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同じ空気が吸いたい

この話は今回で最後にしようと思う。

撃たれる動画も倒れた後の写真も
みんな目にも脳裏にも心にも焼き付いただろうから
もう流さなくていいよ、と思うよね。

作り方はネットで調べたという報道だけじゃなく
どんな材料を使って作成したのかも、テレビで放送されたと知ったし。


数えきれないぐらいの人が
その方法を調べて、自分も作ってみようかと考えると思う。

日本は安全だと鷹を括るのは
今も昔も間違ってるかもしれないが

一般人でもどこの誰が、命を奪えるレベルの武器を持っているかわからないという心配を今後抱えていかなければいけない という事実は、これ以上ない不安材料である。


犯人の動機だって、断片的な情報や発言を勘違いや思い込みで認識して、お門違いな批判をしたり炎上したりしている近年のSNSの雰囲気となんだか似ている。

通常の会話でさえ解釈の違いや認識齟齬が生まれるのに
LINEやTwitterの様にわずか数文字・数人の限定的な情報を端的に捉え、熟考せず発言したり行動に移するのは、短文慣れした現代人の悪い習慣になってきているそうです。
文才のある同僚談


人の善意やモラル・理性で世の中の平和ってやつは保たれているんだと実感しちゃう。

そして人間同士のコミュニケーションは、人間以外が発達すればするほど衰えていくな。




これは結果的に皮肉な話になってしまうけど

普段堅苦しく、礼儀やマナーを重視した発言をするしかない政治家の皆様も、今回の件においてはとても人間味のある発言をしている人が多いように感じた。

無事を祈る気持ちや、最終的には訃報となってしまった結末に対する思い、時には涙を浮かべたり、堪えきれなかったり、言葉が出なかったり、震えながら絞り出す言葉の数々には胸を打たれたし
安部さんへの敬意や親愛を感じられた。

政治家として、国として、ではなく
安部さんを慕う一人の人間として出る発言を受けて

これまで政治に興味のなかった人だって
少なくとも、そんな政治家の姿を目にして耳にして、感じることはあったんじゃないかと思っている。

これを機に、派閥関係なく
日本をより良くしていきたいという単純な思いだけで一致団結できたら、消えてしまった命も報われるのかな。


そんな綺麗ごとで片付く話ではないと思うけど。

それでも、今の日本を支えている立場の人たちに
こうして人間味のある、人の心を持った人がたくさんいることを知って、どこか安心した部分もあるというか

どんな立場で物を言ってんだ 私は。


安心できない世の中にはなってしまったけど
希望も捨てないでいていいんじゃないかな、と思った。思いたい。



胸(を撃たれた)と聞いたもんですから、万が一のことを考えて、同じ空気を吸いたいという思いだった。(安倍氏は)さみしがり屋でもあったので、そばにいてやりたいという、そんな感じでとにかく行ってみようと。
朝日新聞


とても心に響いた、菅さんの言葉。


まるで愛する配偶者や家族に対して思うような気持ち。

同じ戦場でずっと奮闘してきた仲間であり友人であり、大事な存在であったことは間違いないだろうけれど

果たして同じような付き合いをしてきた人間と、同じような状況に自分が立った時に、「同じ空気を吸いたい」という気持ちになれるだろうか。


それが家族や恋人や配偶者であればまだしも
他人に対して、そんな気持ちを抱ける菅さんや

そんな気持ちを抱いてもらえる安部さんは

人として、大切なものをちゃんと持っている気がした。



*****



色んな方々の追悼文を結局見ちゃう日々ですが
安部さんは第一線を退いた後も、海外の首相達から
『シンゾーはなんと言ってるの?』 と現役に質問されるようなことがあったりしたそうで。

もはや今の職場で 我ながらレジェンド化している自分も、いつか現役を退いた後、残ったメンバーが困った時に

『御子さんだったらどうするかな』って考えてもらえるような人になれたらいいなと思った。


まだ退く予定はないけど。




安部さんのご冥福とともに
昭恵さんが少しでも心穏やかな生活を送れるよう

そして今後同じような事件が起きないよう
切に願います。



もう一度改めて
この事件について話すのは今日で最後にする。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。


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