短編の話。

今日はお腹が痛いので長々書くのはお休みです。
なので、「話題にしたかったけどまとまらないな。」という話をまとめてお送りします。

異国の化粧品達の話。

フラフラと商業施設を歩いていると立ち寄ってしまう場所がある。
私はドラッグストアや雑貨店でコスメを見るのだけは好きなのだ。
最近本当に異国発の化粧品が増えた。
体感では主に韓国、次いで中国。
台湾コスメなるものも見かけたことがある。
こうなってくると、アジアの更に外ではどんなプチプラの化粧品があるんだろうかと気になり始めている自分がいる。

時々、これだけ異国のコスメが並んでいるのを見ると今いる場所が異世界みたいで何となく怖くなることがある。
お菓子のような可憐な美しいコスメが並んでいるはずなのに、その実態は生き物の生態系のようだ。日本の固有種と海外からの外来種の生き残りをかけた争いを見ているような気持ちにもなるのだ。
もちろん、どこの国のメーカーにもそれぞれ良い部分やトレンドと言うものがあるし商品を否定しようという気持ちなんてない。
実際、私もある韓国コスメの多色パレットに憧れて1つ持っているのだがその数は10色以上とあまりにも色が多くて全く使いこなせておらず。
いやでも私の化粧の技術力の中を感じざるを得ない、この年齢になって情けないことだが『化粧』そのものが嫌いな時期が長すぎたので仕方が無い。
これから様々な化粧品を使いこなせるよう技術向上に努めたい。(了)


『思います』が多すぎる問題の話。

昨日の記事を書いている中で思ったことがある。
私の文章の最後は『~だと思います。』『~だと思いました。』という言葉で終わっていることが多い。
自覚はある、気づいているのだが直し方を知らない。
というより、直すべきなのかもよく分からない。

『~思います。』という文末は便利なもので、『あくまで私の意見である。』という意味を含んでいるような感じが出る。
言い切ってしまう事による反発から逃げられる言葉で私は安心が欲しいのだ。
予防線を張って誰も不愉快にせず生きていこうという気持ちが、このような曖昧な言葉を使うようになってしまったのだろう。
でも、エッセイとは良くも悪くも私の思うことを書くことであって他人の目をそんなに気にするのもなんというかしっくり来ない。
今日は「だ・である」調で書くことにした。
前に書いていた時はなんだか偉そうに感じて辞めることにしたのだが、こうして書いてみると意外にもカジュアルに本心から言葉を書いていっているようでこれはこれでありだと思えるようになってきた。
そもそも、私が憧れエッセイを書いてみたいと思うきっかけになったさくらももこさんも著書では「だ・である」調で綴っている。
前に書いた通り、内容に合う文章の作り方がきっとあるのだ。
自分らしさというのはおそらく続けなければ分からないものだし、これから散々書き散らして私の形を作っていきたい。(了)

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