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ミックスルーツの婚活orパートナー探しは難しい
人生初のお見合い?
退職した小学校で一緒に働いていた人がある日、私にこう言ってきた。
「僕の後輩でこういう人がいて。とても優しい、いい人なんですよ。あなたにどうかなと思って」
そのしばらく後、
「そうだ、写真を見せていなかったね、こういう人なんですよ。まああんまりハンサムではないかもしれませんが…」とか言って見せてくれた写真。
聞けば、安定した職業についていて、なかなかの好青年だとのこと。
正直に言うと、全くもって顔が好みじゃない上に、戦闘機っぽいものの前で写真撮っていて、ちょっと私こういう人とは合わない気がするな、と感じた。このまま話が流れるかと思いきや、
「◯日に3人で食事しませんか?」と言ってきた。
これってもしやお見合いというやつでは?と思って身構えたが、会ってもいないのに断る理由もないかと思って、渋々ながら行ってきた。もう半年以上前の話である。
最初からこの話は受ける気がなかったが、世話になっていた人に対して、会ってもいないのににべもなく断るのも変かと思い、どうせなら会ってから断るかと決断した。
当日、結局私の勘違いなのか奥様も一緒で計4人で、めちゃくちゃ入りにくそうな料亭でご飯を食べた。
確かに相手は優しい感じだったけど、話は全然面白くなかったし(友だちと話してる方が数十倍楽しかった)幾つか見過ごせない重大な違和感を抱いた。
それは「つまらないものですが…」と言って、子どもにあげるような粗末なサイズの駄菓子を差し出された時と、「出会いを求めて、縁結びの神社に2回お参りに行った」という話を聞いた時、
そして何かの話の流れで相手から「ガイジン」というワードがナチュラルに出た時だった。
ちなみに私は、年配の方が「ガイジン」とか「ガイジンさん」と言っても「あーあ、まあ仕方ないな」と思うが、相手が自分と近い年代の人だとそういうわけにはいかない。
年配の方に関しては、身も蓋も無い言い方で恐縮だが、棺桶が音を立てて近づいている年代の層にわざわざ怒っても仕方ないのと、認知能力の衰えもあり、彼らには簡単に認識を変える力がある訳ではない。
これは実体験として言えることで、私の祖父母が認知症になって、今自分が何をしているのかすら認識できなくなっていくのを苦しい気持ちで側で見ていたから。
私はそれを理解している(つもり)なので、無理に説得したり諭したり指摘したりはしない事にしている。
ところが若年〜壮年層でそういう危険なワードが噴出する人に対して私が恐怖を感じるのは、今まで認識を変えるチャンスも能力もあったはずなのに、何らかの理由でそれをしなかった点だ。
たまたまそういう、「マイノリティに対する視点に関する情報にアクセスできなかった環境にいた」と釈明する事もできるかもしれない。
友人になる予定の人や、職場などでこれから(あくまでも他人として)密接に関わる機会のある人であれば、私も空気を読みつつ、やんわり指摘したり説明したりするかもしれない。もしくは空気を読んだ結果「この人には何を言ってもこっちが二次被害に遭いそうだし、距離を取りつつ黙っておくか」となるかもしれない。
ただそれが、「家族になるかもしれない人」となると話は別だ。
自分が本当に日本人なのか分からなくなった
私の父は、イスラーム教徒だ。
ところが私は、日本ではほとんど、というか全くと言った方が正しいくらい、宗教教育を受けなかった。
ただ一般的なマジョリティの日本人よりは、イスラームにほんの少し詳しいという、それだけのことだ。そしてかろうじて、食事規定も守っている。
そして更に、彼らが同じ信仰を持つ人々を同胞と呼ぶときの特殊な親密さや、異教徒についてどう考えているか、言葉にするのは難しくても、いい面も悪い面も、肌感覚で分かったりする。
母は結婚前から迷信の類や、明確な形状に対して祈りを捧げる行為を、まるで悪魔の教えのように嫌っていた。
神道に対しては「紙切れに拝んで何になる。何の教義もないただのアニミズム」と軽蔑を隠そうともしなかった。
仏教に対しては幾分リスペクトがあったが、それでも「仏像に拝んだって、目を開けて立ち上がって何かをしてくれる訳ではない。神道も仏教も法外な金額を巻き上げてほくほくしているだけ」などと常日頃から言っていた。
観光がてら神社仏閣を見学することはよくあったが、参拝はしたことが無かった。だから当然、私は神社のお参りの作法なども知らなかった。そういうことは誰も私に教えなかった。
