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おいしい海苔をより多くのお客様へ〜品質貫く老舗を新たな時代へ導く〜

(本記事は、2020年11月の「ファミリービジネス オンライン」の取材記事です。取材をさせていただいた山本専務取締役は、2022年6月現在では代表取締役社長になられています)

日本人の食生活やお中元やお歳暮の定番としても親しまれている「海苔」。
そんな海苔を取り扱う店として、今年で創業171年を迎える山本海苔店の七代目であり、現在は同社の専務を務める山本貴大さんに企業の強みや今後の展望などを伺った。


山本海苔店の事業内容


ーそれでは最初に山本海苔店様の概要や事業内容を教えてください。

はい、我々は海苔を中心とした製品を取り扱う製造小売をしています。

海苔の買付けから始まり、佐賀県と神奈川県の工場で製造や加工して、消費者の方々へお届けするところまでが我々の守備範囲です。

山本海苔店を代表する味附海苔「梅の花」 厳選した上質の海苔を丹念に焼き上げた自信の品質

1849年の創業当時から海苔で始まり、今も海苔をメイン事業として行っています。

ー海苔一筋で本当に長い期間やられているんですね!素晴らしいです!
あのオレンジの缶の商品とか本当に有名ですね。


とんでもないです!まだまだ知らない方もたくさんいらっしゃいますよ。


ーあの海苔を知らない人がいるなんてショックです。


山本海苔店様は佐賀県に海苔の加工・製造工場がありますが、佐賀県に工場を構えている訳を教えていただけますか?

まず、海苔の作り方には「支柱式」と「浮き流し式」という2種類があります。

支柱式は支柱を海面に刺して網を張り、満潮時は海の中で海の栄養をたっぷり吸収し、干潮時は海の外に出て太陽の光をたっぷり浴びることを交互に繰り返しながらゆっくり育てる方法なのですが、これが遠浅でしか行えないやり方で、主に有明海で行われています。

一方、浮流し式は海面に海苔を浮かせるやり方で 仙台や瀬戸内海などで行われています。

山本海苔店が取り入れている養殖方法「支柱式」の様子

私たち山本海苔店が買付けをする海苔は、支柱式で育てた海苔の方が口どけが良いので向いているのです。

企業の歴史


ーそこに強いこだわりがあったのですね。
海苔の製法や地域へのこだわり素晴らしいです。
続きまして山本海苔様の創業から現在までの歴史を教えてください。

まずは山本海苔店を支えている海苔の歴史からお話をしますね。

現在の海苔は板状ですよね。
縄文時代はまだ板状ではなく、「増えるワカメちゃん」のような形状で食べられていたと言われています。

それが山本海苔店の創業前の18世紀に入って今の板状になりました。

当時、日本橋に魚河岸(のちに築地、そして現在は豊洲に移転)があり、江戸湾で採れた魚や貝を日本橋川を上って運ばれ、この日本橋魚河岸から江戸城や城下町に品物が運ばれていました。それまで海苔といえば浅草海苔で、海苔の産地である品川や大森から浅草に集められてたのですが、初代山本德治郎は、その日本橋を創業の地と決めたのです。これが1849年のことでした。

にんべんさんや大和屋さんなどの魚介系の問屋さんが今でも日本橋に多いのはその名残です。
1853年にペリーが日本に来るので江戸時代の末期ですね。

ー海苔の歴史ってそんなに古いんですね!海苔といえば浅草海苔だったとは驚きです。

二代目

二代目 山本德治郎

そうなんです。海苔といえば浅草だったそうです。
そして二代目德治郎が現在の山本海苔店のコアコンピタンスとなる2つを生み出しています。

1つ目が今では日常的に食されている味附海苔の発明です。

1969年に明治天皇が京都還幸の際の手土産の相談を山岡鉄舟にしました。山岡鉄舟は千葉道場で剣友であった2代目山本德治郎に相談し、苦心創案してできたのが味附海苔です。

このことがきっかけで宮内庁御用達になりました。

余談ですが関西エリアを味附海苔文化圏と僕は呼んでいるんですが、わかりますか?

