんが、「ミス」と「エラー」という言葉を執拗に使い分けていたのを思い出す。
要は、結果としては同様の「失敗」という事象であっても、その過程を問えば失敗の内実は大きく異なるということ。できうる細心の準備をしたうえで、気概を持って、トライした結果の失敗こそが「エラー」であり、不注意や心がけの不足が原因となって生じた失敗である「ミス」とは、まるきり別物だということだ。
ある部員から、卒部する自分に向けてのメッセージカードに、
ロンドでミスをすると、りんたろうさんからの「丁寧に!」という声が聞こえ、いつも緊張していました。
とあった。
ロンドは練習の序盤に行われるウォーミングアップ色の強い練習で、和気藹々とした雰囲気の中で行われる。ただ、こういった取るに足らないような練習にこそ、人やチームの本質は現れるのではないか。そういった意味では、単に、練習の序盤だから自分が比較的集中していたという可能性は多分にあるものの、ロンドやドリルなどの比較的、軽視されがちな練習こそ、みんなのことを注意深く見ていた気がする。
1本1本のパスや、ボールの待ち方。状況に応じたファーストタッチ。目線。サポートの声とそのタイミング。シンプルな練習こそ、細心の注意を払って感触を確かめながらプレーをし、条件設定がさらに複雑に、局面が流動的になるそののちのセッションでこそ、自身の準備に自信をもって大胆に振る舞う。
失敗してもいいやではなく、失敗を恐れるからこそ、十全な準備をしてトライする。だからこそ意味のあるエラーが生まれる。失敗を恐れるからこそ、エラーを自省し、失敗とそれを許容する風土を糧にさらなるトライをする。
失敗に寛容な環境に甘んじて、細かな心掛けを排していては、意味のないミスを無為に繰り返し、みすみす成長の機会を逃す。
仮に良い結果を得たとしても、高々、「いろいろあったけど、それなりにやってなんだかうまくいった」程度の、部活に週6日を捧げた大学生としては、いくらか貧しい実りしかもたらさないだろう。
自分が望む環境に身を置いて、自分のやりたいように試行錯誤を楽しめる機会というものは、きっともうこの先そう多くないし、必ずしも4年間、保証されるものとも限らない。また突如として、謎の感染症が流行るかもしれない。春平さんに後ろから突っ込んで頭が折れるかもしれない。
そして、ア式を離れて社会へと踏み出せば、きっともっと結果をシビアに問われる。
だからこそ、これからのア式を担う友達や後輩たちには、失敗に寛容な雰囲気の恩恵を最大限に引き出して、意図に富んだ濃密な日々を小平で送って欲しい。全力で浮き沈みを楽しんでほしい。
最後に
だらだらと書き下してしまったが、最後に一つ。
ア式に入って良かったです。ああだこうだ言いつつもア式が大好きです。ありがとうございました。
狩野琳太朗