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I’m a football player|森谷高太

Profile
#8 MF 森谷高太
出身高校:川越東高校

献身的な守備と効果的なランニングでチームに活力を生み出すMF。ピッチ上で闘う姿は見ている人に勇気を与え、今季は部長として、ピッチ外でもア式というクラブを支えた。

こんにちは。森谷高太です。

「サッカーがしたい」
「やるなら本気でやりたい」
ただそれだけの理由で入部したア式での3年6ヶ月は、皆さんのおかげで想像以上に濃密な時間になりました。
引退してもう2ヶ月が立ちますが、実感は全く湧いてきません。

小平でサッカーしたいなと毎日思っています。まだまだ体も動きます。

ただ、区切りをつけないといけない時も近づいてきている気がするので、この場を借りて、ひたすら自分の気持ちを振り返ることにしました。

ぜひ最後までお付き合いください。

1年目〜3年目

自分で言うのも恥ずかしいが、1年目は結構うまくいっていた。

まず環境に恵まれていた。人工芝の新しいグラウンド。監督に戸田さん。Bチームの監督にショウさん。チームを引っ張る先輩方。
高校までろくに努力してこなかった自分でも、そんな環境でプレーしていると日々成長を実感できた。授業のほとんどがオンラインで、毎日練習に参加できたのも良かった。

Bチームで試合に出ることができるようになると、ほどなくしてAチームに上げてもらえた。

Aチームでは毎日緊張しながら練習していた。間違いなく自分が1番下手だったから、手を抜いたら終わりだという気持ちで臨んでいた。すると、思っていたよりも早くリーグ戦で使ってもらえた。
自分が出ることに「何であいつが」と疑問を持っていた人もいるはず。「自分でなきゃいけない理由」は自分でもわからなかった。

でも、そんなことを悠長に気にしている余裕もなかった。前プレとトランジションだけは誰よりも頑張ろうと思っていた。

そんな怒涛の1年目は、2試合に先発。途中出場も数回。チームには何の貢献もしていないが、充実感と達成感は間違いなくあった。練習で準備したことを発揮し、足が攣るまで走って味わった勝利の瞬間は今でも鮮明に覚えている。


しかし、それからしばらくして、自分はそのような瞬間には立ち会えなくなった。
いや、そのチャンスを自ら手放していったという方が正しい。


「コンスタントにリーグに出場する」という目標を持って臨んだ2年目。
チームが開幕から連勝する中、数分しか試合に出られない。しまいには、同じポジションの選手が怪我をして、これからというタイミングでBチームに落ちる。すぐにAチームに戻ってやろうという気持ちも、自分がBチームにいることへの納得感から次第に消えてしまう。かろうじてサタデーには出してもらっていたものの何もできない。

結局、このままシーズンは終わった。

リーグ戦でチームが勝利したときも、それはどこか他人事。駒沢での商東戦に勝利したときも、最終節で4年生が点を入れて勝ったときも、心の底から喜べない。

一方で、6月ごろ、主務というクラブにおける大きな役割を通常よりも早く引き継ぐことになった。ピッチで何の成果を出せなくなっていた自分にとって、ピッチ外で貢献する手段を与えられたことは好都合だった。ピッチで見失った自分の存在価値を誤魔化すくらいには、主務の仕事は大変で責任感のあるものだった。


3年目。シーズンの最初にショウさんに自分の目標を伝える機会があった。

「リーグ戦に5試合先発で出たい」

記憶は定かではないがこんなことを書いたはず。
「本気で達成しよう」「本気で達成できる」と思って決めた目標ではないからはっきり覚えていないのも当然だ。
2年から3年になってできるようになったこと、それは自分に期待するのをやめることだけだった。

チームは開幕後の2戦こそ落とすものの、そこからは相手を圧倒し勝利を積み重ねる。自分はベンチに入るが、勝負のついた試合で最後の数分出場するだけ。毎週訪れる歓喜の輪に、その当事者として入っていくことは全くできなかった。

