大嫌いな私の話。

私は、23歳の時に適応障害になって新卒で入った会社をぴったり半年で退職した。
私がされてきた事は最近『カスタマーハラスメント(カスハラ)』として、度々世間をにぎわせている。
もう少し早く、お客様に長々と怒鳴られるのは犯罪になる行為だと認めて欲しかった。


ボロボロでむちゃくちゃだったのに無職である自分が大嫌いで許せなくて、25歳になって医療関係のパートからやり直した。
内部でのおばさん同士の派閥に耐えきれず、あっさり適応障害が再発。
3ヶ月で体調不良に逆戻りした。
仕事に来ればいいだけなのに、どうしてああいうふうに無駄な喧嘩をしているのか理解ができない。


それでも、やっぱりこれじゃダメだと少し休んで26歳の時に派遣で見つけた化粧品工場に働きに行った。
初日から教えられてない作業をベテランと同じ速度でやれと求められて怒鳴られまくって、1日で辞めた。

世の中にはこんなめちゃくちゃなことを言ってくる人がいるのかとたいそう驚いた。
教えられてもいないことをやれと言われたのはさすがに人生で初めてである。
「新人なら最初くらいは普通に教えよう」という感覚が普通だと思っていた。
私なら最低でも5回は同じことを聞かれても優しく教えようと思うが、初回からフルスロットルでブチギレてくる人がこの世には確かに存在することを知った。

どうしていつも私はだめなんだろう。
どうして人と上手くやれないんだろう。
学生時代はほぼ問題なくやってこれたのに。
考えているうちに適応障害がうつ病になってしまった。


そもそも私は健康な人と同じスタートラインに立つこと自体が難しいのではないか。
そう考えて、自立支援という制度を頼った。
A型作業所というところは、知的や身体的な障害がある人だけではなく精神疾患を抱えた人も多く利用しているのを知った。
ここからなら新しいスタートを切れるかも!?
今度こそ「私でもやり遂げられる」と自信になると思ってワクワクしていた。


朝の満員電車で週に5日間連続で外出するということが出来なくて、そんな希望は2ヶ月しか持たなかった。
満員電車の中で急に怖くなって息苦しくなって「あれ、死ぬかも?」と思って以来乗れなくなった。
作業所は色々と相談に乗ってくれてはいたけど、最終的に週5日通えないとなると厳しいということで辞めることになった。


それから、もう無理だなと思って色々と諦めてしまった。
投げ出してずっと座り込んでいる。

人間に恐ろしく向いてない。
仕事が云々ではなく、私に人間をやること自体が向いてない。
だから、この世界で普通に大人として仕事をしている人を嘘偽りなく心から尊敬している。
本当に強い人達だ。
強くなかったとしても、それを我慢するなり折り合いをつけるなり病気とまでは行かずに生きているだけで偉すぎる。

少し前にASDであることが分かった。
知的は問題無いようで、むしろ検査上は普通の人よりも高い数値が出たらしい。
感覚過敏が強いことも分かった。
子供の頃から雷などの大きな音に耐えられなかったことに一応説明がついた。
ただの鬱ではなく、どうやら躁の状態も出ていた。


私は早く人間を辞めたい。
いくら検査で普通の人より高い数値が出たところで「普通」のことが出来ない時点で私に居場所はない。
親とか恋人とか病院の先生とかカウンセラーさんなど、私がギリギリの人間関係で関わっている人達が辞めないで欲しいというから辞めないだけで、自分の意思で生きていようと思う感覚がない。


同い年くらいで元は引きこもりだったり私と同じ病気と闘っているみたいな人の話を最近よく聞く。
みんな一芸に秀でていて、私には何のアドバイスにもならない。
私にはその芸がなくて詰んでいるのだ。

人に誇れる才能もないし、やりたいことも無い。
というか、もうやれることが無いと思う。
強いて言うなら「面倒くさい人間という生き物でいることを1日も早く辞めたい」が私のやりたい事だ。

今日は朝(世間的には多分もう昼)から、未来が見えない絶望感に押しつぶされていて何も食べずにベッドから出られないでいる。
出たところでこんなアラサーに幸せなんか何も無い。
このまま、栄養も取らずエアコンもつけずに居ればカラッカラのミイラになれる気がしてきた。
脳みそが萎んでしまえばもう何にも考えなくていい、名案だ。
このままミイラになろう。

覚悟を決めたかけたけど、森下さんへのファンレターを出してない。
やっと書ききったのに出さないのは、なんだかもったいないような気がする。
干からびようとするのを一旦やめて、先行き不透明な今日を始めることした。(了)

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