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スポーツ、いやバスケットボールが 他のエンターテイメントと戦うとしたら
今回は音楽と比べてみる。
音楽そのものは、いくつもの音要素が重なり1つの形になり得ている。
それがアルバム(無形プレイリスト?)となり、会場ライブへ繋がる。
会場ライブはスポーツで言えばGAME「試合」になるのだろうか。
じゃあアルバムはチーム?w
じゃあ楽曲は選手?w
じゃあ音要素はプレイ?
もしくは人としてのストーリー?w
音楽は、
ライブに行くのもよし、ランニング中に聞くもよし。
寝る前に聞くのもよし。お酒の飲みながらでもよい。
仕事中にラジオとかもある。
スポーツも
会場での生観戦、中継/配信で試合映像を観戦。
見るだけではなく、実際に競技者としてプレイするという別軸が存在する。
※音楽も楽器をプレイできれば、歌も鼻歌も今すぐに出来るw
そう。音楽は生活に溶け込みことができる。
スポーツ観戦は非日常?現役競技者は日常?
スポーツには人類としての進化的な要素もある気がする。
※音楽にも進化的要素はあるね、、、
そもそも対比出来る関係ではない。
であれば、両者ともにエンターテイメントと呼べる『ライブに行く』 vs 『生観戦』の構図であれば刹那的に比較ができるのではないか?
※可処分時間でのお話ね
音楽ライブに行って涙が出てしまうことがある。
楽曲の力、演者の熱量など、そのアーティスト自身が大きな要因だが、
〇聞いていた時の自分の出来事/気持ち思い出す
〇そのアーティストの背景を知っいて曲と重ねる
〇そのアーティストが好きすぎて、近くで見れて感激する
もプラスアルファとして存在する。
スポーツを観戦していていも涙が出ることがある。
〇その選手がここまでどんな経緯で辿り着いてるかを知っている
〇その試合への思い入れ
〇そのチームや選手が好きすぎて、生で見れた感激する
頑張りに対して感動することが多い気がする
音楽ライブというか音楽は、基本的に結末が決まっている。
基本的に作った楽曲を再現する。(お客さんはすでに知っている)
スポーツで言えば試合結果が分かってるのに楽しんで見るということ。
『4Q 残分0:15でスティールしてダンクして逆転』することを
知っていて待っているという感がい深さ。
少しメロディーを変えたり、演出があったり、アレンジはある。
NBAで言えば、レイアップに行かずにスクープショットを選択するカリーや、無駄にダブルクラッチをするマイケルジョーダンとか。
※いや、無駄ではなくそれがいいんだけどね。エンタメとして特に
スポーツは、筋書きのないドラマとよく言われる。
ただ、グラミー賞級の試合もあれば、三文小説のような試合もある。
観戦しに行った日が当たりかハズレ行かないと分からない。
※贔屓チームがあり「応援」という尺度があればまた別の話だが。
これ音楽でいうと、
会場に着くまで誰のライブが見れるか分からないみたいな?、、、笑
ガチャやん 怖いw
結局のところ、自分への戒めとして言うと、
『試合をただ配信したことろで何も生まない』
コロナ禍では、関係者やご家族の方が知人の活躍が見れるので意義はあった。しかし今後は、、、
先述とすり合わせると、ここがないと感動はない(エンタメではない)
〇その人がここまでどんな経緯で辿り着いてるかを知っている
〇その試合への思い入れ
〇そのチームや選手が好きすぎて、生で見れた感激する
タマゴかニワトリか問題は課題としてあるが、
僕ら配信をする側は、その人の背景を、そのチームの背景を、その選手のリアルタイムの気持ちを映像と共に届けないと積み上がらない。
だから取材とか情報収集網を持って情報を用意したり、クリエイティブを増やしたりと労力、時間→お金がかかるんですよね。そう熱意も。
p.s.
2022年はなんとか週1回は何か書こうかと。
個人的には偏った考えとかも含めて(会社の意思とは一切関係ございません)