膵臓癌になった母を在宅緩和ケアで看取った話④
市立病院から
八女の病院へ移る前
自宅に戻ってきて、家族みんなで寿司食べて
次の日学校に行く子供達を見送って
父と母と私で八女へ向かった
環境はとても良かった
結局そこにお世話になったのは1ヶ月弱。
2022年の10月
私の娘(母からすると孫娘)は小1で
七五三があった
七歳の着物姿の孫と
自分で着物をリメイクして作った洋服を着て
写真を撮りたい!
おめでとうってお祝いを渡したい
それが出来ればいいって言っていた。
10月の最初、入院して1週間しないうちに
担当の先生と私で一対一でお話をした。
その時に、
年を越せるかどうかな状況であると
私に伝わってきた。
そして七五三は11/15に予定していて
お詣りに行った後病院で孫と写真を撮るつもりでいた母。
10月半ばすぎ、先生が母に言った。
元気な姿でお孫さんと写真を撮りたいのであれば、七五三早められた方がいいですよ、と。
予定より2週間早く、とにかく着物を着せて
写真を撮ろうということになった。
病院は窓越し面会しか出来ない。
私は面倒でも、一旦退院して、家で写真を撮って、また入院して手続きを取ろうと思っていた。
そしたら母の考えが変わったらしく
在宅緩和ケアで過ごしたい、と言ってくれた。
それまでは頑なに
父と私に迷惑がかかるから、ということ
痛みが出た時の対応に対する不安
そして、どんどん悪化していく自分の姿を家族、特に孫に見せるわけにはいかない、というのがとても強くあったようで
家で過ごしたいけど…という気持ちがあるのに
病院にいると言っていた
病院で先生や看護師さんに色々話を聞いてもらって、やっと在宅ケアに切り替えることになった。
それからはまたバタバタと
市役所へ行って介護保険の申請をしたり
訪問看護の方と面談したりして
退院。
退院した次の日に、母の親戚がお見舞いに。
その次の日に七五三の着物での写真撮影(スマホで)
。
メイクは私が、ヘアは主人が。
そして主人のご両親も来てくださって
みんなで写真も撮った。
孫達をお願いしますって話してた。
この撮影をしたのが10月末。
11月に入ったら
どんどん悪化していった。
まず、お薬をどれをいつ飲むのか分からなくなった。
お薬を飲んで吐くようになってきた。
ご飯を食べなくなってきた。
水を飲んでも吐くようになってきた。
症状が悪化していく段階で
精神的なアップダウンの激しさが増した。
早く死ねる薬を処方してほしい、とか
痛いよ〜痛いよ〜
もう嫌だ〜って夜中中嘆いていたりとか
精神安定剤の薬も処方してもらったり
飲み薬じゃなくて貼り薬になったり
私はそれまで緩和ケアとか全く知らないし
ガンのことも本当に知らんwww
ガンの本を母はいっぱい持っていたから
母の本を読んだ
そして緩和ケアについての文献なども
ネットで検索する範囲ではあるけど
けっこう読み漁った
同時に死ぬとは?
あの世とは?なんて本も読んだ。
痛みを取る薬は同時に死へむかわせる薬でもあり
母を死へ向かわせる薬を私が飲ませたり、
坐薬で入れたりする日々。
とても複雑だった。