『参戦』の話。

8月最終日、おいもラテを飲みに来ました。
大学芋味のコーヒーでした。
内臓を壊してしまってから牛乳への耐性が無くなり豆乳にせざるを得ないので、何を飲むにしても少し高くなってしまうのがネックです。
ちなみに先日、「実は牛乳行けるんじゃね?」と思って変更せずに通常のカフェラテを飲んで御手洗と顔見知りになりました。忘れるまで二度とやりません。


カフェでぼんやりSNSを触っていたら、ある投稿が目に入りました。
「なぜライブに行くことを『参戦』というのだろうか。」という内容でした。
その投稿主の方はとあるアーティストの方を推していて、その人の雰囲気に『戦う』という言葉は合わないのではないか?という疑問を呈するものでした。

私はそのアーティストの事は有名な曲を数曲知っている程度であまり詳しく知りませんが、確かに『参戦』と表すのに疑問を感じる気持ちは何となく理解出来ました。
それと同時に、私も疑問に思いました。
『参戦』の境界線はいったいどこなのでしょう。

私の場合で考えてみると、嵐のコンサートに行っていた頃は『ライブに行く』『参加する』と表現していたように思います。
『参戦』という言葉を使い出したのはゴールデンボンバーのファンになってから。
すなわちヴィジュアル系バンドのファンであるバンギャルになってからです。

私の『参戦』の境界線は、『どれだけそのイベントで体を動かすか』だと思っています。
会場の形態や規模にもよりますが、ヴィジュアル系の世界にはヘドバンを始め下手すればケガをするような動きが多々あります。
しかし、それでも目の前で繰り広げられる乱闘騒ぎのような私たちの暴れっぷりでステージ上の彼らに更に燃え上がって欲しいという気持ちが私にはあります。
それはまるで、コロシアムで猛獣と戦う姿を見せて盛り上がらせているような。
うーん、微妙だけどこれ以上の例えが出ない。 
とにかく私の場合はステージ上の彼らの音楽で盛り上がる私たちを見て更に彼らに激しく楽しんで欲しい!…という相乗効果を狙う心理が働き、ケガを覚悟の上での戦いという意味で『参戦』という言葉を自然と使っているのでは無いかと思っています。
なので、ヴィジュアル系や激しいロックバンド以外のイベントに対して私は『参加する』を使います。

しかし、そのような激しいライブ以外で『参戦』という言葉を使う方達の気持ちも分かります。
常識の範囲内でということを前提に、ライブとは普段会えない推しに直接会って自分という存在をアピール出来る数少ない機会なわけです。
そういう方達は、先に書いたような私の心理とはまた違う気持ちで『参戦』という言葉を使っているような気がします。
愛する推しに対して全力で何日も前から最大限の努力で準備を整えて臨むその気持ちは、ある意味戦いと表現する事ができるようにも思います。

他にも、単純に特別な言葉を使ってみたいという気持ちからイベントに行くことを『参戦』と表現している方も数多くいるとは思います。
この言葉には、非日常が直前となったワクワク感が込められているのでしょう。


ここまで考えてみて『参戦』を使うかどうかは、その人のイベントに対する臨み方で決まるという結論に辿り着きました。
個人的には、いずれにせよライブという場で行われるステージ上のアーティストと観客の魂や感情の揺さぶり合いが『戦い』であり、『参戦』という言葉の核心なのではないかと思うところがあります。
人それぞれその感覚は違うので、推しが言及しない限りは『参戦』も『参加』もあっていいと思えたら幸せになれると思いました。(了)

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