実はコンビニのおにぎりに巻いている海苔って関西は味附海苔なんですよ。

そんな文化を作ったのも、もしかしたらこのように味附海苔が発明されたからかもしれません。

ー味附海苔の発明をされたのが先代なのですね!すごい商品を作りましたね!
あの時代に新しい味にチャレンジするって素敵です。
あとひとつのコンピタンスはなんでしょうか?

もうひとつは海苔の仕訳です。

それまでは海苔はただの海苔として販売していただけですが、8つの用途に分けて販売たのです。

①食(自家用)
②棚(進物用)
③焼(焼海苔の原料用)
④味(味附海苔の原料用)
⑤寿司(寿司屋の業務用)
⑥蕎麦(蕎麦屋の業務用)
⑦裏(卸用)
⑧大和(佃煮用)

このように使用用途によって海苔を分類し、○○専用の海苔として販売したのです。

それが当時画期的と顧客の支持を得て「海苔は山本」と言われるようになるまで知名度が上がりました。

ー海苔の分類ってすごいですね。今のマーケティングのようで、、、2代目德治郎さんは本当に凄い方ですね。

そうですね 2代目の残したものは計り知れないほど大きいと思います。

三代目

三代目 山本德治郎

3代目は海苔の形を現在の19cm×21cmに統一した人物です。
今では世界中の海苔がそのサイズになっています。


ーそのサイズに統一するきっかけがあるんですか?


海苔の製法は和紙の製法と全く同じらしく、そのサイズも和紙の形のひとつだったみたいですね。

四代目

四代目 山本德治郎

続いて四代目は、山本海苔店初の支店を築地にオープンさせた人物です。

その頃、日本橋から築地に魚河岸が移ったのですが、これに合わせて山本海苔店初の支店を開設しました。

五代目

五代目 山本德治郎

それまでは天然養殖で、漁師さんの勘のみに頼って網を張って生産していましたが、海苔の胞子(糸状体)が貝の中にいることが判明すると網の下に海苔の胞子が付いた貝を吊り下げる人工養殖が始まりました。

人工養殖による生産性の向上に併せて当時の日本は戦後の高度経済成長期真っ只中で、お中元やお歳暮などのギフト需要も高まり、軽くて高価な海苔が見事にハマり、メガヒットとなりました。

百貨店が日本全国に出店される時期でもあり、百貨店内に山本海苔店を展開するという方針を打ち立てたのも5代目です。

あとは日本初の海苔ドライブスルーなどにも挑戦していますね。

車に乗ったままで海苔が購入できる店を作ったのも当時画期的と言われています。

20時までの営業で正月以外年中無休だったので大変重宝されたみたいです。

日本初のドライブスルーを取り入れた当時の貴重な写真

ー日本初のドライブスルーとはすごい先見性ですね。しかも海苔なんて常識を凌駕してますね。

六代目

現代表である六代目 山本德治郎社長(取材当時)

そして現在の六代目の時代になり、海苔を主食ではなく副食として楽しむ「おつまみ海苔」を考案します。現在の経営者、私の父ですね。

父はコンビニで購入できるパッケージ商品の発売やサンリオとのコラボレーション、

海外進出などにもチャレンジしています。

山本専務の歩み~銀行マンから山本海苔店へ~


ー非常に濃い歴史を教えていただき、ありがとうございます。
歴史を感じるとともに、とても勉強になりました。
7代目予定である山本専務は今後会社を継承されるとは思いますが、昔からそういった意識はあったのでしょうか?

はい、それは幼少の時からありました。

それこそ小学生の頃から山本海苔店の当主になる意識があったのでクラス委員などでは積極的に委員長などリーダー経験を積まなければと考えていました笑。

父は大学を卒業してから直接山本海苔店に入ったので、自分も同じようにそのまま入るのか、どこかで修行をするべきなのかを相談したことを覚えています。

一度外で修行をすると決まってからは、山本海苔店に入るまでに何を学ぶべきかばかりを考えていましたね。

商売を学ぶなら商社、経営を学ぶならコンサル、金融を学ぶなら金融と考えていました。

その後、大学時代のOBに色々と相談した時に「商売が上手くなりたいというのも間違いじゃないけど、それなら商売のうまい人間を雇えばいいのでは?経営者で一番大事なのは、これヤバくね?という嗅覚だよ」と言われ、この事が一番学べるのは銀行かなという事で銀行に決めました。

