fri/18/Oct.
エモい曲を聴きながら、ぽつぽつと帰り道を歩く。
治療院の帰りのハイパー絶好調な膝の感触を確かめながら歩くのが好きだ。
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今日、ついに魂の課題が返ってくる。課題が返ってくるたびに、走るときに爆上がりする気分を軽く超えてアドレナリンがドバドバ出る。
そうか。パーっとストレスを発散したいときは、課題が返ってくるようなコンテスト的なものにガンガン応募したり、オンライン模試的なものを受けるも良かろう。
あの「わたしがつくった」無形物の価値が可視化される「勝負」がたまらん。
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そして、史上最低の課題が返ってきた。自分のあまりの酷さにしばし呆然とする。
まあでも、週末は大体こんな感じだ。課題が返ってきて、ブン殴られて地下まで凹んで、それでもなんとか立ち上がり、次の課題へ向かっていく。
「これ以上はないな」と出したものが、「まだ先の世界があるんでっせ」と収穫がどっさり返ってくる。
見えなかった世界が朧げながらもだんだん姿を現し始める。
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今夜は復讐(復習)してノートを作り、魂の講義を浴びてくるぞ。
そんなわけで、明日の町田戦のころは講義真っ最中。試合は信頼できる選手と優秀なコーチ陣と愛すべきサポーターさんに任せます。
わたしは、今夜作る復讐ノートを抱えて全力でボコボコになるまで闘って解説を聞いてくるぞ。
お互い出し切りましょう。
(終わったら速攻で速報を追います!)
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マツケンの記事は本当に勉強になる。
わたしも今、寸分たりともミスが許されない類の勉強をしている。
ミスは未然に防ぐ策は敷く。しかし、出すべきときに出すべき力を出さないと(ゴールを獲っておかないと)、次がない。
「自分の勉強がサッカーに似ているところもあるんだなあ」と思っていた折に読んだのがこの記事で、「そうか!ミスを防ぐ策のスペシャリストが身近(=マイクラブ)に40人以上いるではないか!」と気づいた次第である。
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身近と言ってしまうと語弊がある。なんと表現したらいいんだろうなあ。
自分が応援しているクラブの選手たちは、全員が自分より歳下になっても「お兄さん」という感じがものすごくする。
「先輩」でも「友だち」でもない、目上のお兄さん。でも、友だちのお兄ちゃんのような、それこそ"身近な"親しみがこもっているかというと、それもまた違う。
永遠に歳も背格好も遊びのレベルも追いつかない遠い人だ。グッズを買ったり、サインを貰ったりしてうれしい気持ちになるのは、「遠い人」だからかもしれない。
たぶん、こういう感覚をカタカナで"リスペクト"と呼ぶ。(日本語の「リスペクト」は相手方が心理的にすごく遠くに設定されている気がする)
「頑張っても頑張っても届かない遠い存在の40人以上のお兄さんたちが喧嘩しても、だいたいの相手は倒してくれる」と日々思って生きたい。
お兄さんたちでも勝てないのに、わたし如きが講義を無双して課題がパーフェクトだったら、夢も希望もこの世の悦びが何も無くなってしまう。
「わたしでもこの程度はできるんだから、最強のお兄さんたちならもっと強い相手も倒せる」と思っているだけで、同じ闘いであっても寂しく一人で闘っているときとは気分が全然ちがう。
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「今ごろスタジアムで最強のお兄さんたちも必死にやっている」
明日、めげそうになったらこのことを思い出そう。
Gutz!!!