海を見る自由と引き換えに|山下諒
ア式の活動は基本的に週6で、皆活動後やオフの日に学業、アルバイト、遊び等の予定を入れている。サッカーで疲れてしまい、午後のほとんどを昼寝に充ててしまう日も少なくなかった。つまり多くの体育会の例にもれず、部員のほとんどは平均的な大学生よりも忙しい日々を過ごしているはずだ。
当然部員は皆サッカーが好きで自分の意思によって部活動に所属しているし、自分の忙しさに不満があるのならば辞めてしまえという話だが、現実はそう簡単な話ではなく様々な事由が複雑に絡まっていて、最終的に部活動に所属していたほうが自分にとって良いだろうという判断をした結果が卒部noteを書いている現在に繋がったわけである。
私は2年生からア式に中途で入部しており、1年生の時はサークルには所属していたもののコロナ禍の影響もあって活動はほとんど無く、自分の時間がかなり多かった。1年生の頃は自由な時間があったからこそ思い付きで旅行に行くこともできたし、翌日のことなど考えず徹夜で麻雀を打つこともできた。朝早く起きた時には鎌倉・江の島方面に海を見に行くこともあった。
冒頭で紹介した立教新座高校の渡辺憲司校長(当時)の「海を見る自由」は、受験生のときに知ったもので、当時から現在に至るまでずっと心に残っている言葉だ。1年生の頃にはまさに私も「海を見る自由」という権利を持っていたし、行使していた。
2年生になってア式に入部するとなかなかその自由を行使する機会は訪れなくなった。部活が終わった後は疲れているし、そもそもまとまった時間が取れない。オフの日にはたいてい予定を詰め込んでいるため、海を見に行くとしても前々から企画した旅になってしまい、「ふらっと」「思い付きで」というのはなかなか難しい。
入部当初はそれまでの生活とのギャップにかなり戸惑い、何度も自分の「ア式に入る」という選択が正しかったのか考えた。サッカーをやりたいだけならばサークルでもいいのではないか、大学生という最後のモラトリアムをほとんど部活に捧げることが本当に自分にとって良いことなのか。マイナスな考えはいくつも浮かんできて、退部を考える日もあった。
ただそれでも辞めてはいけないと歯を食いしばった当時の自分を今褒めてあげたい。もしかしたらあったかもしれない「自由で楽しい」大学生活を失ったとしても。サッカーは最後まで下手くそなままだったけれど、ア式に在籍した約3年間の日々は何よりも価値のある時間だった。
試合のために重ねた努力、試合に出られず感じた悔しさ、勝利を仲間と分かち合う喜び、自分がゴールを決めたら駆け寄ってくれる仲間たち、どれもア式に入らなければ得られなかったものだ。
10月に卒部して私は再び「海を見る自由」を得た。ただそれは1年生の時のものよりも価値のある自由である。やりたいこと、行きたい場所が増えた。海に行く仲間ができた。暇な時間を貴重に感じられるようになった。やりたいことを実現する行動力、体力がついた。
来年の4月に就職し、40年以上「海を見る自由」を失うことになる。しかしそこにネガティブな感情は以前ほどない。ア式での日々が価値観を変えてくれたから。
残り約3か月の大学生活でどれだけ海を見に行けるだろうか。
関わってくれたすべての人々に最大の感謝を。ご清覧ありがとうございました。
山下諒