お山の大将|五十嵐日向大
こんにちは。
最近自分は、日本のアニメや楽曲に対する海外の反応集を見るのにハマっています。特にニコラス兄貴はほんとに良い反応をしてくれます。しかも、これのおかげで英語のリスニング能力が爆発的に伸びたので、しおん君には申し訳ないですが海外勤務がいよいよ現実味を帯びてきました。
さて、自分にとってはこの卒部ブログが最初で最後なので、ベタに自分がア式で感じたこと、考えたことを書いていこうと思います。敬体か常体かで悩みましたが、雰囲気出るので常体でいかせてください。
大学1年生の時に「お前はサークルがお似合いだよ」と戸田さんに言われたことがある。
当時はかなり不貞腐れてた気がするが、自分がア式でやってきたことを考えるとその通りだったのかもしれないと思う。現役中にサークルの方がよかったかもと思ったことは1度もないのだが、引退した今振り返ってみると少なからずそう考えてしまう。
それは自分が2つ、ア式で大きな後悔をしたことに関係している。
4年の9月頃、紅白戦をたろうとベンチから見ていた際にこのようなことを言われた。
「ひなた、昔は西田より全然上手かったのにな。」
咄嗟に「まあ、タイプが違うからな。」とごまかしたが、「いやいや絶対値あるから!」と、彼お得意の正論で返されてしまった。
当時の自分にとっては一番刺さる言葉だった。「足動かしてくれ!」なんて比にならない。
西田だけでなくのりや泰治、高太といった同期がどんどんできることを増やし、評価を上げていく姿を見るのが苦しかった。俊輔が「○○できるようになったんだよね」と嬉しそうに言ってくるのも今までは手放しで一緒に喜んでいたが、4年になってからは少しだけしんどくなった。
先頭集団を走っていたつもりがいつの間にか追い越され、みんなの背中がどんどん小さくなっていく、そんな感覚だった。
現役中は目を逸らしていたが、小中高と試合に出続け、大学になってからもボールの扱いが周りのみんなより少し上手かったことで、しょうもない驕りが自分にはあったのだと思う。自分は試合に出るべきで、出れないのはシステムやチームのコンセプトのせいだと自分に言い訳をしていた。そしてその驕りは引退するまで完全には消えなかった。
知っている人は知っていると思うが、自分は4年生になったあたりから自主練では大体無回転の練習をしていた。「それ意味ないって」と森谷君を筆頭に忠告してくれる人がいたが、そんなこと自分でも百も承知だった。よっぽど素走りしてた方が有意義だった。それを分かっていながら自分の弱点から目を背け、楽な方へ楽しい方へと逃げた。
そんな自分をよそに成長していく同期は、己の弱さと向き合い、必死に考えて、行動に移すことで弱点を克服していった。
自分はその過程をすぐ近くで見ていながら、幼稚で傲慢な驕りから自分の現状にあぐらをかき成長のために何の努力もできなかった。
これが1つ目の後悔だ。
2つ目の後悔は、チームの責任を少しも背負えなかったことだ。
1スタメン8途中出場0G0A
最後のシーズン何試合に出たかもあまり覚えていなかったため、都学連のHPで自分の成績を確認してみた。
あれ、こんなに試合出てたっけと思った。
それくらい、最後のシーズンは自分が何かをしたという感覚がないし、実際していない。というより、4年間を通してア式に何か貢献できたと胸を張って言えるものが一つも浮かばない。
開幕から連敗をしていた時も、惇樹とか高太とか結果が出ず苦しむ同期をどこか他人事の様に眺めていたし、練習の雰囲気重くなるの面倒くさいな、くらいに思っていた気がする。
その間に同期は精神的にも成長して、気づけばア式を背負って戦っていた。自分からは、そんな同期のみんなが本当に逞しく、かっこよく見えていた。しかし、自分はその一員にはなれなかったと思う。
もちろん同期だけではない。
後輩たちも最高学年の自分よりはるかに責任感を感じて、チームのために戦っていた。
4年前期の学芸大学戦。唯一ア式の一員として戦えた気がする試合で、一番熱くなれた試合。自分らしいプレーを出せた覚えは一つもないが、必死に声を出して、必死に走って、ア式生活で一番充実した試合だった。
このときの自分を手本に今後部活に取り組めば、チームの助けになれるかもと微かに自分に期待をしたが、結局変われなかった。
シーズンを通して、苦しんでいる仲間の重責を少しでも肩代わりして一緒に戦えなかったことを本当に申し訳なく思っている。
まとめると、
「成長に向けて努力する」
「チームの責任を背負う」
当たり前のことのように感じるかもしれないが、この2つが大学でも部活を続ける意味なのだと、こんな自分だからこそ思う。
そして、ア式に入ったからには全員がやらなければいけない使命だとも思う。
カテゴリー分け、スタメン争い、怪我、連敗、周囲の成長、自分の伸びしろへの疑問。苦しいことがア式には山ほどあるけど、それらと全力でぶつかれるだけの環境も仲間も見返りもア式にはある。
そんなア式の舞台で、一進一退を繰り返しながらも自身の成長を感じ、チームを背負って勝利を掴み取ったときの喜び。
清々しい顔で引退していった先輩や同期はきっとこの、ア式だからこそ得られる喜びを味わえたんだろうなあ、いいなあと今更ながら思います。
以上の理由から「俺は部活じゃなくてよかったんじゃ」と思ってしまったわけですが、それは自分の力不足による結果論であって、ア式に入ったことを後悔したことは一度もないです。これは胸を張って言えます。
そして後輩たちにはぜひ清々しい顔で引退してほしいなと思います。特に窪田君、一番心配なのは君です。頑張ってください。
長々と書きましたが、自分と向き合うことから逃げ、周りに目を向ける余裕のあった自分が4年間で出した結論なので、あながち間違っていないんじゃないかなと思います。
最後に、お世話になった方々へ
先輩の方々
優しく尊敬できる方々しかいなかったです。先輩方が作るア式の雰囲気が大好きでした。色々とお世話になりました、ありがとうございました。
後輩たち
顔を思い出すとみんな笑っています。それくらい、明るくエネルギッシュで魅力的な後輩たちでした。楽しい思い出をありがとうございました。
監督・スタッフ・マネージャーのみなさん
あまり力になれず申し訳なく思ってます。もし自分を使わなくて少しでも後ろめたさを感じているなら、全くその必要はないです。自分が一番納得しています。最後まで楽しくサッカーできたのは、監督陣・スタッフ・マネージャーのみなさんのおかげです。ありがとうございました。
両親
ほぼ毎試合応援に来てくれたのに活躍している姿というか、試合に出てる姿をあまり見せられなくて申し訳ありませんでした。沢山迷惑かけてきましたが、サッカーを続けてこられたのは確実にお二人のおかげです。長い間本当にありがとうございました。
シ式のみんな
ア式に入って一番良かったことは、シ式のみんなに出会えたことだと思ってます。本当に楽しい時間をありがとうございました。
柄にもなく真面目で重々しい文章を書いてしまいましたが、結局一番伝えたいのは感謝です。
ありがとうございました!
五十嵐日向大