適切な距離の話。

こんにちは、えむです。
今日は1本、番外編として投稿します。

本日は12時から、ゲーム実況者のキヨさんによるイベントのチケットの一般販売日でした。
キヨさんが好きな私は当然…と言いたいところですが争奪戦には参加しませんでした。
勝てない勝負に挑みたくなかった。
敗れることが分かっていたのにわざわざガッカリするのが嫌だったというのが本音です。

私は『東キヨドーム』というイベントの開催を聞いてから最初の抽選にしかエントリーしませんでした。
その結果で落選を知った時、私は残念な気持ちとともに不思議と安心したような気持ちになりました。 

安心した理由を考えると、思い浮かぶことがありました。
「私はそもそもキヨさんに会いたいのだろうか」 
「会って実物を見ることが果たして正解なのだろうか」
最初はくだらない負け惜しみだと思ったのですが、考えれば考えるほどそういうわけでもなく。自分でも複雑な思いを抱えていることに気がつきました。


私はキヨさんのことは好きです。
好きなゲーム実況者さんは他にもいますが、その中でも間違いなく1番見ている実況者さんです。
実際、彼の影響力は本当に強く。
あれこれ試行錯誤してもどう頑張っても生きるのが難しいと思った時、彼がシリーズもののゲーム実況を始めれば「このシリーズを見届けるまでは生きていようかな」と人生を投げ出すことを思い止まる経験を2、3度しています。

彼に影響されて購入したゲームもいくつかあります。
中でも『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』は彼の動画でプレイの楽しさを知ったと言える部分があります。
彼が楽しそうだったから、私もやってみたいという気持ちが湧き。
その結果、自分でも驚くほどハマりました。
プレイ時間やamiiboの数がよりそれを物語っています。


それほどまでに恩恵を得ていても「会いたい」はどこか何かが違う気がしてしまっていました。
姿を見て生きていると実感したい気持ちはあります。
だけど、それは私にとって適切な距離感なのかと言うのはずっと心に引っかかり。手放しで会いたいと言えなかった。

キヨさんという人は『ゲーム実況者』です。
そして、私は1人の視聴者です。
私にとって良い距離感は、液晶を隔てたいつも通りのこの距離が最も丁度良いのではないか。
近づきすぎたら、何かが変わってしまうかもしれない。
丁度良い距離感を超えてしまうことを怖いと思ってしまいました。
最初は運試しの気持ちで応募しましたが、考え出してからは最近の膨らみ続けるバブルのような過熱していく人気も手伝って。
ついに今日までその価値観が変わることはありませんでした。


キヨさんが好きな1人として、せっかくの15周年記念のお祝いイベントに行けないことはとても残念なことなのでしょう。
だけど、私はただ自分が冷静でいられる今の地点から変わることなくどこかに存在している『キヨ』という実況者の今後を応援していたいと思います。
無事に開催され、記念すべき日をキヨさんと当日東京ドームに行かれる全ての方が楽しめる事を祈っています。

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