最高の『ラストプレー』|渡辺志音
ア式を引退して早くも2ヶ月が経とうとしている。
去年の10月、サ式の先輩が引退する時には感極まり、涙も溢れた。自分たちが引退するときはどのような感情を抱くのだろうと考えていた。週6で小平キャンパスに通い、シ式と昼ごはんを食べない日はなく、大学がある日にはみんなで空き教室で時間を過ごし、振り返ればほとんど全ての時間をア式で過ごした大学生活であった。
そんな大学生活の終わりをついに迎えた。不思議と涙は全く流れなかった。今までの人生で、卒業や引退というものは何度か経験してきた。それでも、ここまで清々しい気持ちで迎える終わりは初めてだった。これは決してア式に対して思い入れがないというわけではない。むしろ、今までのどの経験よりもア式での時間が濃く、最後までやり切ったと思えたからだと思う。もちろん、ア式でのサッカーは楽しかった思い出だけでなく、悔しさや劣等感を感じる経験もたくさんしたし、むしろそっちの方が多いような気もする。最後の最後で踏ん張れなかったり、ここぞという場面で結果を残せなかったり。自分の弱さや情けなさを痛感させられた4年間でもあった。それでも、引退した今、ア式での生活に一切の後悔なく清々しい気持ちでいられるのは、最終節とシ式の存在が大きいと思う。このブログでは、そんな最終節とシ式について書こうと思う。
まずは最終節について。
最終節の相手は大東文化大学。
余談だが、今思えば最終節の相手が大東だったことも個人的には縁を感じる。大学1年の頃から大東とは頻繁に練習試合を行なっていた。これは自分の勝手なイメージではあるが、技術レベルが自分たちより圧倒的に高い大東との練習試合では、自分を含めなぜかみんな調子が良く良い試合をできることが多かった。それもあって、個人的に大東との試合はいつも楽しみにしていた。また、戸田さんに初めて怒られたのも大東との試合だった。アウトサイドの不用意なパスによるボールロストでの懲罰交代は今でも忘れられない。そんな酸いも甘いも経験した大東との試合が最終節であるのは縁を感じる。
自分は4年生としてのラストシーズン、ベンチからのスタートが多く、途中出場しても結果を残すことができずに、シーズン後半戦ではベンチ外のことも多くなった。極め付けには、初めてスタメン出場を果たしたアウェー成蹊戦。チームは初勝利を飾ったものの自分は開始20分で負傷交代という情けない結果に終わった。シーズンを通して、チャンスが与えられても、満足できるパフォーマンスはリーグ戦では一度もできなかった。何もできずにただ見ていたチームの初勝利や、日文戦での勝利では、心の底から笑えていなかった気がするし、肩身の狭さも感じた。ラストシーズンは、この4年間で最も悔しさ、情けなさを感じるシーズンだった。
そんな中、迎えた最終節。イレギュラーも重なり、再びスタートからピッチに立つチャンスを得た。最後のチャンスであることを自分に言い聞かせ、後悔がないように、どんなミスをしても気にせず、とにかく最後までやり切る覚悟で臨んだ。
試合は前半で3失点を喫し、じゅんきと西田の2得点で1点差に迫る時間もあったものの、結果は2-5で敗北。FWである自分は無得点に終わった。FWとして、決定機で決めることができず、チームも結果だけ見たら惨敗。悔しさはもちろんあった。
それでも、個人としても悔しさが多かった今シーズンで、初めてサッカーを楽しみながらプレーすることができたし、やり切った思いでピッチを去ることができた。試合後の挨拶では初めて胸を張って感謝を伝えられたし、その光景は格別であった。
この試合でやり切れなかったとしたら、この卒部noteの内容も全く違うものになっていると思う。そういう意味で、この最終節は自分にとって非常に大きいものだったなと改めて思う。
現役部員の中には、なかなか結果が出なかったり、思うようなプレーができなかったり、怪我をしたり、様々な理由で苦しい状況の中で部活に取り組んでいる後輩もいると思う。自分もア式ではそんな時間を長く過ごした。自分がうまくいかない時には、コーチに文句だけ言ったり周りに当たってしまうこともあった。
そんな後輩たちに伝えたいこととしては、最後まで決して諦めることなく、自分なりのア式でのサッカー人生を走り切ってほしいです。月並みな表現ではあるけれど、やり切ったその先に、見たかった景色が必ず広がっていると思います。卒業してもア式の1サポーターとして応援しています。
次に、シ式について書きたいと思う。
ア式の他の学年の人たちは知っているとは思うが、シ式は部活後本当に毎日昼ごはんを食べに行っていた。しかも、毎回全員で。昼ごはんだけではなくて、大学でも、基本的に何をするにもシ式はみんなで行動していたし、本当にシ式とばっかりいた4年間だった。
自分はそんなシ式がかなり好きだったし、この代でよかったなと、引退して改めて思う。
正直、大学入学前に思い描いていた大学生活とはかけ離れた4年間ではあったが、それでも良いと思えるくらいア式での生活が楽しかった。
特に、怪我をしている時はシ式の存在に助けられた。自分はア式では度重なる怪我により、何度も離脱することがあった。怪我をして復帰しては、またすぐに怪我をした。復帰してすぐ怪我をするのは、メンタル的にもかなり辛かった。
基本的に怪我人は安静を除いてグラウンドに見学に来るのが原則ではあるが、正直何度も怪我をしていると1時間かけて練習の見学に行くのが嫌になることもあった。
それでも、いつ行っても楽しいシ式のみんなに勝手に励まされていたし、「早く復帰しろ」と言われることがリハビリの励みになって、度重なる怪我をしても、何回でもピッチに戻ることができた。
周りから見たら内輪ノリばっかりしていたシ式だけれど、自分が最後までア式をやり遂げることができたのはそんなシ式の存在があったからだと思う。シ式のみんなにはほんと感謝しかないです。
引退後の11月に、最後の学年旅行でオーストラリアに行った。最後の夕食の乾杯の時、じゅんきがキャプテンとしてスピーチをしていたが、自分は一番席が遠くて正直何も聞こえなかった。唯一聞こえたのは「この先も〜」みたいな感じで、じゅんきのことだからきっと良いことを言っていたと思う。この先も、それぞれの道で頑張って、たまにシ式で集まれたらいいなと思います。
ここでは最終節とシ式について取り上げましたが、一緒にサッカーをした先輩方・シ式・後輩のみんなや、コーチ陣、スタッフのみんな、さらにはどんな時もサポートしていただいた保護者の方々・OBOGの方々の存在があったからこそ、15年以上続けてきたサッカーを、自分なりの「最高のラストプレー」で締めることができました。本当にありがとうございました。
また、サッカーを通して、たくさんの人と出会い、たくさんのことを学びました。サッカーを通して関わった全ての人に感謝しています。ありがとうございました。
ア式での全ての経験や、仲間との出会いは自分にとって何にも代え難い財産です。
ア式でのかけがえのない経験を大切に、この先の人生も走り抜いていきます。