サッカーが上手くなっている感覚があることにはあった。課題だった保持時のプレーに、ポジションがアンカーに変わったことで否が応でも向き合う必要が出てきたから。ボールに関与する機会も増え、立ち位置と体の向きに特にこだわると、以前よりも落ち着いてプレーできるようになった。紅白戦でプレスを剥がせることも増えた。

でも、結局はその程度だった。

はっきり言って、ナベさん、コバさん、アキラというピッチ上で結果を出し続けていた選手たちから本気でポジションを奪ってやろうなんて思ったことはない。
ベンチに入れれば良いやくらいにしか思ってなかった。
昇格が決まった東工大戦、優勝争いの大一番日文戦、最終節の日生戦。気づけば自分はピッチの外から応援していた。そんな気持ちでやっていたのだから当然だ。

サッカー人生で1度味わえるかどうかという優勝の瞬間に自分の存在は不要だった。所属チームが優勝したから当然嬉しい。でも、そんなもん。「別に自分は何もしてないしな」という気持ちはどうしても消えない。

この年も主務という役割を担った。
決まった仕事をやるのに精一杯だった前年に比べれば余裕も生まれてきた。この領域は自分が1番詳しいという自信が持てるようになったし、他部署の人と協働して何かをする機会も増えた。
周りの人たちとも自分を信頼してくれるようになった。だから、この1年、クラブの運営という意味では、少しばかり貢献した実感もあった。それは素晴らしいこと。

ただ、主務の仕事を頑張ることは、ピッチで活躍できない自分がア式での居場所を失わないために無意識のうちに立てた生存戦略の一部となりつつあった。
ピッチ内外でクラブの顔となっている人たちの横に並んで幹部会議や幹事会に出席することで小さなプライドを満たし、ピッチで何もできない自分の不甲斐なさを誤魔化し続けた。


4年目

部長に就任。クラブは7年ぶりの1部リーグに挑戦。
これ以上にないチャレンジングな環境と立場でラストシーズンを迎えた。
新シーズンに向け、運営面でやらなくてはいけないこともたくさんあった。クラブ全体のことを考える機会も増える。意思決定をする場面も増える。

想像以上に多くの人が応援してくれることを知る。
同時に大きな責任も感じる。

第1節朝鮮戦。3年ぶりにスタートとしてリーグ戦のピッチにたった。リーグ戦の高揚感と緊張感を味わうのも束の間、終始相手に圧倒され、準備してきた守備も全く通用しない。
第2節学芸戦。関東リーグから落ちてきた相手にビビって何もできない。しまいにはボールを受けるのが怖くなる。

久しぶりに立つことができたリーグ戦の舞台は想像以上にタフなものだった。
第3節からスタメンではなくなる。そこには疑問すら生じない。

そして、チームはその後も1ポイントすら獲得できない。

こんな状況で自分の頭には次のことが浮かんでくる。

「『部長として』チームのためにできることはないのか」

いやいや。ピッチに立つ1人の選手として、まずお前が何もできていないじゃないか。

苦しい状況において、過去2年間サッカーで成果を残すことから逃げ続けた自分には、ピッチ外の役割に助けを求めることしかできなかった。自分のプレーを差し置いて、チームの状況ばかり気にしていた。
想定外だったのは、クラブの代表となってしまった以上、そこがかつての「逃げ場」ではなくなっていたことだろうか。

クラブの代表として、競技結果に対して責任を感じ、なんとかしないといけないと思うのは当然のことだし、それ自体は間違っていないはず。しかし、サッカーに居場所を求めてこなかった自分には、連敗が続くチーム状況を変える手段など当然のことながら持ち合わせていない。何とかしないといけないけれど、何をすべきかわからない。自分のプレーを棚にあげ、誤った「部長としての」責任を感じ、自らを苦しめる。それだけなら良いが、プレーではチームに迷惑をかける。