別のOBからは「銀行というのはお客様が歩く道の先にあるたくさんの落とし穴を埋めて、2~3%の利益をえるようなところ。でも経営者は多少足場がぬかるんでいてもジャンプしないといけない瞬間もある。だから、銀行にあんまり長くいたらだめだよ」とも言われました。

父からは「3年以上はいた方がいい」と言われたことから、3年以上5年未満で卒業しようと決めていました。

ー大学卒業時にそこまで考えられて、自分の人生を決めたのは凄い決断ですね。
その後山本海苔店様に入って良かったと思う点はありますか?

以前、自己分析をする機会があって海苔屋にならなければ学校の先生になりたいという結果が出たんですよ。

口から生まれたと言われているくらい話すことが好きなので、こういったインタビューやお話をする機会もいただけるのも大変ありがたいことだと思っています。

山本海苔店の確立された強み


ー長い歴史の中で確立された山本海苔店様の強みを教えてください。

高級ギフト海苔を得意とする海苔屋です。
品質は口溶けの良く柔らかでおいしい海苔をお客様に提供しています。

口溶けの良さというのはおいしさの要素の一つで、コンビニのおにぎりでもわざと空気を入れて、お米が口の中で転がるようにして味がよく広がる工夫もしているそうです。

ー本当においしい海苔の提供に力を入れているということですね。
少し話は逸れてしまうのですが、山本海苔店様は毎年2月6日の海苔の日に限定商品を販売されていますよね?
2月6日の海苔の日販売をしたきっかけは何だったのでしょうか?
また、この日はなぜ海苔の日と言われるのでしょうか?

まず2月6日の海苔の日についてです。

初めて歴史上に海苔が文字として登場したのが701年に制定された大宝律令で、この大宝律令で海苔は、貢物として認められ、宮中や貴人への献上品とされていました。そして大宝律令が実際に施行された大宝702年1月1日を現在の西暦に換算すると2月6日になるので、それが海苔の日の由来なんですよ。

しかも、お米やワカメならとてつもない量を納めないといけなかったのに、海苔はほんの少しでよかったのです。というのも江戸時代の頃には海苔養殖が始まりましたが、海苔の生態が解明されていなかったため、ただただ経験則に基づいて海中に網を張っていました。その為、年によって収穫量が違い、豊作なら大金、失敗すると借金が残るので「運草」と呼ばれており、海苔はとても貴重品だったのです。

ーなるほど、かなり昔から海苔は人々の食生活の中心にあったんですね。

新しいことへの挑戦


ー近年は海外進出をされているということですが、海外進出について教えてください。

海外販路の開拓に関しては、今から約15年前に始まりました。

それまでは百貨店に力を集中させていましたが、百貨店の業界が少しずつ縮小している中、これからどうしようと考え、立ち上げたのが海外事業室です。

現在の販路はアジア圏を中心に欧米やオーストラリアにも展開しています。

海外では海苔をスナック感覚で食べるので、マーケットニーズは日本とまだまだ違いがありますね。

特にタイのスーパーマーケットには海苔菓子の陳列棚があって、端から端までずらっと並んでいるイメージです。

ー国によって海苔の価値観が変わってくるのは面白いです。
ご飯のお供として食べられるようになったら今後の海外展開も変わっていくかもしれませんね。

そうですね。
大きな課題は味にこだわって作る日本の海苔は世界的にみると値段が高いのです。

海外のお客様にも、「おいしい海苔は価値がある」ということをもっと伝えなくてはいけません。

ー昨今のコロナ事情もあり、通販やオンラインも伸びてきているのでしょうか?

伸びています。
実はコロナの影響がある以前から、通販・オンライン市場は盛り上がっています。

全体の構成比としてはまだ数%なのですが、今後の伸び代は相当あると思います。

ーその他にも新しく挑戦したいことなどはありますか?

