白斑が物語る、私の人生の一部
薬をもらうためにとあるクリニック行ったら、採血をされた。
看護師が白斑が残ってる私の腕を見て
「アトピーだったんですね、今まで大変でしたね」と、やさしく言った。
このシミや白い痕だらけの私の腕を見てそう言ってくれた人は、いまの今まで、一人もいなかった。
採血なんて人生の中で何回も経験してきたが、医療関係者でも、そんな人はいなかった。
だからこの看護師が、初めて。
別にいなかったからどう、という話ではないのだが、妙に心が浮ついたような、そんな気持ちになった。なぜなんだろう。
帰りに紅茶とスコーンを、お気に入りのカフェで注文しながら考えていた。
たぶん、嬉しかったのだ。
こちらからの表明よりも前に、言及してくれたのが、嬉しかったのだ。
別に表明しようとも思わなかったし、白斑は私の一部になっているので、いちいち説明しようとも考えていなかったのだが。。
生きててよかった、と紅茶を飲みながら思った。
大げさかもしれないけど、本気でそう思った。
いわゆるハーフで、名前が周囲と違うというのもあったけど、アトピーのせいもあって集団からの排除を経験した。
自分にとって白斑は、自分が自分であることをひたすら否定して、何もないツルツルの肌をもつ多くの人を呪っていた時代の遺物だった。
忘れられた歴史に言及し、再発見し、再び光が当てられたような、そんな感じがした。
私にとってミックスルーツであること、重度のアトピーであること、食物アレルギー持ちであることは、容易に抜け出すことのできない三重苦だった。
アレルギーは緩和したしアトピーは大人になってから、口の周りと顎のアトピー以外はほぼ治ったけど、いつまた再発するか分からないから爆弾を抱えている感じ。
そして今、なぜだかアトピーの調子が悪くなり、しばらくできていなかった腕に再びアトピーが現れ始めた。
小学校時代は、見た目の悪さで感染症扱いされたことが多かった。「うつる」「さわるな」「あっちいけ」とばかり言われ続けて、自分から距離を取るようになった。
(※すごい基本的なことだけど、未だに分からない人もいるようなので明記しておくと、アトピーは触ってもうつらないし、空気感染もしない。当然のことながら、感染症ではない)
そんなふうに理解のない人が、パキスタンでもいたようだった。
私か家族と一緒にパキスタンにいたのは幼少期だけだったが、母親が私を「見た目があまりに可哀想で、人前に出したくなかった」と最近になって打ち明けてきた。
「『母親が日本人だから(子供が)こうなんだ』と思われるのがとても怖かった」とも話していた。
私は、それ以上のことは聞かなかった。
知ったところで傷つくし、意味がないように感じられたから。
いつか必要になったら、また聞くこともあるだろう。
高齢になりつつある母親の自我が、あるうちに。
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こういう話は、アトピーで苦しんでいる子どもや、そんな子どもを抱える保護者の方々の需要になるだろうか、と少し思いながら書いてみた。
書き足りないことはまだあるけど…。
私が酷いアトピーで苦しめられてきた小学生〜中学生の頃まで「大人になったら治る人多いから」という周囲の人たちの言葉に縋って、何とか生きてきた。
今になって思えば、彼らは半分合ってて、半分出まかせを言っていた。
私の、約30年になる人生経験からすると、結局アトピーは一生もの。
(※まだ30歳じゃないです)
環境や食生活などあらゆる生活習慣の改善などで、かなりのレベルまで改善はするが、
「これらのどれかが崩れると、たちまち悪化する持病」という認識で、私はアトピーと今も向き合っている。