有ると無いを区別しない

実体のない世界。 自分もあるようでない。他人もあるようでない。モノもあるようでない。あったと思っても、幻だったり、なくなったり、なくなったと思ったらまだあったりする。あるのは、関係性だけで、それも一定でない。

そんな世界をうまく生きるにはどうしたらよいであろうか?

うまく生きるとは、なくなって欲しくないものがなくならない、そしてあったら困るものがなくなることである

でもほっておけば、なくたって欲しくないもの(楽)が、なくなってしまい、あって困るもの(苦)がなくならない。

それは、なくなって欲しくないものにしがみつき、あって困るものを手放せない、楽も苦も諦められないからであると言える。

ではどうしたらうまく諦められるか?  それは、「楽が有る」「苦が無い」に拘らなければよいのである。

物事の有無に拘るのは、物事をあるとないに区別するからだ。

世の中が実体がなく、有るとも無いともいえるのであれば、それをそのまま2つを区別しないで受け入れればよい。

ありのままを受け入れるのである。

「楽が無い」、「苦が有る」
となった時に、苦しくなるのであるから、
「楽はあるとも言える」、「苦はないとも言える」
と解釈できれば、楽は有りを続け、苦は無しを続けられる。

楽=生、苦=死と置き換えてみよう。
生まれてから死ぬまで、「生きる」があると考え、追求し、「死」はないと否定する。

それは可能である。「死はない」、嘘だろと思うが、実際、死ぬ本人は「死ぬ」の体験はできない。最後まで生きている。

ナーガールジュナ(竜樹)は、それを「不生不滅」と言った。

物事は自分も含めて、全て有るようで無い、一つも確かな実体はないとすれば、場合によっては、物事を有ると無いに分けない、分別しないことで一切皆苦から抜け出すことができる。

「場合によっては」と言ったのは、分別してうまくいく時は分別すればいいのである。要は、「分別するかしないかも分別しない」ことが肝心だ。

無分別智をうまく使えば、柔軟で前向きに生きることができる。

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