【シャニマス】ストーリー・ストーリーの考察と感想
このコミュは、「リアルを届けるドキュメントバラエティ」という舞台に立たされたアンティーカの面々が、テレビ局の編集によって、第四の壁の向こう側にいる人々に自分たちではない自分たちを「素の自分たち」だとして認識され、それによりアイデンティティに大きな揺らぎが生じるという物語であると言えよう。
この物語で重要となっているのは、「素の自分」と「素のアンティーカ(とその中にいる自分)」と「見られる対象としてのアンティーカ(とその中にいる自分)」と「実際に外部の人間が見るアンティーカ」という四層の構造であると考えられる。
そもそも第四の壁とは、『舞台と客席を分ける一線のこと。プロセニアム・アーチ付きの舞台の正面に築かれた、想像上の見えない壁であり、フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界を表す概念である』(Wikipediaより引用) とされる。
第四の壁について、メタ的な意味で用いられるのではない限り、舞台上にいる「キャラクター」について観客が人格を意識することはあっても、舞台上で提供される情報から舞台にいる役者自身の人格について観客が意識することはない。
一方で、ストーリーストーリーでは、番組が依然として物語であるため通常の構造と同様に舞台上で提供される情報から役者自身の人格を意識することができないのにも関わらず、番組は「ありのままを届ける」ものであるとされているために、観客は舞台上で提供される情報と演者の人格を結びつけて捉える。
これまでアンティーカは、「見られる対象としてのアンティーカ」を客に届けてきていて、ファンはそれを見て反応を示してきた。アンティーカの特徴として、ストレイライトとは異なり、「見られる対象としてのアンティーカ」と「素のアンティーカ」に大きな隔たりがない。そのため、ここでの従来的な構造では、ファンが受け取った「実際に外部の人間が見るアンティーカ」は「見られる対象としてのアンティーカ」と近い性質のものであるし、それは「素のアンティーカ」であるともいえるものであった。
そこで登場するのが「ストーリーストーリー」というイベントである。「結成」「CM」「絵本」という三本のアンティーカ主役のイベントコミュに次ぐ四番目の主役イベントだ。
注目度の高い番組で、視聴者数が非常に多く、ファンではない人、メンバーの名前だけは知っているというレベルの人、テレビで見たことはあるけど詳しくは知らない人、そもそもアンティーカのことを知らない人が多く見ているという中で、番組を早期に切られるかもしれないという状況や、高校生組が学業に時間をとられるため取れ高が少ないという理由から、「素のアンティーカ」とは異なる「見られる対象としてのアンティーカ」を作って番組を盛り上げようとする。そこで高校生組の三人が番組として盛り上がりそうなことをするが、上手くいかず、同様に番組を盛り上げたいと思う三峰さんが盛り上げ方に対して的確な意見を言う。
ここまでは、「見られる対象としてのアンティーカ」をどのように作っていくかという「素のアンティーカ」の話である。しかし、番組サイドは、こうした「素のアンティーカ」の様子をテレビ受けするように意地悪く編集し、改変された《素のアンティーカ》を電波に乗せる。
そして、改変された《素のアンティーカ》を見たアンティーカの面々は一人を除いて黙り込んでしまう。恋鐘さんを除く彼女らがなぜ黙り込んだのかは、以下のように説明できるだろう。
求められる自分を演じている咲耶さん、悪い子を演じている摩美々さん、「よくないところ」を包帯で覆う習慣が他者から奇妙な目で見られてきた霧子さん、抱えているものを表に出さない三峰さんといったアンティーカの面々は、「他者からどう見られるか」を(無意識に)重視していると言えよう。(冬優子さんは意図的に重視しているという点で異なるし、愛依さんは分離しているという点でアンティーカとストレイライトは二面性という点でも差別化されている。)
そうした彼女らにとって、メンバー間や事務所内での仲が深まっていくにつれ「素の自分」をさらけ出すようにはなっていくものの、依然として「素の自分」と「素のアンティーカの中にいる自分」は別物であるし、アイデンティティの中核をなしているのはどちらかといえば、他者との関係の中で形成される「素のアンティーカの中にいる自分」なのだ。
「素のアンティーカの中にいる自分」が自己概念の中核となっている彼女らが、「素のアンティーカ」だとして放送される偽りの《素のアンティーカ》や、それを見た視聴者が形成する「素のアンティーカ」像を見て何を思ったのだろうか。おそらくそれは「これは私たちではない」という思いと「これが私たちなのかもしれない」という思いだ。
現に生活していく中で意識する「素のアンティーカ」や「素のアンティーカの中にいる自分」とは異なる姿を見て、「これは私たちではない」と思うのは至極真っ当なことだと言える。そして現実の自分と「偶像である現実の自分」の差異に戸惑い、嫌悪している。
一方で、アンティーカの面々は、他者からどう見られるかを重視するきらいがある。その中で、アイデンティティの中核に「素のアンティーカの中にいる自分」がある以上、《素のアンティーカ》として映されている偶像の中に存在する自分もまた自分であるし、アイドルとして生きていくにはこのような自分を演じなくてはならないのではないかという不安もあっただろう。言うなれば、彼女らは周囲に適応しすぎるのだ。
