#6 めちゃくちゃ難解で首を傾げる木曜の夜に

非常に難解な問題の回なので、何度も聞き返す。



この回が「難しいなあ」と思い、聞き返す。考えながら走る。

同じ事象に関わるにしても「実行する」「金を出す」「口を出す」を混同していると、はちゃめちゃな迷惑野郎になってしまう。それぞれ別の事象と捉えたほうがいいのかなと思った朝。

「なんでも屋」がウザいのは、往々にして「口を出すだけのくせにさも"なんでもやります"と名乗っている口だけ野郎」からだ。口は出しながらいざ己が何かやる場面で「あれは嫌だ」「これも嫌だ」と言い出す奴は少なくない。


とはいえ「黙っておくが吉」すぎても業務実行は滞る。はたまたこちらは「口を出すべき」相手とタイミングを明確かつ謙虚に発言しないと、金は出さずに口を出す舅姑と同質。両者のあいだで揺れているうちに体力も気力も消耗して時間だけが過ぎてしまう。


こうして人は事なかれ主義になり「沈黙は金」を座右の銘にして生きていくという無難な選択を取らざるを得ない構造だ。


中年期までに腹に溜め込んだ「アドバイス」は、歳を取らないと若い人に吐き出せないのか。

老年期までに言い方もタイミングも学んでいないせいで不躾にものを言う羽目になり、リアルでもネットでも「老害」呼ばわりされるのが関の山。なんか色々と闇深い。


となると、若くもなく老いてもいない中年期の過ごし方次第で個人の発言のクォリティは爆上がりするか老害ロード真っ只中を辿ることとなる。


30〜50代の"実行"の度合いと口の出し方で、同じことを言っても周りの人間に「賢者には1万円をあげよう」と長い人生を労ってもらえるか、はたまた「愚かな老害は負債を押し付けて姥捨山」と命を足蹴にされるか。

したがって中年期にあまり悪いことはできない。


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これが後編でどう転ぶんだろう。


「俺わたしならもっとできる」は、当事者と自分の次元を混同している。しかし、実行役と口を出す役が同じラインに立つことはない。

だから「本当は言いたいけど、憚られる」は一定の想像力のなせる技だ。優しさでもある。


個人的な経験を申し上げると「よかれと思って」は最悪なことが多い。「お前がそういうことを言うから台無し」の空気が本人も耐え難いのか、こちらが黙っていても相手はどんどん墓穴を掘る。(墓穴を掘ることトンネル工事の如し)

喋りすぎて墓穴を掘る人は、そもそも蚊帳の外の役立たずだと自己申告しているようなものである。

わたしの周りにもいる。

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