見出し画像

連載:お寺の女性の今、そしてこれから [20] 桐山文江さん

こんにちは。未来の住職塾の松﨑香織です。

この連載では、お寺で生活する女性のウェルビーイングを大切にするために、さまざまなお立場にある、お寺に暮らす女性のお声をお届けしています。第20回目のゲストは、浄土宗西山禅林寺派・長楽寺(兵庫県加古川市)の桐山文江さんです。

取材・文 ● 松﨑香織

ゲストプロフィール:
桐山文江 Fumie Kiriyama
1972年に浄土宗西山禅林寺派寺院の四姉妹長女として生まれる。30歳で得度し僧侶の資格を取得するが、その後現副住職と結婚。三人娘の母。現在は学習塾を経営しながら三人目の僧侶として自坊を手伝っている。2011年台風による土砂崩れにより本堂や庫裡を流失し被災。今は本堂再建を目指す。

村のひとが守る地域のお寺

文江さん 長楽寺は、檀家制度の割り振りが行われていた時期に織田軍の焼き討ちによって焼失していたようで、そのため檀家さんは少なく、旦那寺をほかに持つ村の皆さんがお参りに来られるお寺です。300年ほど前に再建されて以来、村単位で支えられ、浄土真宗の報恩講など他宗派の行事にもお参りさせてもらっています。各お宅を回るときなどは、若いひとたちから「どうして、ほんこさん(報恩講)に長楽寺さんもついてきてるの?」と思われていて(笑)。うちはまさにザ・地域寺院なんです。

――村の豊かな歴史を感じられるお話ですね。文江さんが僧侶になられたのは、どのような経緯からですか?

女性僧侶としての葛藤

 私は父が住職をつとめる長楽寺に4人姉妹の長女として生まれましたが、お寺のことはいつもどこか他人事でした。ずっと田舎を出たいと思っていたので、演劇をやるため20代で東京へ移住しました。27歳のときお寺の祖父が亡くなったことをきっかけに、将来私が継がなかったらお寺はどうなるのだろう……、と考えるようになります。一度外へ出てみたことで田舎やお寺の環境の素晴らしさをひしひしと感じるようになり、迷いなく実家へ戻ることを決めました。

 最初は、将来お寺を継いでくれるような人と結婚すればいいのかな、なんて呑気に考えていたのですが、こんな小さなお寺に来てくれる人なんているのだろうか、とはたと気づき、自分がいずれ住職を継ぐ覚悟で30歳のときに得度しました。ところが縁あって翌年に夫と知り合い結婚することになり、彼が在家から得度して副住職となりました。

――そのまま文江さんが継ぐことはされなかったのですね。

 周りに女性の住職はほとんどいらっしゃらなくて、当然のように男性である夫に副住職になってもらいましたね。父とは、「どうして私は僧侶としてお葬式に出られないの?」と喧嘩したこともありました。「周りの住職さんや参列の方々も決していい顔はしないよ」と言われて。自分は僧侶として何もできておらず、何の役割でお寺にいるんだろうと葛藤しました。

 教師資格を取る際に、女性は私1人でした。それを聞きつけて翌年からは僧侶になりたい女性がポツポツと増えて、加行(けぎょ)のときは女性のお仲間がいて心強かったです。男性と一緒に水行もするので女性1人だと着替えの段取りなどなかなか大変です。今はその頃よりも増えましたが、女性が僧侶をやっていくのはまだまだ難しいことなんだな、と実感しています。

――ゆくゆく文江さんが副住職になることは?

 ありえるとは思いますが、どうしてもなりたい、という気持ちは薄れてきた気がします。得度した当時は覚悟を決めて剃髪して加行へ行き、しっかり勉強もしたのだから僧侶としてやっていきたい、という思いが強かったのですが、今はお寺をしっかりと持続させていくためにできる役割をどんな形であれつとめて、関わる皆さんに安心感が伝わるならそれでいい、と思うようになりました。

被災した本堂の再建に向けて

――文江さんは素晴らしい宗教者でいらっしゃるので、ぜひ僧侶としてもご活躍いただきたいなと感じています。
 長楽寺さんは2011年の台風による土砂崩れで本堂と庫裡を流失されました。ここまでどのような歩みでしたか。

 
この先、お寺をどのようにしていこうか、ということをずっと考えていました。「本堂のないお寺」というのも一つのあり方なのではないか、と検討したりもしながら10年を過ごしてみて感じるのは、やはり地域の方々は、みんなで集える本堂を求めていらっしゃるな、ということです。私自身も、クラシックギターのコンサートでとあるお寺の小さなご本堂を訪れたときに、御本尊があって、こぢんまりとしながらも周りを囲む廊下にはどことなく宗教的な趣が漂っていて、人々が集い、自然と手の合わさる場所があるのはやっぱり良いな、と素朴に思いました。ありがたいことに色々な方からのご寄付が集まり、あと少しで再建に着手できそうなところまで来ることができました。

粛々と行事を続ける大切さ


――長楽寺として大事にしていきたいことは?

 コロナ禍で婚活やフリーマーケットなど様々な企画が中止になり、お十夜や大晦日の行事も縮小されるようになって考えるのは、形が変わったとしても、小さくとも、お寺の行事は粛々と継続することに意味があるのかな、ということです。最近、墓じまいをして永代供養の個人墓を長楽寺にお願いしたい、というお声をいただくことがあるのですが、永代というのはお寺の永続が大前提ですよね。それを思うとき、そもそもお寺の本分は何か、何のための行事なのか、それらを続けることの真の意味を原点に立ち返ってよくよく考えるようになりました。
 
 お寺は本当に人と人との繋がりで成り立っていることを感じます。境内での立ち話しだったり、ちょっとしたきっかけで深まるようなところがありますよね。皆さんがお寺に集える機会をこれからも大切にしたいなと思っています。

――村の皆さんやお寺に寄せる文江さんの深い想いがしみじみと伝わってくるお話でした。本日はありがとうございました。

この連載記事は、大正大学地域構想研究所BSR(Buddhist Social Responsibility)推進センターが毎月発行する『地域寺院68号』に掲載されました。
地域寺院は、これからの地域社会に必要とされる寺院の在り方を探る情報を発信する月刊誌です。
・定期購読の詳細はこちら

インタビュアー プロフィール

松﨑香織:一般社団法人未来の住職塾 理事。米国Fish Family財団 JWLI (Japanese Women’s Leadership Initiative)フェロー。役員秘書として銀行の経営企画に10年間携わったのち、ロンドンの非営利組織にてマーケティングに従事。2014年より未来の住職塾ならびに塾生コミュニティ(現在約650名)の運営に携わる。全日本仏教会広報委員会委員、WFB(世界仏教徒連盟)日本センター運営委員会委員。


いいなと思ったら応援しよう!