現在日本橋という地域は再開発を進めているのですが、昔は金融街だったので15時を過ぎたらシャッターが閉まってしまうこの街を夜も休日も活気のある街にしたいというプランがあります。

現在は乾物しか売っていないので、おにぎりやお弁当を取り扱う飲食店なども面白そうですね。

若手を中心にプロジェクトチームを作っており、山本海苔店が拡めたい柔らかくておいしい海苔をいちばんおいしく提供できる場などが作れれば嬉しいですね。

守るべきことと変わるべきこと


ー山本海苔店様が今後守り続けたいことを教えてください。

これは当時、仕入部にいた頃の経験ですが、私はもともと銀行員をしていた影響なのかモノを安く買って、高く売る企業こそが素晴らしい企業というメンタリティだったのですが、仕入担当取締役から「海苔のリーディングカンパニーである山本海苔店は業界の未来を守るためにも、漁師さんからは高く買わなければいけないんだよ」と進言されました。

その時は高く仕入れることに対して疑問がありましたが、今後の日本を考えるととても中期長期的で大切な視点なんだと思いました。

農家や漁師さんたちが減っているのは、海苔業界全体が川上から川下までうま味が多い業界ではなくなってきているからなのです。

そんな中で自分達のことばかり考えていると、ますます市場が縮小し、シュリンクしてしまいます。

私たちがこれからも長い年月ビジネスを続けていくと考えると、業界や関係者の方達と向き合い、新しい案を出しながら、工夫して変化していくことがこの業界を守ることにつながっていくと考えています。

ーそれは素晴らしいですね。
日本の歴史ある業界を守る・残していくというのは非常に重要な取り組みだと感じます。
次に変えていきたいことも教えてください。

売り方や売る場所、売る方法ですね。

先代が作ってくれた百貨店様とのパイプはこれからも非常に重要ですが、時代が変化していく中で、EC活用や動画マーケティングなども行っていかなくてはいけません。

今のやり方とこれからの新しいニーズを模索しながら挑戦していくことが大切ですね。

「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」という理念を中心として、いろいろな改革を行っていきたいです。

たとえば今の時代、駅ビルや空港にあっても面白いですし、どこかとコラボレーションもありだと思います。

老舗オーナーへメッセージ


ーまさに変化が必要な時期ですね。
最後に他の老舗オーナーの方へメッセージをお願いできますか?

長い間事業を継続されている企業様やそのオーナー様は、業界を守りたいという気概がないとやっていけない立場だと思います。

僕と同じ立場の方々との会合でいろいろお話を聞く機会があるのですが、「我々の会社の使命は、利益を上げることでも、会社を大きくすることでもなく、長く会社を続けていくこと」という言葉を聞いた時はとても衝撃的でしたが、今はその考え方もわかる気がします。

その誇りは僕も業界は違いますが、一緒に頑張っていきたいです。

あとは自分の意思決定について迷われることもあると思いますが、自分のジャッジに自信を持つべきということですね。

正直その意思決定が間違いか間違えじゃないかというのは、どの時点で判断するかで変わっていくのです。

3代目が海苔の形を統一したというお話をしましたが、もし円形にしていたら、もっと売れていたかもしれないですし、全然売れなかったかもしない。今出したら爆発的に売れるかもしれません。

長期的にものごとを考えると何が正解かというのはわからないんです。

最後に僕も常に優秀でありたいとは思っていますが、一般的に優秀な経営者というのは利益を伸ばした人や会社を大きくした人物と言われます。

先代とは比較せずに自分の使命を貫きながら経営していけたらと思います。

会社を代々継いでいく中で、その代それぞれに与えられた使命があるような気がしています。

創業期・成長期・安定期・衰退期と様々なシーンでそれぞれの役目があります。
自分の使命に一生懸命になることがとても重要ですと言いたいですね。

「長く続けていくこと」この言葉で僕もかなり勇気が与えられました。

山本 貴大
株式会社山本海苔店 取材当時 専務取締役(現:代表取締役社長)

2005年慶應義塾大学法学部卒業後、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)入社、法人営業などを経験。
2008年山本海苔店入社、仕入部で海苔全般の勉強を行い、その後山本海苔店100%子会社丸梅商貿(上海)に勤務。
「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」という理念の下、おいしい海苔の普及活動に取り組んでいる。

山本海苔店公式ホームページはこちら

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