ワイの生い立ち 滝山寮編

順番的には「ワイのお笑い年表 1年生ライブ編」を書くはずだったのですが、こうなってしまいました。

経緯としては、

「よし、1年生ライブ編書くか〜。そう言えばZ戦と丸被りだったな、Z戦の説明もしなきゃ。てかZ戦の説明する前に滝山寮の説明しなきゃ行けない部分が多すぎるな。あれ?これ、1年生ライブより分量多くなるぞ?」

てなわけで、お久しぶりの「ワイの生い立ち編」ということで!あまり語ってこなかった滝山寮での僕の2年間を全て語ろうと思います。

noteってこういうことだもんね!!

さて滝山寮というのは本来、東寮、南寮、中寮(昔は北寮、当時の光球寮)が、1つなった400~500人が収容された寮でした。

しかし、48期生入学以降は中寮のみになり
寮生約90名
残寮生29名(うち3年生残寮生(通称3Z)3名・寮長1名)

といった布陣でした。

1年生の3月末に入寮した僕は、中寮9号に配属され、残寮生2名(コンさん、サイソンさん)、寮生7名(ふっちゃん、ヒデ、キンし、ロマン、ばいゆう、ソバック、山ちゃん)の9人部屋に収容されます。

(この後、ヒデ、ロマン、俺は滝山寮残寮生、ばいゆうは宝友寮一棟副寮長になります。ばいゆうとは3年、ロマンとは4年一緒に住んでいる。)

そもそも中寮の説明からか。
全7階建てで1フロアに2部屋あり、2階の3号から7階の14号までの12部屋に約100名が暮らしています。

(1階に1,2号が存在しますが1階とは名ばかりのほぼ地下に存在しており日が当たらず、なんかの法律的に人が住めるような場所ではないことが発覚し、数年前から封鎖)
(あと玄関と食堂が3.5階に存在するので、1つ上がると4階です)

当時は尖ってたこともあり、「地方の陰キャと同じ部屋」「滝山おもんない」「俺は新滝が良かった」などと関西校のやつや創大に来なかったやつらに愚痴をこぼしていました

入寮日の部屋で親睦を深めるサッカーも「あ、いいっす」と断り、関西校メンバーでサッカーをしていました(やな1年!!!!)

しかし、そんな不安も拭い去るようにすぐに仲良くなります。
荒野行動が全盛期だったこともあり、荒野行動やシンプルトランプ、恒例のあだ名決めなどで一瞬で仲良くなりました。

入学式前の4/1にさくらとデートにいったんですが、デート中に正直、「これ寮帰ってみんなと荒野行動したりだべったりしてる方が楽しいかも…早く帰りたい…」と思ってしまっていました。

会って2,3日の人たちと打ち解け、デートよりも楽しいと思う、僕の性格を知っている人たちならなおさら、滝山寮の楽しさが伝わると思います

だって同じ大学の男子10人が同じ部屋に住み、同じ飯を食い、同じ風呂に入り、仲良くならないわけがないし、楽しくないわけが無い。

高校からビクトリー寮で2年間みっちり寮生活をしていた僕からすれば、滝山寮は天国でした、まず

・監督がいない
・人の部屋や風呂に入る時にノックして「失礼します」、先輩より先に風呂上がる時「お先です」、食堂に入ったら先に飯食ってる先輩達に向かって大声で「お疲れ様でした!!」などの挨拶が要らない
・先輩の洗濯のタイミングを伺わなくて良い
・そもそも野球の練習がない

たのしいーーー!!!!!
寮生活ってこんな楽しかったんだ!!!
勤行に寝坊して外出禁止もないし、怖い先輩もいない!!楽しい!!!

そしてなにより、僕は学園生だったのでアレですが、入学前から創大の先輩と知り合えることは本当に心強い。寮全体で履修相談会や質問会を開いてくれたり、何か困った事があればその何かに精通している人が寮のどこかにいるので、困ることはありませんでした。

学校も近いし、朝飯も晩飯も出るし最高の寮です

滝山寮用語

これからたくさん出てくるので、先に説明しておきますね。

・寝ちぎる…寝坊する
・入らじ…気分が乗らない。またはやる気のない人そのもの。(例)「エースいかん?」「あー、今日は入らじやわ。」、「あいつバリ入らじやん」
・寮生…1年生
・Z…残寮生のこと
・3Z…3年生の残寮生
・FR…副寮長、2年生の残寮生、2名
・寮長…3年生、1名
・Z戦…残寮生選考会、次の残寮生を決める
・FR戦…Z戦で選ばれた24名から次の副寮長2名を選出する
・Z会…残寮生ミーティング
・新残…新残寮生、Z戦で次の残寮生に決まった1年生
・旧残…旧残寮生、新残と区別するために使われる
・MR…ミーティングルーム、部屋にある共同スペース、キッチンがあり、冷蔵庫や炊飯器なども完備
・凱歌の伝統…寮生に配られる本、人革の滝山祭の章や寮の歴史、創立者の随筆などが書かれている。
・英知の間…仏間、集会などを行う
・ゲバルド…滝山寮2階フロアのこと、ほぼ日の当たらない地下のため「地下帝国ゲバルド」と呼ばれる
・天空…反対に最上階の7階フロアのことを指す

滝山寮の1日 

滝山寮では、月から土曜に1日2食のご飯が出ます。
朝は7:30~10:00の間
そんなに美味しくもないし、授業がなければずっと寝てられるので朝食べない人も全然います、9:55に起きてギリギリに食堂に来る人なども。
ただ、水曜は朝食のメニューがパンということで超人気でした。「パンの日は起こしてくれ!」とみんなで頼み合うほど。
(僕が寮生の頃は水曜のみだったのが、Zのときは水金になりました!これはマジで革命!)

