あの時、もっと「鳴らして」よかったのか?
とある日の昼過ぎ、バイクに乗って3車線の国道で信号待ちをしていた直後のこと。
信号が青になり、周囲の車両がじわじわと発進し始めた時、自分はすぐ前方の車両に乗る者たちの行動を見て、思わずクラクションを鳴らしてしまった。
結局その場は何も咎められることなく済んだが、「むやみにクラクションを鳴らすと法律違反になる」という話はよく耳にするので、改めて関係法令を調べてみることにした。
以下、道路交通法(令和五年法律第三十二号による改正)より抜粋。
第五十四条(警音器の使用等)
2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。
以下、同法より読み替え。
第百二十一条第一項第九号
第五十四条(警音器の使用等)第二項の規定に違反した者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。
第百十七条の二の二第一項第八号ト
他の車両等の通行を妨害する目的で、第五十四条(警音器の使用等)第二項の規定に違反し、当該他の車両等に道路における交通の危険を生じさせるおそれのある行為をした者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
第百十七条の二第一項第四号
第百十七条の二の二第一項第八号(上記)の罪を犯し、よつて高速自動車国道等において他の自動車を停止させ、その他道路における著しい交通の危険を生じさせた者は、五年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
…長々と羅列されているが、簡単に言えば
「警音鳴らせ」の標識がある場所
危険を防止するためやむを得ないとき
以外でクラクションを鳴らした場合、警音器使用制限違反に該当し、行為の危険度に応じて違反金・罰金が課せられるのだという。
上記に関してよく言われるのは、「信号が青になっても中々発進しない前方車両にクラクションを鳴らす」行為は、厳密には法律違反の扱いになる…なんて話だ。
さてここで、自分が観測した「すぐ前方の車両に乗る者たちの行動」に話を戻す。
この時走行していた3車線の国道は、ピーク時や雨天時以外ならさほど流れは悪くないが、信号がそこそこ多く、引きが悪ければ次々と引っかかる。
バイクでは車に比べて手元の自由がきかないため、ちょっとした信号待ちの時間ともなれば、意識を向ける先は前方の車ぐらいしかない。
運悪く引っかかった自分は、煩わしさをこらえつつ前方に注意を向けていた。
小ぶりな軽自動車、運転席と助手席に一人ずつ乗車している。
助手席は明らかに女だ。おそらく自分より少し若いぐらいだろう…
その辺りまで観察した時、助手席の女が運転席側に傾き、首を運転手の肩に乗せた。
《はあ、なるほど。カップルかよ。
この手の女は、従属物…いや訂正しよう、サポーターとしての生き方を厭わないタイプだな。
並んで歩く時なら、おそらく両手で男の腕に掴まってでもいることだろう。》
内心バカにしていたところ、信号が青に変わった。
バイクは車体が軽いぶん加速が速いため、前方に乗用車が連なった状態だとジリジリと加速せざるを得ず、絶妙に煩わしい。ましてや青信号に気づくのが鈍い車両が一台でも混じっていれば、それは尚更だ。
いつもの如く、むしゃくしゃしながら前方の数台を睨みつけていた、そんな時。
例の軽自動車の運転席の男は、これから発進するところだというのに、助手席からの荷重を振り払うどころか、その首を助手席側にもたせかけた。
たちまち我が目の前では、運転手と助手による組体操『λ』が形成された。
不快な映像を一方的に見せつけられ、自分の中で何かが切れる音がした。
それは純粋な苛立ちに、少々の嫉妬を加えたもの。
脳内で、かつて一世を風靡した故人が吠えた。
《性の悦びを知りやがって!許さんぞ!!》
ああ、これでは自分が一方的に被害者だ。
自分は、右の頬を打たれて左の頬を差し出せるような聖人君子ではない。
見苦しいブツを人目に晒して、こちらはただ耐え忍ぶのみか?たまったもんじゃない。
でも…仮に何か仕返しを企むとして、今の自分に何ができる?
