一粒万倍日に始めようと思うこと。
それは、ぐうたら。
ん?違うかな🤣いや、全然良いんだけど…
リラックス。
心が落ち着いた状態を維持すること。
無理しない。
やらない。
諦める。
そして、"できてなーい"🌼
それで良いんだと自分を許すこと。
あー…やっちゃったな…っていう焦り、怒りや悲しみ…
も、とりあえず受け入れる。客観視。私ってそうよね…取り繕うことはしないで。自分がこうありたいと思うなら次はどうしたら良いか考えとく。
心が温かい方を選んでく。
etc…
幼少期には母親が精神病院に入退院を繰り返し、家でも母親と居ることにいつも落ち着かず…
私は長子だった為、
なんとかせねば…父がいない間は、何があっても私がなんとかしなければ…と妹と母へ緊張しながら…
6歳ごろになると緊張感に耐えられなくなったのか…
私がおちゃらけてればだれかが笑っててくれる…ということに喜びを覚えた結果、面白い私を目指して、多分やりすぎ…(家での寂しさも相まって、仲良くしてねオーラが出過ぎてたのか…)
小学2年生を超える頃からいじめにあう。
今思えば…寂しさばかりのめんどくさい子だったのかな…そりゃ…ですよね…(⌒-⌒; )
小中学ってそのまんま人も変わらないから、そんな空気は何年も続き…役に立たなければが行きすぎて…「友達だよね?私のために言うこと聞いてくれるよね?」という言葉に弱く…本心でその子の為と思い込んだまんま、中学の頃、同級生の暴走族のお姉ちゃんに、あーだこーだ理由をつけては連れてかれ…断わることもできず、性犯罪にまで利用され、巻き込まれてた…💦今思えば殺されなくて良かった💦幼すぎてわかってなかったけど…20歳過ぎてやっとなんとなくあれは犯罪に巻き込まれてたわ…と気づくも…異性に対してかなりトラウマになった💦
病んだ母に自己肯定感もすっぽり抜かれた結果ここまでそんなこともあり…義務教育を抜け出した私に訪れた高校生活。私はバイト、母は仕事もしていたので、あまり関わらなくなってた分、早く家を出て自立したかった頃に、今度は末期癌が発覚した母。
「お前が悪い子なせいでお母さんは病気になる。」が口癖だった母が末期癌に…
そして高校3年の春には他界。
めちゃめちゃ自分のせいだと思い込みました。
もっと私がこうしていれば。
いっそ、私が呪われてるから周りの人が死ぬのかも。
私なんか誰かを好きになっちゃいけないし、関わりすぎちゃいけないし、他の中に存在しちゃいけないんだ。とりあえず、1ミリでもいいから役に立つことだけしてないと!…………
…ほんと…あの時はそう思い込んでた。
自分の存在を消していなきゃいけない。
自分なんかが誰かのために役立つなら…必要としてくれるならどうなってもしなければ…
頭で思ってても、夜になると泣きまくる。食い縛る力で圧がかかって頭痛くなるくらい…
心は本当は正直なんだろう。本当は要らない人間なんかじゃ無いと思いたい。でも自分を認めてはいけないと押し込めて蓋してた。
母の言葉は死んでしまったことで話し合えることもできなくなり、呪縛になった。
昼間は弾ける様に笑顔でバイト。誰かの気持ちが悲しくしないように。イライラさせない様に。(境界性パーソナリティ障害?HSP?エンパス?)