しかし、アンティーカの中に一人だけ動じない人間がいた。それが月岡恋鐘さんである。
恋鐘さんがなぜここで大きなダメージを負わずに普段通り振舞い、そして持ち前の明るさで状況を打破することができたのか。これはあくまで推測だが、強固なアイデンティティが存在することによるものだと考えられる。
恋鐘さんは幼少期から周囲にかわいいとほめられ、看板娘として人気であり、アイドルになるために生まれてきたようなものだと豪語するほどの自信家である。こうした描かれ方をされる恋鐘さんは、WING編で転んだことすら強みにしてしまうように、「ありのままの自分」と「素のアンティーカの中にいる自分」と「アイドルとしてのアンティーカの中にいる自分」に差がない。
そして、恋鐘さんのアイデンティティは素の自分に強固に根付いている。これは本人の性質もあるが、それ以上に育った環境によるものだと考えられよう。かわいがられ、愛され、かといって無責任にちやほやされてきたわけではない恋鐘さんは、非常に高い自己肯定感を保持し、「自分は自分のままでいい」という無意識下の行動規範が存在すると言える。
そんな彼女にとって、歪められた《素のアンティーカ》というものは、自分の本質とは無関係で何ら影響するものがないただの偽りでしかないのである。
そして歪められた《素のアンティーカ》を見た恋鐘さんは、
①「ファンなら放送されているこれが本当のアンティーカではないと分かるはず」
↓
②「放送されているこれを受け入れているのはファンではない人」
↓
③「本当のアンティーカを届けたいならファンを増やせばいい」
↓
④『ば~り頑張って、うちらのこと知らん人、おらんくらいにせんばね~!』
と考えるのだ。
この考え方をできるのは恋鐘さんだけであるし、この考え方ができるということは非常に大きな強みである。①~④まですべての考え方が強い。
まず①の考え方は、自分や自分たちは周囲からどう見られているかに関係なく自分や自分たちであるという前提がないと発生しえない考え方である。②は①の対偶なので①の前提があれば自明に正しいので置いといて、③と④の考え方が本当に脳筋である。
ファンを増やせばいいだけだし、頑張ってファンを増やそうという考え方は、自分が周囲に対して影響を及ぼすことができるという「自己効力感」に基づくものだ。これは自己肯定感に近い概念で、幼少期から自らの言動によって周囲に影響を与えることができたという経験によって育まれるものである。自己効力感が低いと、水没状態からの脱出を試みないマウスのように、「何をしても無駄だ」という無気力状態になる。
さて、ストーリーストーリーを読んだ人なら分かるように、歪められた《素のアンティーカ》の放送を見て沈黙したアンティーカの中で、恋鐘さんは普段と変わらず振る舞い、そして「家出しよう」と思い切った発言をして問題解決の糸口を作る。これはアンティーカのリーダーとして立派な行動だし、周囲が一番よく見えているであろう三峰さんは「アンティーカのリーダーでセンターは恋鐘」という主旨の発言をひとり呟く。
ただ、この話は恋鐘さんが持ち前の明るさとポジティブさで、番組出演に対する暗い雰囲気を払拭して終わりという話ではない。もちろん恋鐘さんが大きな役割を果たしたことは間違いないが、霧子さんが撮影を続けたいと主張し、放送にのせるための「ストーリー」を自分たちで作ることで新たな気持ちで撮影に挑み、それがうまくいって大団円となる。
最終的には、本当の「素のアンティーカ」に近い「見られる対象としてのアンティーカ」を作り出し、それが三峰さんの力も相まってテレビ的にもウケる内容に仕上がったことで、「素のアンティーカ」として放送されるものと、実際の「素のアンティーカ」の間にギャップがなくなることでアイデンティティの揺らぎというストレスが生じなくなり、霧子さんの『生きていることは、物語じゃないから、わたしたちがわたしたちなら、ほんとはどこにも嘘なんて』というセリフや、三峰さんと恋鐘さんが「ストーリーを書き続けよう」と協力の意を新たにするシーンなどで、明るく締めくくられる。
こうしたセリフからは、(依然として「素の自分」と「素のアンティーカの中にいる自分」との間には差があるかもしれないけど、)大事なのは他者から見たアンティーカではなく、自分の、自分たちにとってのアンティーカがどのようであるかだという認識の変化が見て取れよう。この認識の変化は、少なくともアンティーカとして活動する中では、恋鐘さん以外が抱えていたアイデンティティの脆弱性を補うものであり、一層アンティーカとしての自分というアイデンティティを強固にするものとなるだろう。(逆に依存度が高いともいえるかもしれない。)
ここまで長々と書き続けてきたが、このコミュはアイドルの心の揺らぎや、なぜ恋鐘さんがリーダーであるのかといった話など、とてもリアルで読んでいて心を奪われ、締めつけられ、温められるものであった。また、咲耶さん、摩美々さん、霧子さん、三峰さんらが感じたアイデンティティの揺らぎは、「自分探しの旅」の流行に代表されるように現代において多くの人が抱えている問題といえるだろう。こうした問題に対して、アイドルの成長譚という形で一つの回答を提示した「ストーリーストーリー」は、いつかまた何かの壁の前で立ち止まってしまったときに読みたくなる作品であると思う。