今シーズンよく試合に来てくれてたショウさんから、あるときこんなことを言われる。
「負けが続く中でもみんながチャレンジして色々なことをやろうとしているのがいい。」
適当に「そうですね」と返答したが、もはや自分自身はそうでないことを自覚する。楽しみだったはずのリーグ戦はもはや恐怖の対象となっていた。

そんな気持ちで日々練習して、自分のプレーが良くなっていく訳が無い。チャレンジが推奨されるクラブにいながら、全くそれができない。
そして、いつも自分の行動の先頭には「部長として」という言葉が付き纏っていた。その立場から、何かアクションをしなきゃいけないといつも考えてしまっていた。

そんな中迎えた第13節の学芸戦。終盤に追いつかれてしまったことは別として、今シーズン初の勝ち点獲得で、チームは良いパフォーマンスを披露していた。一方で自分はこの週の紅白戦のパフォーマンスが原因でスタメンから外れ、早い時間帯からアップをするも出場することなく試合終了。

上位相手に勇敢に戦う味方、ある種の充実感をもってベンチに帰ってきた味方を見て、一昨年や去年と同じような感覚に陥る。「部長として」「チームのため」とやってきたつもりだけど、「自分はこのチームで何もできていないじゃん」という感覚。これまでに何度も味わった、当事者としてこの試合に関わることができていない感覚。
試合には出たい。けれども、良いパフォーマンスをする自信はない。
だから、試合には出されなくて大正解だった。そう思えてしまうことが何より悔しかった。

学年と立場が変わっただけで、自分ができることは何も変わっていなかったのではないか。
翌日のサタデーを経て、その疑念は確信に変わった。

ここまで来ればどんなに馬鹿な人間でも、自分が誤魔化し続けてきたことから逃げられなくなってくる。

「『選手として』ピッチでできることはないか」

ポジションが1つ前になったこと、そこでたまたま良いパフォーマンスができたことが幸いした。試合を重ねるごとにピッチ上でどんどん成長している選手たちからの学びがあった。オフ中にグラウンドに来てた多くの後輩からも刺激を受けた。みんながチームの結果に大なり小なり責任を感じて、何とかしようとしてくれていることを感じた。残り2ヶ月で競技サッカーをやめるんだと意識したことも影響した。そして何より、それこそが無力な自分がチームにできる最大限のことかもしれないと、ふと思えたことが良かった。

明確に「この瞬間」というタイミングはないが、自分のマインドは徐々に変わっていった。
1人のサッカー選手としてピッチでの成果だけにとことん拘ろうと思った。良く言えば、サッカーのパフォーマンス以外での自分の拠り所を捨て、悪く言えば、部長という責任ある立場を心のどこかで放棄させてもらった。

「クラブの代表として」「1人の選手として」
この2つは両立し得るものだし、本来はひとつながりのもの。
1人の選手としての日々の取り組みが、プレーが、部員全員の模範となり、クラブのトップとしてみんなを引っ張るものとなる。

ただ、自分にはこの2つを意識してサッカーをする能力も余裕すらもなかった。
情けない話であることは承知の上で、今振り返れば、片方を捨てる選択をして良かったと思う。

中断明けの成蹊戦からまた試合が楽しみになってきた。この試合で得点できたことも自信になった。特に保持時のプレーで、できることが少しずつ増えていたし、紅白戦でもゴールに絡む回数がかなり増えた。リーグ戦でできることは相変わらず僅かだし、悔しい思いをすることの方が圧倒的に多かったけど、前の試合よりも今日の試合、そして次の試合と少しずつ成長している実感はあった。

何より20年近く続けてきた競技サッカーの引退を目前にして「俺まだまだサッカー上手くなれるじゃん」と思えるようになったことが個人的に嬉しかった。

ここにきてやっと「俺を試合に出せよ」と自信をもって思うことができるようになった。早い時間の交代には「まだピッチ上でやりたいことがあるのに」と不満を感じた。サッカー選手にとって大切な気持ちを、ようやく持てるようになった。
それまで「足がキツくなったら早めに教えて」と言われ、正直に全て伝えていた自分は、キツくても「まだ大丈夫です」と嘘をつくようになった。