(今思えば、他にそんなに影響与えるとかどんなに力のある人間だよ。って突っ込みたくなる。笑)
唯一救いだったのは、
こんなクズ人間だからこそ、自分のやれることを頑張りまくって一生懸命やって、"少しでも周りの人の役に立たなければ!"って必死だったことかな…。追い込んで追い込んで苦しかったりは母親からダメな人間宣言されてる時点で基本慣れてて、うん。ダメ人間!やっぱりだめやん!でも、やれることやって恩返ししないと!感謝しないと!って、それで迷惑は出来るだけかかってないと思ってた。自分を否定しながら生きてて良いといいきかせるには、リストカットは止まらない時はあったけど、自分が自殺なんてしても、逆にこんな人間の死体片付けとか周りの人に迷惑だと思ったりね。(今は職場や家族や子供ができたことで、空回りな頑張りが如何に周りにも迷惑となっているか今はわかる。"母親の過期待「なんでお前はできないの?!ダメな子なの!!」"で、
"誰かの望むことができてる自分"でなければ愛情を受けれない、世の中に受け入れられないと思い込むらしい。)
ここまでのこと、今は客観的に話せるけど、このこと自体も、34歳くらいまで自分では何も気づかず、苦労とかとも思わず、他にも頑張ってる人や苦しい人は沢山いる!もっと私も頑張んなきゃ!って当たり前のように過ごしてきた…
仕事したり、家族ができたり、少しずつ何年もかけて、周りから言われる様になって気づき始めた…
あれ?空回り…やりすぎ?逆に迷惑?騙しがいがある?期待なんてしてない?なるほど。そう言われてみればとてつもなく気持ちが楽に。
相談するとか頭になかった…私は一人で頑張らないといけないと思い込んでた。(母親の教えとはいえ、本人は必死だが、一人でなんでも頑張ろうなんて側からしたら驕り?笑)
でも、やはり、助けてくれる人たちが現れる。
私の視野が狭すぎて、目の前で、すってーーーんと転んでたりするのだろう…
人生の駅のホームであからさまにオロオロしてどの列車に乗るのかさえ迷子になってる人がいるわ…みたいに見られてたかも…笑
頭の回転は悪かった分、救いだったのかも。溺れない様、必死に陸地を目指して泳ぐ。頑張る。
それしか出来なかったことは幸いだとも思った。
-全ては自分の蒔いた種!自分でなんとかしなくては!-
頭回らない分、人のせいにしたりする考えもつかなかった。
-迷惑かけたくない💦他の悲しみは辛すぎる-
なんて母を重ねたところで、結局のところ、どんなに思っても、どんなに頑張ってても私は、側から見た"完璧な人"にはならない。溺れてる。笑
そのおかげか、愛情や思いやりのある人たちが、声をかけて叱ってくれる人たちは沢山いた。おバカな自分を利用してくる人も確かに居たけど、今となれば全てを他へ委ねすぎないというそれも学び。
ありがたいのは、自分なんかのために真剣に考え、気にかけ、助けてくれた人たちに気付けたし、ほんとこんな私に関わってくれる人たちはありがたい。と思えたことだ。
母が死んだ後の20年。色々ありすぎるくらいあったけど、今は、青空や風や空気の違いやただそこにある景色の素晴らしさに気づけるほど、心の温かい状態というものを知ることができた。
元に戻ると…
2022年3月22日の春分の日。一粒万倍日と言われるこの日に、こんな私は何を始めたら良いのか考えた。
運気を上げるための掃除?いや、綺麗とまで言えなくても、普段追い込まれるかの様に埃気にしてるわ…病む病む…やめたいくらいだ。
心が軽くなる散歩?運動?