最も単純明快なものでいえば、クラクションだ。
しかし、クラクションをむやみに鳴らすことは法律違反だ。
…そうだ、思いついた。
「むやみに」鳴らすのではなく、「過失として」鳴らしてしまえばいいんだ。
荷物を取り出す時に誤ってクラクションを鳴らしてしまった人間を、どこの誰が罰する?
第一、バイクだと(全般に言えることかどうかは分からないが)方向指示器とクラクションのボタンが近いので、たまに誤って鳴らしてしまうことがある。
仮に何か咎められたところで、過失を主張するのは難しくない。
組体操『λ』の形成からここに至るまで、実際の時間にして僅か数秒。
自分は「過失偽装作戦」を決行した。
\プ/
…手応え、無し。
数秒後、組体操『λ』は『/I』へと変貌を遂げたが、我が反撃により怯んだものとは思えなかった。
かの軽自動車は次の交差点で右折レーンに入り、何処かへ消えていった。
これにて、被ダメージと与ダメージの差は、認めざるを得ないものとなった。
すなわち、自らの敗北を。
上記のエピソードの後、自分の中で反省会が始まった。
「かの現場において、自分が“勝利”を収めることは不可能だったのだろうか?」
分かりづらいので、こう言い換えよう。
「かの現場において、前方車両が怯むほどクラクションを鳴らす行為に、合法性を認めることはできないだろうか?」
ここでもう一度、道路交通法第五十四条の記載を振り返る。
「法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」
この、解釈の幅が生まれそうな曖昧な記述。
危険を防止せざるを得ない状況にある場合は、違法行為に該当しないのだと…
ならば、「前方車両の危険行為を防止する必要がある」その理屈を、でっち上げてしまえばいいんだ!!
第一に、乗用車の運転席の隣席は「助手席」としての位置付けである。「女子席」ではない。
「助手」として鎮座している以上は、文字通り運転手の補助となる行動を取るべきだろう。最もよくある例で言えば、左方の安全確認や道案内だ。
長時間の道のりで眠ってしまい補助ができない…なんてパターンはやむなしとしても、運転の妨げとなるような行動はあるべきではない。
さて、今回のケースならどうであろうか。
車内でどのような会話がなされていたかは知るよしもないが、おそらく「助手」は自らの意思で運転手にもたれかかったのだろう。
運転を補助する目的ではなく、単なるエゴだ。
親しい者への接触によりオキシトシンの分泌を促進し、その恩恵にあずかろうとでも図ったことだろう。
…接触の対象が、乗用車のハンドルを握り殺人級の運動エネルギーを操れる状態にあることを、気にも留めずに。
一方で、運転手に関しては「隣席からの奇襲により、図らずもオキシトシンが分泌された」という点で、受け身の立場であったことは認めよう。
とはいえ、その奇襲を撥ねのけないどころか嬉々として受け入れるのは、「殺人級の運動エネルギーを操っている」自覚を欠いた行為である。
公道の走行という、ある程度の緊張を要する状況下で、あろうことか副交感神経の働きを強めること。
言わずもがな、危険だ。
ああ、いいじゃないか。
乗用車の運転をナメ腐ったボケ頭に、一撃を食らわせてやればいいではないか!
…この理屈が成り立つのなら、あの時の自分は、もっとけたたましいクラクションを鳴らせたのかもしれない。
残念ながら、あの瞬時にここまでの思考には及ばなかった。
でも、仮にこの理屈に至っていたとして、威嚇攻撃を実行したとしたら…?
口論を振っ掛けられたとしたら?警察に呼び止められたとしたら?
自分は、胸を張ってこの理屈を語るのか?
…きっとそこに残るのは、前方車両のボケ頭よりも遥かに哀れな石頭だろう。
たぶん、あれで良かったんだ。
あれ以上は、鳴らすべきではない。
結果として「やられ損」になることしかできないわけだが、苛立ちをダシにして、長ったらしい1記事に昇華できたのだから…これで良かったんだ。
畜生。このままボケた運転を続けて、自損事故でも起こして高額な修理費を請求されてしまえ。
約1週間後。
短気は損気、でしょうか。
春の交通安全週間の罠に嵌まり、自分の方が法の裁きを食らってしまいました…。
ち、チクショウ…。
つづく(かもしれない)