サボりの話。

こんばんは、えむです。

ハイラルから一旦現実世界に戻ってきました。
呟いちゃったしなー…と思ったんですけど、夕飯のために戻る都合がありましたし少しは現実も見ないといけないなと思いまして。

入り浸っていた以外に昨日はどうしても文章を書くことに全く気が向きませんでした。
前にnoteをやっていた時は「途切れちゃったらもういいや!」って感じでグダグダにして終わらせてしまったのですが、今回はもう最初から完璧にやるつもりが無くサボりたい時は正々堂々サボろうと決めていました。


「優先度が低いならサボっても良い」という価値観を昔の私は持っていませんでした。
記憶の中で、これは間違いなくサボりだと思ったのは片手で数えられる程度です。


中でも特に記憶に残っている『サボり』が2度あります。
大学1年生の頃、短期ではありましたが初めてバイトをしました。
学生ならほとんどがやっていることで自分にもできると思っていたのですが、体力もマルチタスクも無い私は学業と仕事の両立の生活にあっという間に音を上げました。

ある日、1限目のために朝早い電車に乗ったのですが大学の最寄りのいつもの駅で降りることができませんでした。

いつもの駅を過ぎていく電車の中、私はものすごい罪悪感で頭がいっぱいでした。
それまで1度も『サボる』をやった事がなかったからです。
お金を無駄にしてしまった申し訳なさとか悪い事をした自分の許せなさとか。
だけど、解き放たれたようなはみ出せたような気もしました。

結局、その日は午前中少し都会で遊んで。午後の講義に間に合うように帰ってきました。
完全に丸1日サボれないところが私らしいなと思いました。


もう1つは、最初の職場に就職してからです。
辞める少し前。まだ家族に精神的な限界を伝えることも出来ずにいた頃。
何とか耐えて出勤のために朝のラッシュの電車に乗ったのですが、その日は乗り換え駅で心が折れて動けなくなってしまいました。

あまりにもどうしようもなくなった私は、何とか涙とか震えとか吐き気とかを押し殺して欠勤の連絡を入れました。
無事電話を終えたものの、家には家族がいたため帰るわけにも行かず。
居場所がなく困り果てた私は、気がついたら美術館にいました。
平日の朝で人がほぼおらずしんと静まり返った美術館で、展示室にポツポツ置いてある椅子にぼんやり座っては絵を見てを繰り返してしばらく過ごしました。

気持ちが完全に楽になったわけではなかったけど、居場所があるだけでその時はすごく助かりました。


今は別にサボっていいと思っています。
自分を正当化するようで気が引ける部分はありますが、それだけ今はやりたくないってことなんですよ。
もちろん、やらなければ周りに迷惑がかかるなど大きな弊害が考えられる時はサボれないこともあると思いますが。
そうでないならやりたくないなら徹底的にサボる。
サボるって言葉の印象が悪いだけで、その本質は自分の心の声を聞いた結果のリフレッシュ休暇…ぐらいに都合よく考えて良いものだと思います。

これからも最低限のもの以外には縛られないように過ごしていきます。
サボりじゃないです、次のやる気に備えたリフレッシュです。
それでは、また明日。

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