人疲れの話。

こんばんは、えむです。
昨日はゲームの世界に逃げていたので、翌日の投稿になってしまいました。

今日はお笑いの日を見ていました。
世の中で上手く物事を進めるには統率力のある人間が必要だなということを痛感しました。
加えて、いくら笑いのプロでも内輪ノリというのは面白くないということを学びました。教訓にしたいと思います。


昨日は恋人と夕飯を共にしました。疲れた。
恋人云々が原因というわけではありません。
公共の場に出ること自体がキツいんです。
まぁ、恋人と会話をしてもあまり話が噛み合ってないなと感じて疲れる部分もあるのですが。
ただ、私1人での外出でも帰ってきてすぐに倒れ込んでしばらく動けないことの方が多いです。

私が精神的に酷く病んでしまって以来、恋人にはいろいろなことを譲歩してもらっています。
今は週1回、私の健康観察を兼ねたLINE。
そして週1回の夕飯デート…なのですが、私の健康面と金銭面で困難がある故に少ない時は月に2度程しか会えていません。本当に申し訳ない。
愛想が尽きても仕方ないほど希薄な関係であるのに支えてくれている事には感謝しかありません。
そんな良い人と一緒にいるのに疲れてしまう自分がとても嫌です。


もう、本当になぜか苦手なんです。人間そのものが。
哺乳類の中でも最も接触が苦手とはっきり言える動物です。

夕飯を共にする時は恋人の仕事終わりに間に合うように最寄り駅に向かって落ち合うのですが、そこまでの間の電車の中で気が遠くなるような気持ち悪さに毎回襲われます。
どうも『電車に乗る』こと自体に抵抗があるみたいなのです。
『狭い箱の中に大量の人間が詰め込まれて輸送されている状態』に異様な閉塞感を感じ。
そのせいで恋人に会う前からそれはもう酷く疲れてしまうのです。
そして、恋人に会うのも疲れるという。
電車に乗るのも恋人も好きだったはずなのにな。



子供の頃から他人という生き物が傍にいる感覚が苦手でした。今と全く変わらず。

この感覚は、どう頑張っても言葉で説明できません。
ただ、どうしても人間から発されている(ように感じる)様々なものが原因で疲れてしまうんです。
気にしなくていいのに、自動的に顔色を伺ったり気を使ったりを心身が勝手に始めてしまいます。

母が厳しかったため不登校にはなりませんでしたが、子供の頃は学校が本当に嫌いでした。
その反動が今になって影響している気もします。
人間にあまり会わない生活を『療養』という形で続けていますが、正直…楽です。
たまに寂しさもありますが飽きないです。


推しのライブやイベントなどには行けるくせにと自分でも思います。
おそらく不快を越えられるほどの快楽が待っているので、一時的に不快を忘れられているのです。
その証拠と言えるのかわかりませんが、イベント後の疲労感は本当に重力に押しつぶされるような感じで。
立っていられないほど一気に強い反動がのしかかってきます。
そのため、翌々日くらいまで響くことも珍しくありません。

なんだか、話せば話すほど社会不適合者で辛くなってきました。

現在の私は、病気や金銭的事情で一人暮らしは到底難しく実家を頼っています。
それなのに、両親と必要以上に会話をすることもしんどい時があります。
お世話になっているのに、蔑ろにすることをすごく申し訳ないなと思います。


正直なところ、私が1番会話しているのは飼い猫かもしれません。ディズニープリンセスかよ。
来世は周りを一切気にしない、静かにストレス無く生きられる生活がしたいです。

今日は早めの投稿になりました。
それでは、また明日。

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