"4th Weekly" Sep.
鮭を焼かせたら天才だな、わたしは。皮をカリカリに焼くのが好きだ。魚はウェルダン。
昨日は、2試合連続のクリーンシート。
「5分2敗とか4分3敗とかでシーズンを終えるのかなあ」と考える。リスクを負って点を取りに行かないのが功を奏していて、逆に守備ががちっとハマることが多くなった印象がある。
上位中位を諦めたシーズン終盤に守備がハマり始めるのも皮肉なものだけど、守備フェチのわたしは実は「見どころが増えたものよ」とこの状況を愉しみつつある。(変態...)
ゴールはないし、スペクタクルでもない。それでもいいかなと思う。でも、お金を払って観に行きたい試合をしているかと問われたら返答に窮する。
チケット価格が為替相場のように変動制だったら、今は客層によっては暴落してもおかしくないサッカーをしている気はする。
「迫力があってゴールがたくさん決まるがよろし」「たくさん点が入る試合が好き」な人が大半だと思うからだ。
「サッカーが好き」と「サッカーの試合を応援するのが好き」と「サッカーの試合にお金を出すのが好き」の均衡が取れて、チケット代とDAZNの元を取った気になるには、年間順位表の一番上にクラブ名があることがいちばん効率がよく確率も高い。
「にわか」と呼ばれる人がとりあえず勝ちそうなほうを好んで応援するのも、「にわか」さんは試合をみている時間の価値を回収できるのは「勝つ」しかないと考えるからである。
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運動会のリレーでバトンを落としたり、転んだ子に怒りをぶつける同級生がいた。不思議なのは彼や彼女が一目憚らず怒鳴り散らすことより、むしろそれを止めたり諌めたりする大人が一人としていないことだった。
そうして「負けに意味がない」と幼稚園のころから、もしくはもっと前から大人に、そして同級生に叩き込まれているのである。「負けたら割に合わない」と。
「割に合わない」のは客観的事実ではなく、主観的感情の話である。手を繋いで徒競走のゴールテープを切っても割に合わない感じなんかは簡単には拭えないし、転んだ子を怒鳴ったくらいで割の合わなさはさらに増す。
だから一般に、順位表の真ん中より下が見えてきたら、負けを重ねるだけよりもせめて「サッカーが好き」と「このクラブを応援するのが好き」が釣り合う方向に顧客満足をシフトさせるものだと思う。
クラブからのお客さんへの優しさと配慮のメッセージでもあるのかな。わたしのクラブの方に良識があることがよくわかる。
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みたいなことを考えながら、うちのクラブのその気になれば一人でも点が取れそうなスーパーな10番がいつもより低めかつサイドに張っているのを眺めていた。
わたしが16時くらいの新幹線に膝を壊しながら全力ダッシュで飛び乗り、ギリギリでヨドコウに辿り着き、雰囲気のある専スタで本場のたこ焼きを食べたりしながらこの試合を観ていても、どういう気持ちで、どういう風にこの10番を応援している気持ちを伝えられるものかはまるで分からなかったと思う。
正直、シートマスクをしながら画面の前から見ていてもこの日試合に出ていた選手たちにかけたい言葉がちゃんと頭に浮かばなかった。
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守備フェチのわたしでも、サッカーをみるときはゴールと勝利が三度の飯より好きなんだなと思った。
でも、マイクラブが負けるのは嫌いだ。相手によっては自分の人生とこの世の終わりさえ感じる。
好きなものと嫌いなものの塩梅は難しい。今こそ、いつもみている側の人間には好きなものと嫌いなものを自分の中で位置付けるセンスが問われる気がする。
好きなものと嫌いなものの折り合いをつけるデザインのようなセンスも「応援」の一環なんだな、と思った。
サポーターもまた勝ち点1を積み上げるような繊細な作業をメンタルで重ねて、スタジアムや画面の前にいる。
現地組の方々におかれましては、敬意しか浮かばない。本当にお疲れさまです。どうかお気をつけて。
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