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支援学級の小学時代

自己紹介でもお話したように
私は小学2年の時に発達障害、学習障害
軽度知的障害と診断されて
義務教育の8年間を支援学級で過ごしました。
自分自身、社会人になった今は
障害に対するコンプレックスは無くなりましたが、幼少期はある人から言われた一言で
ずっと最近まで障害に対しての後ろめたさが
ありました。
小学1年生、新しい環境で過ごす事に
ウキウキだったはずが
勉強が苦痛になり(特に算数)
毎日昼休みにお直し
時には居残りをさせられ、泣いていた記憶があります。
足し算で最初に躓きました。
最近何故あの時、今なら簡単にスラスラ解けそうな問題に躓くのか
気付いたのは、数字の概念からの疑問。
私の場合はまず問題の解き方を理解する前に
なぜそれをやらないといけないのか、
まず足し算って何、
数字って何と考え理解ができませんでした。
暗算が特に苦手で
簡単な1+5でも躓き
しんどくなって親に泣きながら
支援学級に行きたいとお願いして
支援学級に移り自分のペースで頑張っていましたが、なかなか学年通りに勉強が行く事はなく
小学6年生の時、小学4年生の勉強をしていて
同学年の子が自分が行っている教科の話を
聞くと私はまだ、小4なのに。
自分が嫌になって勉強を理解できない自分に
酷く劣等感を感じる日々でした。
私が発達障害児だった当時は
今の様に障害に対する認知が少なく
奇声を上げたりする子は変な子。
変な子が支援学級に行くという
私の周りの人達はそういうイメージだった
みたいなので
当時の私は見た目は普通
話していたらたまに理解不能な事を話す子だったららしいので同学年の子には、
何で〇〇ちゃんは普通なのに
支援学級にいるの?と(小学2年だったと思う)
その時に聞かれました。
皆と同じクラスで勉強していない事
(自分から支援学級を選んだのに自分勝手)
当時の周りの障害に対する印象で
私は深く障害に対する後ろめたさを感じた
一言になりました。
親は障害の診断を受ける前は
鬱になりかけていて必要最低限のことは
してくれていましたが
あまり会話がなかった気がします。
(ちなみに私含めて5人兄弟で皆、発達障害なので、そりゃ鬱にもなるし嫌になるよね)
たまに夜泣いている母の姿を見て
その時は何故泣いているのか分からなかったけど、私も辛い気持ちになったのが印象深いです
ある時から母が変わっていき
発達障害に対して受け入れたのかなと思うのですが、私達への対応も
理解しやすく様々な経験や色んな事を
教えてくれる様になり
凄く嬉しかった記憶があります。
低学年の時は
障害のことに関するいじめではなく
私の個性的な性格のせいで
軽いいじめを受けていた事もあり
母に話すと学校までいって怒ってくれました。
(親なら当たり前だと思うけど
その時は凄く嬉しかった印象)
すぐにいじめはなくなったし
周りに恵まれていたので
落ち着いた6年間を過ごすことができました。

あまり書くとこれ以上長くて
何を伝えたいのかわからなくなるので
ここでストップします。
今回は私の小学時代の当時の心境について
書かせていただきました。

ここまで見てくれてありがとうございました

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