この2つ、客観的に考えたらどちらも間違っている。
ただ、選手としての自分にとってはこれが正解だった。そう思えるようになったことは自分にとって意味のあることだった。

自分の拠り所をようやくピッチに見出すことができるようになってきた。


選手としてのパフォーマンスだけを求めるようになったからといって、チームの結果に対する意識は全く変わらなかった。むしろ、なおさら結果にはこだわった。最後の1分1秒まで本気で残留するつもりだった。

そんな思いも虚しく、商東戦に敗れ、降格と最下位が決定する。途中出場した自分ができたことは何もなかった。少しばかりついた自信はチームを残留に導くのにあまりに無力だった。これまでの試合で1番悔しかった。受け入れ難い結果だった。シーズン中、プレシーズン、入部してからの4年間、ありとあらゆる自分のこれまでの取り組みを本気で後悔した。

「自分は成長もした。そして残留もできた。」
そう言って引退したかったけど、現実はそこまで甘くない。

「1部リーグで経験したことを忘れずに来年は2部リーグで昇格を目指して頑張ってほしい」
こんなこと後輩に言えたもんじゃない。1部リーグでの経験はかけがえのないものであると知れたからこそ、残ることに意味があった。

「最後の数試合、プレー面で少し成長をみせられてよかった」
こんなことをいって、無理やりハッピーエンドにしたくもない。
心の片隅にわずかに残った部長としての責任が、こんなふうに思わせるのかもしれない。


今シーズン、心から嬉しかったことは本当にたくさんある。
選手として、もっと言えば1人の人間として、できるようになったこともたくさんある。

ただ、どうしても22戦2勝3分17敗という結果を前に「私は後悔なく大学サッカーを終えることができました」と言うことはできない。
「あのとき、こうしておけば良かった」という思いは今でも無限に出てくる。


だから、今シーズンを共に戦い、支えてくれた後輩のみんなには、そういった気持ちを1つでも減らせるように、日々頑張ってくれたら嬉しいな。応援しています。


長くなってきたのでそろそろ終わります。


最後に

「ピッチでチームを引っ張る選手になること」

ア式での4年間、ピッチ内外で色々な経験をさせてもらった自分が、巡り巡って最終的に目標に定めたこと。

「サッカーがしたい」「やるなら本気でやりたい」
ただそれだけの理由で入部したからこそ、自分の理想像はピッチにあった。

こんな当たり前のことに気づくまでにかなりの時間をかけてしまった。

部長としての自分でも、主務としての自分でもない。
自分の探し続けた居場所はいつものグラウンドにあった。

「フットボールほど色々な感情が生まれるものはない」
戸田さんがよくおっしゃっていた。

ピッチの11人が表現するプレーが、そのクラブの取り組みを反映する。22人の選手と1つのボールが、そのクラブに関わる全ての人の感情を揺さぶる。
主役は選手。自分はその一員であり続けたかった。

悔しさ、楽しさ、辛さ、嬉しさ、イラつき・・・
そんな色々な気持ちを共有してくれた人たちと共に創り上げた熱狂的な空間で、選手として喜ぶことができるあの瞬間が好き。

今年は2回しかなかったけれども、勝てたときの喜びは最高だった。
自分がまさに求めていた瞬間だった。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

ネガティブな話が多くなってしまいましたが、ア式に入部して良かったと心の底から思っています。自分の居場所はどんなときもア式の中にありました。

素晴らしい仲間たちとの出会い

弱い自分と向き合い、チャレンジし続けることが大切だという教訓

難しい。苦しい。けれども美しい。そんなサッカーの新たな魅力

どれもア式の4年間でしか得られなかったものです。

4年間、本当にありがとうございました。
また小平で会いましょう。

一橋大学ア式蹴球部
森谷高太


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