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魔法ってなんだろね

今日はとんでもないものを見てしまった。
思わず涙しそうになった。
家事や読書の合間にYoutubeでたまたま見かけた動画。
その前に、どういう動画かを説明したい。

ブリテンズ・ゴット・タレント

いわゆる素人参加型のオーディション番組。
既にある程度知名度のある審査員がその芸を見て、辛口コメントあり、時には涙あり、感動ありのコメントをして、勝ち抜くと賞金を手に入れるというもの。
日本でも時たま素人参加型の番組があるけれど、最近はあまり見なくなってしまったね。
この番組で一番名を馳せたのは、スーザン・ボイルであろうか。
アメリカ版もあって、イギリス版とどっちに出ていたかは明確に区別できないんだけど、日本の方だと、ウエスPやゴンゾーなどが出場しているみたい。

で、今回見てしまった動画というのがこちら。
30分ぐらいでちょっと長いけど、絶対見て欲しい。


魔法(マジック)ってなんだろね

これ見たら、解説なんていらないかもしれないけれど、それでも気になった部分とか話したい。

あらすじを簡単にまとめると、Xという名のマジシャンがメンタリスト的な手法を用いたマジックをやるんだけれど、そこに彼自身のストーリーが重なっているというもの。
そのストーリーを通じて、「HOPE(希望)」というメッセージを伝え続けている。
彼にとっての「HOPE」は、念願だった娘の誕生。

度々述べていることだけれど、ここで考えたいのが、whatとhowの関係ね。
マジックっていうのは、その手法(how)が奇抜であることによって、その手法自体を伝えるもの。つまり、手段そのものが目的になるのが一般的なマジック。
だけど、彼はマジシャンという役割により、マジックを手段(how)として、「HOPE」というメッセージ(what)を伝え続けている。
ここが、彼のマジックに唯一性をもたらしている。
もちろん、そのhowとwhatを入れ替えれば、他の人でもできるんだろうけれど、未来予知という手法を用いて「HOPE」を伝えるということ。

いや、彼はそれだけじゃなくて、「彼自身の人生≒ストーリー」を手段(how)にして、「HOPE」を伝えているからこそ、彼の唯一性が際立つ。

26分20秒ぐらいから審査員のアマンダがこう述べている。
「私たちにとって両親とは
 世界で最も偉大な魔法の一つ」
そして、それに対して彼はこう答える。
「彼女(娘)も私にとっての魔法」
事実は小説よりも奇なり、なんて言葉があるけれど、人は生まれた以上、必ず「子」であって、生物学的な「両親」が必ずいる。
生まれたことにより、家族がいるということは必然である。
だけど、自分の「子」が生まれるかどうかということは、必然ではないから、偶然である。
そして、彼がこのマジックでやっていたことは、偶然を必然へ見せるということ。
審査員らが無作為に選んだかのようなクレヨンやカード、ルービックキューブ、言葉などを必ず導き出すようにするために、マジックのテクニックを手段として使っている。
言い換えれば、審査員の偶然の選択を必ず予知するということ。
これが、偶然を必然的に見せるということであって、ここに彼のストーリーや「HOPE」が絡んでくるから、本当によくできた一連の芸だと思う。

個人的なことは

だけど、「子」が生まれたことに対する「HOPE」を芸に盛り込みすぎではないかと。
それはつまり、あまりにも芸が個人的なメッセージに陥っていないかという批判が成り立つかもしれない。
けれど、前々から「個人的なこと」が持つ魅力について、人は気づいていただろう。
フェミニズム運動のスローガンで「個人的なことは政治的なこと」というものがあったり、映画「パラサイト」でアカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督はスピーチの時に「最も個人的なことが、最もクリエイティブなこと」と述べた。
「個人的なこと」だからこそ、伝わるものが狭まってしまうのではなく、「個人的なこと」だからこそ、伝わるものがより伝わることもある。
この動画でもそう実感することができた。
このことのメカニズムについて、今後より良くしっていきたい。
今の自分でも上手く説明しきれないけれど、この課題については数年ほどずっと向き合っていて、それは、自分が詩の創作をするうえでずっと考えている。
自分が詩を書く時、実体験をもとにしてほぼ書いている。それは実に個人的なことで、時には読者を引きつけないこともあるけれど、逆に、自分が予想だにしないような反響を生むこともある。
「個人的なこと」が訴えてくるものは何か。
「個人的なこと」が訴えるものは何か。
これを考えつつも、いやあ、それにしても今日はいいものに出会ってしまったという喜びを持って、明日からも仕事を頑張ろうね。


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