別にそれで恥ずかしいと思ったこともなかったし、これからだって私にとってはあまり縁のない場所であり、行為である。
とは言え、寺は好きだし、特に参拝はしなくとも、あのひんやりとしたお堂と線香の香りは好きだし親近感があった。
神社も別に嫌いではないが、往々にして神道からはどうしてもナショナリズム臭を感じることがあって、例外もあったが、だいたい自分から近寄ることはなかった。
なぜこんなに神社の話をしているかというと、前述のお見合いの食事後に、奥様が「せっかくだから〇〇神社で参拝しましょう!」と言い出したからだった。
断りきれなかった私はずるずるとその場の雰囲気に引きずられ、そこへ連れて行かれた。
その途上で、「何かの用事で教会の礼拝に参加しなければならなかった時があって、その時に牧師が『打ち勝つ』とかそういう言葉を連発していたのよね」と話していた奥様はこう言った。
「それを聞いてね、だから戦争がなくならないんだわって思ったのよ。やっぱり一神教はダメよね。」
確かに気持ちは分かる。
キリスト教はあまりにも前科がありすぎるもんな、と思ったと同時に、教養の低い人だなあと感じた。
国家神道が東アジアや東南アジアで何をやらかしてきたのか、ミャンマーで仏教徒たちがロヒンギャの人々に対して何をしているのか、この人はなーんにも知らないんだなあと感じた。
いや、知らないはずはないのだろうが、たとえ歴史を学んでいても応用力がないので、短絡的な結論を好むのだ。
仏教もキリスト教も、イスラームも、その他の宗教も含めて、平和を語らない宗教は無い。ところが人間は各々の神の名によって他者の命を平気で奪う。
結局は、この世に存在するあらゆる悪は、宗教を自ら作り出しておきながらそれを悪用する、醜悪な人間性のなせる業なのだ。
まあとにかく、人気の神社なのか、参拝客でかなり並んでいた。
そこで初めて私は「参拝って確かなんかルールがあるんだよな」と思って焦った。
見よう見まねで適当にやって、願掛けなどは一切せず、体裁だけ整えてその場を後にした。
物凄く苦しくなった。
久しぶりに「自分は日本人じゃない」と感じた。
そんな私は「日本人は全員、神社でのお参りの作法を知っている」というある種の偏見に支配されていた。
そして後日、この話は丁重にお断りした。やれやれ。
この出来事と、とある小説を読んだことで、一つ、学んだことがあった。
温又柔の「魯肉飯のさえずり」を読む
この小説の主人公は、日本と台湾にルーツのある女性。
アイデンティティの揺らぎを経験しながらも、何となく流されるようにして、大学時代の先輩である日本人男性と結婚したが、何かが上手くいかない、というそんなストーリー。
それと並行して、台湾出身の母が、成長していく主人公を痛ましいほどの愛で見守る様子が描かれている。
私が一番ショックを受けたのは、台湾出身の母がよく作っていた料理である魯肉飯を、主人公が夫に振る舞ったら「こういうのじゃなくてもう少し普通のものが食べたい」みたいなことを言われたシーンだった。
このシーンをどう解釈するかは人それぞれだと思う。私はこのシーンを読んで「私もこういうことを言われ得る存在なのだ」と感じた。
私が親しんできた料理は多岐にわたる。
以前に知り合いから「日本とパキスタン、どっちの料理が好き?」と聞かれたことがあったが、正直言って、私にとってそのような質問ほど答えづらい質問はない。
母は料理が得意で、かつあらゆる国の料理に興味があった。(例外は東南アジア各国の料理で、母も私もあまり口には合わなかった)
西洋料理もよく食べるし、もちろんインド・パキスタン料理も食べるし、何なら中華料理やトルコ料理もたまに作ってくれた。
和食もよく食べるが、納豆や梅干しは母が大嫌いなので私も食べずに育った。それとお好み焼きやたこ焼きのような、いわゆるB級グルメも、実は食べたことがないし、あまり食べたいとも思えない。
何が言いたいかというと、我が家の食卓は、日本かパキスタンかの二択ではなかったということだ。
そんな家庭で育った私が、もしこの小説に出てくるような人と結婚してしまって、似たような言葉を浴びせられたらどうなるだろうか、とふと考えた。
私はいったい、どんな選択をするだろう。どんな表現をするのだろう。
あるいは、マジョリティ側の放つ有害な毒に、倒れるしかないのだろうか。
魯肉飯のさえずりを読みながら、そしてあの妙なお見合い事件を思い出しながら、ミックスルーツにとっては婚活も、理解のあるパートナーを探すのも至難の業だと思い知らされた。ほとんど神業に近いとすら思う。