私は最強
実存主義では、実存は本質に先立つという。サンドイッチマンでうたかたであり、ソフトウエアのような仮想的で有るとも無いともいえる私であるが、そのような本質の前に、「我思う、我あり」、自分の方向や采配をするのは自分自身しかなく、それは生きている限り確かに存在するのである。
私という閉じた世界で、私の存在を確かにして、本質を定義するのも私自身でしか無い。
私を最強にするのも私だし、私を弱弱にするのも私なのだ。
どんな状況であれ、私には私を最強にする自由がある。今の刹那刹那を自分が良いと思う精一杯を生きることで、人生の軌跡を、砂時計の落ちた砂のように残すことが出来れば、その経験は永遠になくならない。生きる意味はなくならない。
客観視して、自分の外から見た無我を冷静に把握することは重要である。その上で、自分の中にある、自分にしか無い最強の自分を、未来という砂時計の落ちる前の砂から、刹那刹那選択すれば良い。
短絡的に皆トランプみたいになれば良い訳では無いことを断っておく。