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2021/09/21「探偵よ、孤高であれ」

『廃遊園地の殺人』を読破した。サイン本を通販で頼んでいたため、『烏は主を選ばない』のコミカライズ版を捜しに本屋に出た時店頭に並んでいるのを見たのだが購入できなかったので、その時の「惜しい!」という気持ちが後押しとなり発売後そこまで経たずに読むことができた。

この書きぶりでもわかる通り、わたしは小説の新刊を発売日に読めない派閥に属する人間だ。発売日という単語でバフを盛れないタイプの人間のため、「惜しい」という気持ちだったり「希少性」であったり、小説を読む際に本来必要としない感情を燃料にする必要があるのだ。

今回、「惜しい」という気持ちがバフとなり発売後すぐに読むことができた。わたし自身はライトなミステリ読みという自認なのだが、ミステリというジャンルにおいてもちろんトリックの部分も非常に重要だと思いつつ、それ以上にわたしが求めているものは物語の引きだと思う。

もちろん、ミステリというジャンルにおけるトリック部分を評価され後世に残る作品もたくさんある。わたしの既読本からいくつか上げたが、この辺りは生きているだけでネタバレをくらいかねないレベルではなかろうか。

ただ、それでもわたしはミステリにおける引きを再重要視してしまう。トリックがどれだけ作り込まれていようが、わたしという読み手が物語としての奥行を感じる部分が物語の引き(=ラストシーン)にあるからだと思う。事件をズバズバ解決するシリーズ作品の探偵を読みたい気分もあるが、単刊物のなんだかしっとりとした雰囲気の探偵を読みたい気分もある。そんなところだろうか。

いろいろ話が蛇行したが、『廃遊園地の殺人』の引きはとてもよかった。彼の来歴からしてシリーズ化する余地も充分にあるだろうが、ノスタルジーな締め括りは永久に求めた場所に辿り着けない彼を求める欲望をも喚起する。探偵は社会から切り取られた異物であってほしい。そんな願いが、わたしのどこかに存在しているのだろう。

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