関西の穴場スポット 重要文化財ヨドコウ迎賓館
人はできなかったこと・やれなかったことこそ、やるぞ!とやる気を加速させるものかも知れない。
人はできなかったこと・やれなかったことこそ、残されたこととしてやりたくなるものなのかもしれない。
果たせなかったミッション
2022年4月3日(日)
この日は当時、彼氏だった人と夙川公園に花見に行く予定だった。
ところがその日、何日か前に彼氏だった人に体調不良か何かで花見に行く予定がなしになった。
それだけでなく、自分一人で行こうにも、その日はあまり天候が良くなかった。たしか雨だったような...。
その時からその雨は、何かを告げていたのかもしれない。
2022年4月30日(土)
ラインのメッセージが入っていたのはその前日の晩だったが、気づいたのが翌朝で、当時彼氏だった人に、ラインだけで別れを告げられてしまう。
半年と数ヶ月の付き合いだった。
その日に気づいた。その人と花見に行かなくていいんだと、遠まわしに告げられていたんだと。
夙川公園は桜の名所では有名だが、付近は高級住宅街のため、特に観光するところがない。
雨が降ったら、どないしようもなかった。
悔しさの後に
“新美の巨人たち”という番組で見たことないような美しい建物を見た。
あまりの美しさにうっとりした。
それが、ヨドコウ迎賓館だった。
よく調べてみると、夙川公園とヨドコウ迎賓館は互いにある場所が近かった。
夙川公園は兵庫県西宮市で、ヨドコウ迎賓館は兵庫県芦屋市と隣町。
しかも電車で行くと互いの最寄り駅から、阪神電車では2駅、阪急電車ではたった1駅だった。
次の春は、互いのスポットに行きたいと思った。それから約半年間待ち望んだ。
ヨドコウ迎賓館とは
ヨドコウ迎賓館とはもともと、酒造家の櫻正宗《さくらまさむね》の山邑《やまむら》家の別邸。
フランクロイドライト氏が、1918 年に帝国ホテルの設計のために来日していた。その際、迎賓館の今の設計ができた。
※以下 ライト氏とします
1922年 帰国
その後、弟子の遠藤新《えんどうあらた》・南信《みなみまこと》が引き継ぎ、建設されることになった。
戦後は淀川製鋼所の社長宅や社員寮に使われた。
現在は、国の重要文化財に選ばれている。
建築家 フランクロイドライトとはどんな人物か?
幼少期
ライト氏は母親からフレーベル積み木をもらい、積み木で遊んでいく中で雨粒・雷・川など暮らしの中に、いろんな形があることを発見します。
児童期・青年期
親戚のいるウィスコンシン州の農場を手伝い、その中で、丘・草原・水などの自然の豊かさに触れました。
それが、ライト氏の建築に生かされています。
ライト氏の建築はどれも、自然や建物を切り離さず、とけこませたものが多いようです。
夙川公園 花見
2023年 4月2日(日)
写真を撮るのが上手な友達と夙川公園に行くことになり、無事、念願を果たすことができた。
※私が間違えて写真のデータを消してしまったため、夙川エリアの写真はこの2枚のみです。
ヨドコウ迎賓館
実は、4月のこのシーズンは雛人形展をやっていて、予約がないと入れないと館内の人に言われた。
キャンセルが出るかわからなかったが、ただじゃあ大阪に帰れないと思い、次のターンの時間帯のキャンセル待ちがないか30分待つことにした。
待ち時間に、丘の上にある迎賓館から見渡すことができる、御前浜の景色を眺めたりして、キャンセル待ちが出るかドキドキだった。
結果、キャンセルがだれかでたのか、奇跡的にヨドコウ迎賓館の館内に入ることができた。
文句も言わずに、一緒に待ってくれた友達に感謝している。
※私が間違えて写真のデータを消してしまったが、ラインのデータにわずかに残った写真
↓ 一緒に行った、写真を撮るのが上手な友達が撮った写真
この1日で、心が晴れやかになった。生きていてよかったと思った。
ヨドコウ迎賓館の基本情報は、こちら↓