少しずつ努力したいし、ダンスとか大好き!ベビーとアンパンマンとか踊る!…
そうね…子供5人で、まだチビが小さいうちは、無理矢理組み込むほどまた、自分を追い込みそう…(追い込みすぎてシックスパックできて体脂肪9%で43キロ切ってきた時、正しいやり方も分からずやりすぎて体力無くして倒れかけたし…笑)
今は子どもたちとの時間を楽しんで、少し先には、カフェか飲み屋さんでも開いてこじんまりやってみたいなー🌼
そのために今日から始められることか…
とは思うけど、まだ"その時"という感じでも無い。
(妊婦出産繰り返しすぎて長い間引きこもらざるを得ない時にはあんなに、自分で使えるお金も欲しいから働きに出たいな…一人の時間も欲しいな…とか思ってたのに…明日もしなにかあって死ぬなら…?…と、今大切なものは何か考えてみると…やっぱり、今しかない子どもたちや旦那との時間が優先だと思う。生活のため必要な分働くのは全然良いんだけどね…綺麗事だけじゃ無いから、物欲も無くはない。でも、死を知ってるから、物よりは人。は変わらないかな。)
うん。やっぱり、出来るだけ"ぐうたら"をはじめよう。気持ちがワクワクして頑張れること以外はぐうたら。追い込まれない様に。こうじゃなきゃいけないことなんて無いって思い知るために!💖🤣
今がチャンスかー…
何か始めなきゃ…!!って…また自分を追い込んでないかな…チーン…
もう、十分だ!自分を追い込んで、嫌われない様に…何かに見放されない様に…
お利口さんにしなきゃ…期待に応えなきゃ…
お母さん…私、良い子にしてるから病気にならないで…死なないで…近づいても振り払わないで…大好きなのに…嫌いに思う…それは辛い…大好きになって欲しいのに…大好きなのに…(途中から幼少期へ引き戻される時の波。)
そう。幼少期の呪縛って無意識にすぐに繰り返される…
でも、ほんと、わかったの。もう、良いのよ。
おかんは次の世へ旅立った。ある意味、この今の心温かさを大事なものだと思えるのは、寂しさや辛さを沢山知ったからだ。
カウンセラーに言われたこと。
お母さん、死んでくれてありがとう!ですよ!
口が裂けても言えない。愛する人に死んでくれてありがとう!なんて。
罪悪感半端ない!
でも、涙が溢れてきた。
母に対して、怒り、悔しさ、言えなかった言葉、恨み言なんかじゃない。本当にありがとう!なんだよね…皮肉も全て込めて!なんだかんだ恨みきれない。人間らしすぎて愛おしいってこと。
もちろん自分も。
死んでくれてありがとう!
そんだけで、全て受け入れられた。
母の本当は好きになれなかった部分も、自分がダメなんだっていうレッテルも…
私を産んでくれたことはもちろん。たくさんの思いを残して、私は、母の死をもって考えなくてはいけないことが沢山あった。だれも教えようと思っても教えることのできないことを、死をもって教えてくれた。
癌になった途端に私たちに弱みを見せなくなった母。
本人は親(私からしたらおじいちゃんおばあちゃん)に、心を病んでること自体、"恥ずかしいモノ"扱いをされて外に触れさすなという扱いをされていたらしい。世間体が大事だった時代の田舎育ち。
母自身辛い思いをしてきたのでしょう…
そのまた親も、"人と少しでも違う"とはじかれる時代の中、必死に自分達や子供たちを守ろうと思っていただけなのかもしれません。知識がまだ広がらない時代にわからないものへの恐怖から自己を守るため、変わり者を否として弾く。そんな古い時代の名残だったんでしょう。
でも、私はこの呪縛を絶対に置いていく。
もう子供たちへはつなげたくない。
だから…
なにもこうじゃなくちゃいけない明日なんて本当はない。
もし明日の世界に自分がいなくなっても、時は流れる。追い込まれて、その未来さえ喜びがないことなら、今すぐ、自分が、絶対こうしなくちゃいけない!なんてこと無いんだよね…
だからこそ、心温かい状態で居たい。子供たちや旦那、自分の大切な人たちの笑い声や温もりを覚えておきたい。大切にしたい。
(いや、死ぬ気はないけどね!やりたいことだらけだし!!100まで旦那と楽しい時を共有しながら生きるし、孫たちと遊びまくる予定だから!笑)
今のわたしに必要な一粒の種は、あの頃の寂しさを繰り返さない、繰り返させないために、出来るだけ家族とぐうたらすること。この先の心ウキウキワクワク温かい日々が万倍になる様に…祈る。