アイドルに恋はしない話。

今でこそ特定の男性アイドルをお金をかけてまで推しては無いが、小5~高1まではジャニオタだった。


私の人生を大きく変えたのは、松本潤との出会いである。
何も見るものがなくチャンネルを回した時に、偶然放送されていたのが『花より男子2』であり。
ふいにテレビに映し出されたインパクトのあるイケメンを見て私は素直に「かっこいいな」と一目惚れした。
おぼろげにしか覚えていないが、何があったか道明寺と呼ばれていた彼は記憶喪失になっていて。
そんな状態でも彼女の牧野つくしの危機に駆けつけるとかそんな展開を見たような気がする。
花男はその日が最終回で、私はその1回で松本潤という存在に魅了されてしまった。

彼に出会って嵐の存在を知るまでほとんど間は無かった。
この時期、私と同じように嵐にハマった人はおそらく多かったのではないだろうか。
私の体感ではあるが、嵐は花男以降爆発的な勢いで国民的アイドルへと成長して行ったように思う。

嵐の5人をドラマやバラエティや歌番組で見続け、当時近所にあったTSUTAYAで過去のアルバムを片っ端から借りて曲を聴き漁った。
色んなことを知るうちに私は次第に別の人に興味が移った。
二宮和也である。
ニノは私にアイドルに恋をすることの酸いも甘いも余すことなく教えてくれた、いわば私の青春時代の恋人である。
会えた回数は多く無いが、東京ドームや国立競技場で姿を見た時のことは今でも忘れていない。

1番記憶に残っているのは、最初に行ったコンサートである2007年の『Time』である。
5万人という人々が賑わいきらめく東京ドームに響き渡る彼の「いらっしゃいませー!」という挨拶を聞いて、嬉しいとか感動とかよりもとにかく「実在する人間だったんだ。」というただ当たり前のことだけに私はしばらく支配されていたように思う。


嵐を追うのを辞めて10年以上が経った。
アイドルにハマらなくなってからというもの、熱愛報道などの『お知らせ』に振り回されることが無くなりずいぶんと楽になった。 
アイドルでない人達は割と簡単に熱愛が週刊誌に撮られたり結婚したりするもので芸人さんに関しては自分の恋愛をネタにするし、バンドマンは自分の恋愛を歌にする。
時には色々と縺れてしまったばかりに女性からバラされてしまうことも少なくない。

それに慣れて「本気で好きになったところで無駄である」というひねくれた価値観が育ったことにより、私はかなり早い段階でガチ恋勢になることが無くなった。
ただ、そのせいで私は推し活の楽しさをまだちゃんと知らないでいる。
果たしてこれが幸せなのか寂しいことなのか。


一方ジャニーズはここ数年で様々なことが変わって、STARTO社になった。
嵐以降好きになるアイドルなんて多分いないと思っていた。
それなのに、『九九ニキ』という喜んでいいのかどうか分からないあだ名がついてしまった逆に令和の天才Travis Japanの松田元太くん。
そして、とてつもなく良い意味でガラの悪いグループの中で1人異質な謎のベールに包まれたような雰囲気のあるSixTONESの松村北斗くんなどといった魅力を感じる若手がついに出てきた。


しかし、嵐のオタクをしていて楽しいことも苦しいことも知った私である。
アイドルという輝く人を好きになろうとする自分を認めることがどうしても出来ずにいる。

「アイドル」という職業に対して、どうしても特別な目で見てしまう。
他の芸能人に比べて、ほとんどの場合主に色恋で売っているから無理もない。
あんなに顔も良くて才能もある人が相手では、よっぽど感情のコントロールが効く人間でない限りそんなものを売られて突っぱねることは出来ないだろう。
太刀打ちすることが出来ず色恋に飲まれ溺れてしまって、約10年ぶりにガチ恋勢として身を焦がすのが怖いのだ。

芸能人を本気で好きになることを辞めて、表面上だけでも「推しが幸せならOKです!」と言えるようになるまで長かった。
努力と諦めでようやく身につけた『推しとの一線の引き方』を忘れてしまうのは、どうしても耐えられそうにない。

私のような一歩間違えれば厄介に堕ちかねない人間は遠くから彼らを見ていて、深入りしすぎない方が良い。
今の距離から相手を1人の人間として尊重していた方がたぶん楽だし、誰にとっても健全だ。
楽しめる距離感で立ち止まるのも1つのファンの姿勢だと結論づけ、律する人間のフリをしてみるのであった。(了)

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