1年前に見えていなかったこと
気づいたきっかけ
この花見から、1ヶ月後のNHKの魔改造の夜という番組を見ていた時のこと。
内容的に、アホな実験を真面目に全力でやるという月1の番組だ。
この日の実験は、鳩時計からハトを飛ばし、バスケットゴールにハトを何匹入れれるかというもの。
いつも実験内容の発想が面白いなと思いながら、何気なく笑いながら見ていた。
番組内で、理数系の世界で生きている人がたくさん出てくる。
その時、今の会社に入社した時のことや、課長さんに言われた言葉を思い出した。
というのも今私がいる会社は、企業が貸している貸し農園があり、そこでアルバイトをしている。
仕事内容は、水耕栽培で野菜を育てている。
どちらかと言えば男性が多く、バリバリ理数系の世界が満載の会社である。
採用された時の会社が製薬会社で、実際、本社見学に行った時などに、研究員さんが多いのか、理科の先生が着てそうな白衣を着た人がたくさんいた。
※農園と本社は離れた場所にある
私はバリバリ文系の人間なのだが、果たしてこんな理数系の企業に雇われても大丈夫か?と思い、女性の課長さんにこんな質問をしたのだ。
2年経った今は、なんてこと質問してるんだ!!と自分に言ってやりたいが(笑)
「私、めっちゃ文系の人間なんですが、こんなめっちゃ理数系の会社に採用されて、大丈夫なんでしょうかね?理科とか全然できないんですよー」
すると、課長さんが言った。
「数字の計算が得意な人とか、研究員で実験が得意な人ばかりでは、会社で仕事がうまく回っていかないんですよ。
喋りが上手で、仕事を取ってくる人がいたり、商品化のために、製造された商品がどんなものかを書くのが得意な人がいたり…
いろんな人がいて、いろいろみんな得意分野が違う人がいるからこそ、仕事がうまく回っていくのですよ。」
ちょうどこのnoteを書いている今が入社して2年経つが、2年前に言われた言葉だった。
その言葉を聞いて、自分が元彼にまつわる、ある失敗していることに気づいた。
過去の人は…
私の元彼とは、就労支援サービスに通っている時に知り合った。
彼は、オーストラリアからの帰国子女の男性だった。
だから、英語が得意で、ディズニープラスを全て英語で見ると言っていた。
関西大学付属の中学・高校に通っていたが、高校2年生の時に学校になじめず、通信制か定時制の学校に転校した人だった。
関西の名門校に通っていたせいか、頭が良く、優しい人だった。
彼は実家暮らしで、家が大阪市港区にあり、父親がクリーニング店をしていて、彼はそのお手伝いをしていた。
彼とは、5歳年上だった。
奈良県が好きな人だった。
まずかった
話は戻るが、課長さんの言葉を思い出して気づいたのだ。
これでは、家庭がうまく回らなかったんだと。
というのも、元彼と得意分野と苦手分野がほぼもろかぶりだった。
これでは、もし一緒に屋根の下で暮らしていたとしても、うまくいかなかったんだと今になって思います。
<得意分野>
・元彼も私も英語が得意で、私は、学生時代に最高得点の92 点を取ったことがあります。
・元彼も私も漢字も得意で、元彼は漢字検定の2級を、私は漢字検定の準2級を持っています。
<苦手分野>
・計算をするのが、お互いに苦手でした。
※でも私は、全商簿記2級という、日商簿記3級と同一レベルの簿記の資格を持っているため、お金の計算はわりと厳しく見れます。
母に、私よりせこいやん!!とクレームをいれられています
・お互い、あまり料理をしない
※私は、みそ汁とか親子丼など簡単で初歩的な料理しかできません
・人と関わるのが苦手
うまいこと言っといてと言われても、お互いに対応できなかった
季節はずれの春
こんな失敗をしていること自体に気づかず、丸1年が経った。
それでもやれなかったことをはたして、また大人になったんだと、noteを書いている今は7月だが、季節はずれの春が訪れた。