そして7:30~8:10頃まで朝の集会があります。
Zは絶対参加なので、2年の1年間は毎朝7:30に起きていました。

昼は授業なりなんなりでそれぞれ過ごし、18:30~21:30の間に夕飯を食べます。

ほとんど部会終わりのご飯には誘われない2年間でしが、「ふっちゃんすぐ寮帰るから」などと言われておりましたが親に寮飯代払ってもらってるので申し訳無いし、オレパと別方向だし、誘われるためにウダウダ部会教室にいる同期がキモかったのですぐ帰ってました。(俺の性格を知ってまだなお「自分から誘わないと!」とかいう人とは仲良く出来ないな)

そして22:00~22:15までCT(クリーンタイム)として、部屋や食堂などの共同スペースの清掃、ゴミ出しなどを行い、22:15~22:45までST(スタディータイム)で、部屋で静かに勉強する時間を経て、お風呂に入り、就寝というのが一日の流れでした。
日曜はご飯が出ないので、部屋でご飯食べに行ったり、MRでタコパや焼きそばパーティーをしたりこれもめちゃくちゃ楽しい。

イベント

3月 入寮式
5月 SUNSUNスポーツフェスティバル 
      母の日企画
7月 青春城総会
      滝山寮ボウリング大会
10月~11月 残寮生選考
2月 各寮卒寮式・全寮卒寮式

あとは6:00からビクトリーグラウンドでサッカーをする、深夜サッカーとは真逆の早朝サッカーが不定期で行われたりしていました。

Z戦(1年生編)

全てのイベントに順番に触れて行きたいのですが、死ぬほど長くなるので、1年生ライブ編のスピンオフということもあり、1年次と2年次のZ戦について触れて行きます。

創大祭が終わると、中教の大きな教室に集められ、残寮生選考説明会的なことが行われます。ここでは選考基準やGPAなどについての説明がされます。
(ちなみに最初の基準GPAは3.0だったので、僕は切られて居たのですが、途中で2.5に下がり無事Z戦に出ることが出来ました。)

「じゃあZ戦スタート!」みたいな線引きは無く、Zの「空きコマ表」が廊下に貼り出され、「対話に来い」という雰囲気が流れ出し、食堂では誰が対話、ローソン前でも誰かが対話しているという恐ろしい時期に突入します。
Z戦で最低限しなきゃ行けないことは、フロアZ、寮長陣との対話、「凱歌の伝統」の読了です。
9号からは俺、ヒデ、ロマン、ばいゆう、ソバックがZ戦に出て、俺以外は残寮生全員対話を達成しました。それのせいで俺も霞むけど20人以上と対話している。

対話が終わる頃には、「フロア候補者会」というものが始まります。5階フロア(9,10号)のZ戦に出ている人がまずLINEグループに招待され、「○月○日○時 会議室 持ち物は筆記用具と凱歌の伝統」という怖いLINEが急に来ます。そこに入ると、フロアの残寮生がいつもと違う雰囲気で待ち構え、残寮生を希望するかどうか、今日勝ってここに集ったどうかなどを問われます。僕らのフロアではないですが、「朝風呂掃除をしたので勝ちました」などとぬかしたやつがボコ詰めされていました。そうです、候補者会は詰められるやつです。
優しかった残寮生ととっつきにくくなり、この辺りから寮全体がピリ付き出します。Z戦出てない人はほんとかわいそう。

まあありがちな、「全員で勝って集う」「全員で勝つとは?」「真の勝利者とは?」という哲学的問題を夜な夜な、候補者達で考えて、次の候補者会で残寮生にぶつけて、詰められるという繰り返しでした。

委員長選?もこんなんだったらしいね、でも委員長選とZ戦の、みんなからの理解の差がありすぎて悔しかった〜〜、早朝からなんかしてるのだけはかわいそうだった。

フロア候補者会を終えると、次は全体候補者に移ります。その名の通り全体。候補者も全員。残寮生も全員が英知の間に集まる。

ここでも「全員での勝利」「真の〜〜」などの宿題が出されており、ランダムに寮生が指され、ついて皆で考えてきた答えを答える、そして詰められる。
えぐいて〜

この全体候補者会も何度か行い、ある日の宿題が「最高の決意を持ってきて下さい」だった時ようやく終わった〜感がありました。
この時の決意も一言一句覚えていますが、こんな所では言いません。

最後には、顕彰室に呼び出され、結果を通達されます。
当時の部屋Zコンさんに「滝山寮9号 藤本雄大は来年、外で戦ってもらいます。」と通達され、頭が真っ白になりました。外、残寮生になれないということ。
噛み噛みで外での決意を述べたあと、「それでは再度通達します。滝山寮9号藤本雄大は来年、滝山寮残寮生として戦ってもらいます。」と、残寮生のとしての通達を受けました。これは、外で戦うメンバーの気持ちを知るためのもの。もちろん1年後に同じことをしました。心臓に悪いね、ほんと。

もうこの時点で4,000字を越えています。

・FR戦
・2年次のZ戦

については、「ワイのお笑い年表 1年生ライブ編」の後にまた続きを書きたいと思います。

既読感覚でハート押してください。
励みになりますので。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!