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thu/20/Feb.
もう3日休んだんだ。(鈍りまくり)
走らない朝に変わらず早起きするのが悲しいので、早朝学習を開始している。体を動かさないせいで、体重も微増し続けているこの3日間。そして、明日には課題が返ってくる(今回も間違えている箇所をすでに特定済み)。
とはいえ、この1カ月も自分なりに前に進むことができた。たまの息抜きも本当に大事!(唐突なビックリマークで強調したい)ということで、恒例の映画祭り。今回は字幕で洋画を観たい気分。2021年の作品。
"子どもらしさ"は、大人のノスタルジーを刺激するための都合のいい道具ではないのだよな、とぼんやりおにぎりを頬張りながら画面を眺める。
小さい子どもが捉えている本質と大人のそれは、お互いの過去や未来に関する認識に差異があるだけで、実質的にはほぼイコールなのかもしれない。傍目には使用言語の違いに過ぎないのかも。
だから、無力さゆえ"誰かに面倒をみてもらわなければならない状況"に置かれる絶望は、おそらく子どものほうにもあるのでは?と想像してみたりした。
"らしさ"の応酬がない主要登場人物の関係性が、現実には"らしさ"を押し付け合う行為の多さを暗に語っている。年齢や年相応の態度に限らず、冷たい現実には"らしさ"を求められる場面のなんと多いことよ。
...みたいなことを断片的に思った作品だった。もっと集中して観ることもできたかも。
モノクロの映像がとても美しく、肌や髪の質感の見え方も作品全体の印象には大きく関与しているんだろうなと思った。グレーのトーンの美しさがすごい。こうした金髪の質感は、邦画ではあまりなくとてもレア。インタビュー形式に登場するティーンたちのコメントの多くもパンチに溢れていて印象的だった。
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終了7分前になったところで「筋トレをして、明日に備えよう」と思い、動き始めた。治療に行って、デスクワークと悪姿勢でバキバキの身体を整えてもらうとコリと溜まった疲労も抜けていく。明日は走れずとも1kmでいいから歩きたい。
映画のなかの大人に疎まれる類の子どもらしさは、わたしにサボり続けている筋トレを再開させるくらいの力を与えてくれる。
だったら、一般に好ましいとされる"らしさ"で括れてしまう属性や要素に大した意味は包含されていないのかもしれない。"らしくない"大人の姿のなんと魅力的なことよ。