"結論が決まった相談”をする人に知っておいてほしい、たったひとつのこと
「いやでもさ〜、やっぱりこうなんだよね〜」
「そうは言ってもこういう面もあってさ〜」
「えー、でもこっちの方がよくない?」
世の中には"なぜかよく相談を受ける人”というのがいる。僕もそのうちの一人で、特に人生経験が豊かな訳でもなければ、何か突き抜けた能力やぶっ飛んだ個性でもって結果を残した訳でもないのだが、とにかく相談を受ける。
と、書いてはみたものの、僕は相談を受けることになんら抵抗や負荷は感じない。むしろ、色んな人の悩みや愚痴を聞くことはとても楽しいと感じている(人の不幸は蜜の味とかは本当に思っていない)。僕の好きな漫画で、あるキャラクターが「その人を知るにはその人が何に怒るかを知ればいい(意訳)」というセリフを残しているが、僕はその人が何に悩むかを知ることでその人を知ろうとしているのだと思う。
少し話は逸れたが、相談を受けていると、話の途中から(結局この人って自分の中で結論は決まってるけどそれを肯定してほしいだけじゃないか?)という人に相対することがある。
そういう人の心理としては、おそらく「太鼓判がほしい」ということなのだろう。
より具体的に、嫌味的に言うなら、
「私が出した結論を実行したいが自信が持てない。そこで、敢えて複数の選択肢を提示してどれにしようか悩んでる風を装って、その中で自分の出したものを選んでもらって"他人からの評価”という許可を得たい」
ということである(断言するのはまずいか?)。
僕の性格が悪いのはすでに万人承知の事だと思うので今さら言い訳もしないが、僕は"許可を得る”という側面を持つ相談を全く否定する気持ちはない。というか、それこそが相談としての在るべき形だとすら思っている。
男女のすれ違いという現代社会の万人受け必至のコンテンツで、よく"共感してほしい女性とアドバイスしてしまう男性”みたいなのを見かけるが、まさしくそれで、本当にどれにしようか迷っている段階で選択肢を提示して意見を聞くのは相談ではなくアドバイスである。
文字を打つのが面倒くさいので、相談とアドバイスの違いは各人でなんとなく理解していただきたい。問い手が主導権を持っているのが相談で答え手が主導権を持っているのがアドバイス、ぐらいに思っていてくれればよい。
さて、相談を受ける方の中には、このように"事前に問い手の心の中で答えが決まってる”と分かった瞬間に聞く気がなくなってしまうという人がどうやらいるようである。
そして、相談をする側の人もそれを申し訳なく思ってる人もいるのだろう。
だが、それは全く持って勘違いであるということをここでお伝えしたい。
というのも、よく相談を受ける側の人間として言わせてもらうと、何も決まっていない相談よりも答えが決まってる相談を受けることの方が圧倒的に多いからだ。
問い手が自分のしている相談がそのどちらかを明示している訳ではないが、これは分かる。経験で。あるいは肌感覚で。
ここからが本題なのだが、これらを分かった上で僕たちは真摯にあなたに向き合っている。
本気であなたの幸せを考えている。
あなたの出した結論が常識的・道義的に間違っているのなら、本気でそれを正したいと思っている。
そこには諦念も侮蔑もない。嘲笑もない。
その事をどうか知っておいてほしい。
だから、問い手も自分の出した結論だけではなく、答え手にも真剣に向き合ってほしい。
「なんとなく優しくしてくれそうだから」「たぶん自分の味方をしてくれるだろうから」程度でも、何か理由があるからその人を相談相手に選んだのだろうから。目の前に、画面の向こうにいるのは壁ではなく人間である。
たぶん、こんな面倒なことを考えているのは世の中に僕一人だろうし、人の話を聞いている時僕はこんなことを考えています。それらを知った上で、僕に何か相談をしたいという方はいつでもご連絡待っています。